四部22
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トリム・ファーネルの持ち込む話題は、例えるなら地雷だ。
踏めば致命傷にいたる危険物なのに、埋めた本人は決して踏まず、存在を知らぬ者が全身をズタズタにされる。
せめて埋めた位置さえ把握できれば、災禍を免れる道はあるのだが、トリム少年は巧妙だった。アーチBDが思わず耳を塞ぎたくなってしまう話題中に地雷をセットしたり、まさかここからは飛ばないだろうという話が、地雷に一直線だったりする。
その日も「どう考えても無関係」話題を振りまくトリム少年を、アーチBDは片耳で聞き流していた。
例のごとく、山小屋の談話室。
作業中の矢巻に、ぺちゃくちゃしゃべりかけるトリム。荷物をパッキング中のミノブもいる。うるさそうにする彼の眉間にはわずかに皺が寄っている。
胸がすくのは、トリムの話題を、矢巻が軽く流していることだ。
(……そりゃそうだろう……)
(異世界で性的な事でお困りになってないですか? なんて話題、誰だって避けるに決まっている)
矢巻への好意を、焦って性急な形で現した、トリムの作戦ミスだと断じたときだった。
「ごめんなさい。同じ年代の思春期同士だからって、あけすけにし過ぎましたよね、ぼく……。
ぼくはただ、この世界に慣れていないヤマキさんに、他人には相談しにくい、秘匿の部分を教えてあげたいと思っただけなんです……でも、余計なお世話でしたよね。
だって矢巻さんの傍には、もっと適役がいますから」
「適役? ……どういう意味だ?」
アーチBDは強張った全身で、足元のカチッと金属的な響きを聞いた気がした。
「性にまつわる秘薬、昂奮剤も媚薬も、時には中絶薬まで作ってしまう、裏通りの薬屋さん。もちろん人には言えない毒も調合してしまう、通称毒屋のアーチさんのことですよ。
娼館や娼婦娼男は彼のお得意様ですからね。矢巻さんが必要とすれば、いつだって紹介してくれますよ」
すうっと世界が狭まっていくのをアーチBDは感じる。
音が消え、光が失われ、山小屋内である感覚が消失し、人の気配もなくなる。
誰がどうして、今、何をしゃべって、どんな反応をしているか、知る手段は皆無なのに、知りたくて知りたくてアーチはもがく。
(……ヤマキは今、何を見ている……誰を見つめている?)
(瞳はどんな色をしている? どんな感情をたたえているんだ?)
(……ヤマキはっ、これまで一緒に過ごしてきた俺を、どう思っている?)
(……その思いは……この瞬間、変化したり……した……………………?)
「……あれ、もしかしてご存知なかったですか、ヤマキさん」
唐突にアーチBDの世界が元に戻る。
白々しいトリムの声。話の流れから、消失の感覚は数秒に過ぎなかったようだ。
その数秒で、アーチは全身からあらゆるものが、すっかり流れ出してしまったようだった。
「……」
「この毒屋という職業は、人間生活にはもちろん必要なんですけど、いろいろ後ろ暗い部分が多いことから、世間的にはちょっと敬遠されちゃっているんですよね」
視界の端に、ミノブが作業の手を止めているのが映った。彼は困惑しながら、矢巻とトリムとアーチを順々に見遣っている。
「転生して数か月だし、救助活動に忙しいヤマキさんは、この世界の暗黒面に気づくきっかけも少ないですよね。それに、周囲の人もいろいろ気を使って、知られないようにしただろうし」
ミノブの視線がこちらを貫くのを感じる。
(……やめろ……っ)
(……俺を、そんな目で見るな……)
(底に残ったラストワンみたいに……哀れむな……っ)
いつもの静かで穏やかな口調、矢巻智治が話題の収拾に動いた。
「すまない……トリム。その話はこれ以上はしないでくれないか」
「お節介してしまいましたか、ぼく? ヤマキさんの機嫌を悪くしてしまいました? 毒屋のことなど知りたくなかったですか?」
「その『毒屋』については、これからこの世界で暮らすうち、自然、おれの耳に入ってくるだろう。すでにいくつか知っていることもある……。だけど、一気にすべての情報を知りたくはないんだ」
