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第90話 フィクション

 結城くんが血相を変えて部屋を飛び出していってから、カラオケボックスの薄暗い部屋には、誰も歌っていない陽気なポップスの伴奏だけが虚しく響き続けていた。


 私は、彼が勢いよく開け放ったままの重い防音扉を見つめながら、グラスのストローで氷をカラカラと掻き回した。



「……ようやく、行きやがったな」



 裕介くんが、ふうっと安堵したような、少し寂しそうな息を吐いてソファに深くもたれかかった。



「……僕たちのお節介が役に立てば良いんだけど」



 杉田さんも、グラスを傾けながら優しく微笑んでいる。



 二人の男たちは、結城くんと東雲さんのハッピーエンドを無邪気に祈って、優しい雑談を続けていた。


 私はそんな二人を横目に──開けっ放しの重いガラス扉を閉めようと、廊下に顔を出して、出口の方に視線を向けた。




「……コレでまた一つ貸しだからね」




 誰にも聞こえないような声で、ぼそっと呟く。





















 この物語には本来、

 バッドエンドが運命付けられていた。


 だって、

 起きてしまった過去は変えられないからだ。





















 現実は残酷で、不器用で幼くて、何をするにも嫌われてしまうことが怖くて、怖くて、怖くて。


 遂には何も出来なくなってしまった男の子。


 彼は『一度振られた』という枷に絶望的に囚われたまま、卒業まで『ただのクラスメイト』として、次の一歩を踏み出せず、彼女の為に傍に居てあげることしか出来なかった。



 そして、裕介くんも、杉田さんも。

 現実に存在した彼らは、どうしても定められた過去から逃れられない。


 真実を知らない善意のクラスメイトとしてしか動けない彼らでは、結城くんの運命を決定的に変えることは出来なかった。





「ん? 早瀬、何か言ったか?」


「ううん。独り言ー」





 裕介くんの声を適当に受け流し、私は扉を閉める。






 ……しかし、私は縛られない。





















 何故なら私はこの物語には本来存在しない、

 ただのフィクションでしかないからだ。





















 結城くんの未練を暴き、停滞した二人の関係に石を投げ込み、バッドエンドをハッピーエンドに変える鍵。


 その為のスパイスとして生み出された架空の存在。




 それが私『早瀬里美』の正体。

 



 今日までは一緒。

 

 小説のような仲間たちに背中を押されて、東雲さんの後を追い掛けていくのも一緒。


 ここまでの物語で別に私が居たから変わった事なんて実は何もない。


 今思えば私が居なくても、ここまでは来れたのだ。


 











 ……ただし、


 可愛くて賢い誰かさんのおかげで──







 大切なものに、少しだけ早く気付けた。








 この世界の『結城くん』なら、きっと二年目の未来を大きく変えていけるだろう。


 それが私の知り得る形で描かれるかどうかは別として。
















「……私の居場所は今『ここ』にしかないって話」


「『ここ』って、カラオケか? 別に他の部屋行ってきても良いんだぞ?」


「裕介くんは黙ってて」


「ええ……」





 理不尽に怒られてシュンとする裕介くんを無視して、私はストローを軽く噛んだ。


 私の居場所は、彼の持つテキストデータの中にしかない。


 現実の結城くんの思い出の中には、私との記憶は一秒たりとも存在しない。


 物語が終われば、私は消えてしまう。


 役割を終えた鍵は二度と使われることはないのだから。


 結城くんの背中を押す為に、彼の心を抉る為に。

 その為に一番近くで彼を見てきた。


 彼の優しさも、情けなさも、どうしようもない一途さも、全部私は知っている。


 彼を救う為に生み出された私が、彼に惹かれてしまうなんて、なんて残酷な設定だろう。









「……私を、ヒロインにしても良かったのに」









 ポロリと、口から本音が零れ落ちた。




「は? お前、結城のこと好きだったのか?!」




 裕介くんが目を丸くして身を乗り出してくる。




「さぁ? どうだろね。でも、結城くんみたいな面倒くさくて不器用な男、私が貰ってあげても良かったのになって、ちょっと思っただけ」


「何だよそれ……」




 呆れたように顔を見合わせる男二人には、私の言動の真意など伝わるはずもない。


 架空の存在が抱えてしまった、架空の恋。




「ねぇ……この気持ちはどうしたら良いのかな?」




 私の小さな呟きは、またしても陽気なカラオケの伴奏に掻き消された。




「なんだよ早瀬、お前もしかして泣いてるのか?」


「泣いてねーし! あーあ、結城くんと東雲さんがイチャイチャしてるとこ、ちょっと覗きに行きたかったなー!」




 私はわざとらしく明るい声を出し、手元のタンバリンをシャンッと鳴らした。



 男二人はよく分からないといった顔で首を傾げている。



 私は、ハッピーエンドに向かう『二人』と、画面の向こう側の『彼』に向けて、心の中で小さく笑いかけた。














































 ……スピンオフでも書いてみない? なんてね。







全90話で完結です。


ここまで読んで頂いた方々、

本当にありがとうございました。


東雲さんが可愛ければ私は満足です。




早瀬さんは書いている内に好きになってしまって、

最後にネタバラシ役として登場させました。


彼女に関わる全てがフィクションというわけではなくて、登場人物を減らして話を分かりやすくする為に、様々な人が起こした行動を彼女に集約させた感じです。





今の所二年目を書き起こす予定はありません。


忘れることはないと思いますが、

記憶が確かな内に形に出来て良かったです。





繰り返しになりますが、

最後までお読み頂いた方々、

本当にありがとうございました。



一日一日、踏み出す度に遠ざかる日を。

二度と戻れない日を、ここに記して。



皆様も一日一日を、大切に。

誰かと過ごせたかもしれない一日を、大切に。






……ごめんなさい。


本当にごめんなさい。


早瀬さんのおかげで『結城』が私の言いたいことを全部言ってくれた気がしますが──



ここに書いても仕方ないし、

今さら書いても仕方ないし、



何処まで本文か分からなくなってきました。




これはあとがきです。


ありがとうございました。

お疲れ様でした。




なるべく泣かないように気を付けます。




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