第54話 やったぜ
煌びやかな免税店が並ぶ搭乗ゲートを抜け、私たちはホノルル行きの大型旅客機の機内へと足を踏み入れた。
機内特有の、わずかに乾燥した空気が喉を掠める。淡い間接照明に照らされた通路を進み、自分の座席番号を確認した私は、担任の先生が意図的にこのチケットの組み合わせを渡したのではないかと、本気で邪推してしまった。
「……東雲さん、ここ?」
「うん。結城くんの隣だね。やったぜ」
彼女は手にしたチケットをひらりと揺らし、悪戯っぽく微笑んだ。
機内両端の窓際に設置された二列シート。
空港までのバスに引き続いて、まさかの飛行機まで隣同士。
修学旅行の航空券は学校側がまとめて手配しているとはいえ、この座席指定の巡り合わせには、何らかの運命じみたものを感じずにはいられない。
「……こちらこそ、よろしくお願いします」
だらしなくニヤけそうになる口元を必死に引き締めながら……多分、隠しきれていない気がするが、私は彼女に窓側の席を譲り、自分は通路側に腰を下ろした。
手荷物を上の棚にしまい、狭い座席でシートベルトを締める。隣の東雲さんもコートを脱ぎ、座席のポケットにガイドブックをしまい込んでいる。
離陸前の慌ただしい機内で、搭乗確認のために通路を歩いていたキャビンアテンダントさんが、私達の席の横で足を止めた。
「毛布は二枚でよろしいでしょうか?」
「あ、はい……二枚お願いします。すみません、ありがとうございます」
CAさんは手際よく毛布を取り出すと、私の頭上からそっと手渡した。その時、ふと彼女の視線が、私の隣で少し身を乗り出していた東雲さんを捉え、それから私を交互に見て、どこか柔らかな笑みを浮かべた。
「ご夫婦でのご旅行でしょうか?」
その一言が、私の自意識を容赦なく撃ち抜いた。
この閉鎖された空間。隣り合う男女。
そして夜間のフライト。
この状況でそう聞かれたら、第三者からはどう見てもそういう関係性にしか映らないというのか。
「え?! い、いや、ちが……あの、学校の! 修学旅行です! クラスメイトです! 学生です!」
情けないほど声が裏返った。
私のあまりの慌てっぷりに、東雲さんとCAさんが二人して吹き出す。CAさんはそのまま「失礼いたしました、ごゆっくりどうぞ」と笑顔でお辞儀をして、次の列へと移動して行った。
私は自分の取り乱しぶりを激しく後悔して頭を抱える。
隣からは、くすくすと笑いを堪える声が聞こえていた。
「……笑わないでくださいよ」
「ふふっ、ごめん。でも結城くんの慌てっぷりが面白かったから」
東雲さんは少しだけ肩をすくめると、穏やかな表情で私を諭すように言った。
「男女が二人で並んで座っていたら、きっとそう聞くのが決まりなんだよ。あんまり気にしないで」
「……」
その大人の対応に、私は恥ずかしさでますます顔を熱くして、無言で俯くしかなかった。
やがて飛行機は滑走路を轟音とともに滑り出し、夜の空へと飛び立った。
ベルト着用サインが消え、機内の照明が落とされると、先程まで窓の外の夜景にはしゃいでいた東雲さんが、ふっと小さく息を吐いた。
「何だか安心したら、急に眠くなっちゃった……」
「深夜便ですからね。今のうちに寝ておいた方がいいですよ」
「うん……。おやすみ、結城くん。ハワイでまた会お……」
配られた毛布にすっぽりと包まり、目を閉じた彼女は、やがて規則正しく静かな寝息を立て始めた。
私は彼女を起こさないよう、慎重に座席のモニターを引き出し、適当な洋画を再生してヘッドホンを耳に当てた。
画面の中では、ド派手な爆発を伴うカーチェイスが繰り広げられている。しかし、ヘッドホンから大音量で流れる激しい銃撃音よりも、すぐ隣から聞こえてくる彼女の微かな寝息の方が、何倍も私の鼓膜を、そして理性を強く揺さぶってくるのだ。
隣を盗み見ると、機内を照らす淡いモニターの明かりが、東雲さんの無防備な横顔をぼんやりと浮かび上がらせていた。
少しだけ開いた桜色の唇と、ゆっくりと上下する長いまつ毛。
毛布の隙間から時折見える、コーラルピンクのワンピース。
(ああ、本当に一緒にハワイに行くんだな)
寝顔をじっと見つめるのは流石に失礼だと思い、私はすぐに視線をスクリーンへと戻した。
けれど、すぐ隣から聞こえてくる規則正しい寝息や、微かに触れ合いそうな距離にある彼女の存在感が、どうしても気になってしまう。
映画の主人公が絶体絶命のピンチを迎えても、私の脳内リソースを限界まで圧迫しているのは、間違いなくこの静かな夜のフライトの空気と、隣で無防備に眠る彼女のせいだった。
(……これじゃあ、映画どころじゃないな)
私は小さく息を吐き、誰にもバレないように、そっと口元を緩めた。
全90話で完結予定です。
少しの間、お付き合い頂ければ幸いです。