「ぼくから一方的に与える情報は、偏るからですか?」
「ちがう……おれにはその資格がないからだ」
「資格?」
「世間的に悪習だと分かっていても、慣習的に行われる……この世界の習慣に、おれは口を挟む権利などない」
「んと……まあ、ヤマキさんは政治家とかいう訳でなく、救助家ですから……世間に主張したり、システム改善に動く時間も余裕もないでしょうけど……」
「そもそもおれはそれが悪習だと断じることも、改善すべきだと判断する権利もない」
「え……?」
さすがにこれにはトリムも口を半開きにする。
「おれが、君にしゃべるのを止めろと頼むことすら、烏滸がましいんだ。
それは君が毒屋を語るのを不快と感じているから止めてほしい訳で、不快と感じるからには、毒屋システムに疑問を抱き、良い思いを持っていないことになる……。
だが、良い悪いを思うことすら、おれには許されないんだ……資格がないんだ。
長年かけてこの世界が築き上げた文化に、時代に、システムに、異を挟むこと、疑問を抱くこと……賛同することも、反対することも……それはこの世界に生きる人たちだけの権利であり……おれにできるのは傍観することだけだ」
音もなくアーチBDの足元の地雷は作動した。
衝撃はない、吹き飛ばされもしない、手足も無事だ。なのに見えない出血がとめどなく続き、目の前の扉までのわずか数歩をふらつき、壁になんどもよりかかった。廊下に出て、震える手でドアを閉め、あとはもう覚えていない。
ドアの閉まる寸前、ミノブが矢巻智治の胸倉掴み上げ、血走った目で食い下がったことを、知るはずもない……。
あとになって冷静に思い起こせば、いったいこのとき自分は何を望んでいたのだろうとアーチBDは懊悩する。
矢巻智治がどんな解答をすれば、自分は満足したのだろう。
偽善者ミノブ、革命人ホダカ、謝罪家の死んだ男。いずれも突っぱねてきた。
『ずっと一緒にやってきたアーチが、毒屋だと知っても、おれは気にせずこれまで通りやるよ』
『おれの元居た世界でも差別はあった。撤廃する努力は続けられていた。この世界でもきっとできるはずだ』
『アーチの苦労を知らずにすまなかった。おれの態度を不快と感じなければ、今まで通りパートナー頼みたい』
酷薄でふてぶてしいアーチBDという性悪男は、矢巻智治の発言ならば受け入れるというのだろうか。
(……でも、ヤマキはそうは言わなかった……)
転生してから三か月弱をこの世界で過ごし、矢巻の出した結論は『無干渉』だった。
(……俺は多分、そのことに一番ショックを受けている……)
地雷被害からの復帰に、山小屋の移動は少しだけ役立った。
Mの字の、内側最北端にあたる豪雪山地は今、城下の毛皮ブームで、寒地や雪山の獣毛を狙う業者や一般人の入山が増えていた。厳寒期が重なったこともあり、アクシデントも増加している。
今や知らぬ者のない救助王の招来が望まれ、慌ただしい移動だったが、北の果ての山小屋へ呼応した。
矢巻はこまめに講座を開催して防止に努め、小さな事故案件にも現場に赴き、丁寧に対処していた。アーチBDも後方スタッフとして、矢巻のサポートに精進する。仕事に集中しているあいだは、余計なことを考えずに済んだ。
猛毒の申し子にしては珍しく他力本願であるが、ベース基地の移動が、トリムとの物理的距離をひらいてくれることを期待していた。
少年魔術師は「北の山に近いラボへ、異動にしてもらいますから」とこともなしに言う。北の果ての小屋にも、今まで通り、矢巻のかけがえないパートナー然として毎日現れる。
(舞台が変わっただけで……登場人物は今までのまま、か……)
もはやアーチBDの弱体化は留まるところを知らなかった。
それでもスタッフの前では強気の仮面をかぶりつづけた。今まで自分の内から自然に滲み出ていたものを、意図的に作るのは苦痛だったし、疲弊も大きかった。
「オーバーワーク気味じゃないかい? 愛しいハニーのお肌が荒れるのを見ると心が痛むよ」
ホダカをじっと見つめ返し、アーチBDは集中して毒を意識した。ポケットからコインを取り出す。
「コイントスをしようか? 出たのが裏面だったら俺の勝ち。表の場合も俺の勝ち。
俺が勝ったら……お前は自分の見る目のなさを自省し、真珠貝加工工場へ行けよ。役に立たない目玉を真珠みたいにくりぬいてもらうんだ。
お前が勝ったら……望み通り俺は静養してやるよ。
だがお前の勝ち目は、コインが縦に立ったときだけだけどな」
苦笑し、ホダカは薬師の少年の肩をねぎらうように叩く。遠目に見守るスタンスに、彼は切り替えた。
鏡の中のいつもと違う自分。ブロンドの髪に、白い長手袋。見つめ続けていると、ガス欠だったエネルギーが少しだけ復帰した気がしてくる。
(……とにかく動かなけりゃはじまらない……)
(……活動中にトリムの情報でも手に入れば、ラッキーって感じで……)
夜間の暗躍に積極的とはいい難いテンションで乗り出すアーチBDは、玄関口に仁王立ちするミノブに気づいた。
「お前さんはまたその扮装で、厄介ごとを持ち込むか?」
「…………」
硬くくちびるを引き結ぶ少年に、山オタクの青年は額にペチリと手を置いた。
「理由を問い詰め、監禁してでも行動の自由を奪う……ような真似はしたくないが、ここは前の小屋とは違う。町まで遠いし、整備された道もない。毛皮狙いの素人猟師が茂みに動く影を誤射する事件も一度や二度ではない。正直なところ、お前さんを外出させたくない」
「………………………………じゃあ」
「ん?」
「それじゃあ、あんたが俺の代わりに暗躍してくれよ」
魔術師トリムを排除したい気持ちは、伝えずともミノブはある程度理解していたようだ。
探って欲しいと依頼すれば、「お前さんが危険な外出を控えるなら」と、交換条件と引き換えにあっさり引き受ける。
無能で単細胞で朴念仁の三重苦を抱える、新米諜報員の報告を、アーチBDはイライラと聞いた。
「……名前はトリム・ファーネル。年齢は17歳、光魔術のラボで……」
「その辺はもう知っている。俺が知らない情報を、弱点を、使えそうな部分をかいつまんで話して」
苛立ちも、八つ当たりも、甘えであることをアーチBDは自覚していない。
好意の利用が無制限でないことを、欺瞞家の少年は把握していない。
もはや失われてから気付く以外、アーチに道は残されていないのだ。
「……以上が家族の情報で、職場は同僚と上司と……」
「上司のパーソナルデータ」
ミノブは短く刈り込んだの髪をガリガリしながら、メモ帳の隅に殴り書きした名前と年齢を発見し、報告する。
「そう。年齢的に妻子はありそうな感じだ。子煩悩で絵に描いたように幸せな家庭、しかし男には隠れた趣味が……少年愛好……職場でガン見しセクハラ視線を送るのをどうしても止められない」
「…………」
「山小屋の人間関係と、上司の家庭崩壊を繋げるのは一筋縄ではいかないだろうけど……やり甲斐はあるかな。トリムはそのくらいしなくちゃ追い出せそうにない」
「…………お前さんに聞きたいんだが、そこまでしてヤマキと二人っきりになることが本願なのか?」
「どういう……意味だよ」
純粋な疑問を投げかけるミノブ、たちこめる暗雲の中に雷を忍ばせるアーチ、二人の温度差は激しい。
「この間の件で、ヤマキの態度は、この世界に向けるスタンスは……示された。分からなかったとは……言わせない。
どんなにお膳立てを整えても、あいつは……お前さんが思う通りにはならない……だろう」
「はっ! 俺は思い通りになるつまらない男なんて要らないよ。たとえば、俺の言いなりに慣れない諜報員役を引き受けて、頭に風呂敷かぶってコソコソ探る小汚いネズミのような奴…」
ゾクリと寒気を感じて、アーチは言葉を切った。対面からの強い圧力を、とても直視できず、目を伏せる。
空気がシュッと動く音。殴られる! と少年は身を縮めた。
ミノブの右腕が動いて捉えたのは、アーチの手首だった。いつになく強い力が加わっている。
そして山男の表情も、いままで一度も見た事がないものだった。




