四部21
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心に負ったダメージの回復が鈍くても、救助隊は通常運行に戻らなければならない。
死者を見送って数日後、アーチBDは山小屋を訪れる訪問者を受付した。
記名を求めたときから、最近どこかで見かけた顔だと気づいてはいたが、記憶を積極的に掘り起こす気力も活力もない。
矢巻の居る作業場に案内する。来客を見止めた矢巻智治は、作業を中断し「ああ」と手を振る。
(ヤマキにも顔見知り……誰だっけ……)
正体を暴くべきかと脳にエンジンがかかりはじめたその瞬間、けたたましい金属音がアーチの耳を劈いた。
大量の貨幣が机の上ではねる音だった。来客の少年がにっこりする。
「これ、お返しいたします。ヤマキさん」
「それは君への報酬のはずだが……トリム」
(…………トリム?)
「救助者は亡くなられ、お役に立てなかったので、もらう権利はないかなと思ったので」
「おれの無理を聞いてもらったんだ。受け取るのは君の正当な権利だ。治療の魔術、照光の魔術、そして出張料。君の数々の働きに、おれは正式な方法で報いたいんだ」
矢継ぎ早に飛び込んでくる情報の数々。
弱体を自覚しているアーチBDは、整理するのに相当苦労をした。
(数日前、俺が見守り、ヤマキが助けを呼びに行ったときの案件……救助者は搬送途中で亡くなってしまった……)
(ヤマキが連れて戻った治療魔法の使い手が……こいつだった)
(名前は……トリムというか……)
戻ったヤマキと合流したときの疑問は、今の今まで忘れていた。
(合流したのは日の出の直後だった。谷底はやっと薄明るくなっていた頃で……町を出た時間を逆算すると、日の出前から出発した計算になる……)
(夜間行動は危険、一般人を伴うので無理はさせないと言っていたヤマキ……)
(この疑問を解決するのが、トリムの照光魔法って奴か……)
これだけの要点まとめに体力を費やし、神経はボロボロだった。
「……暗い山道を歩くと聞いたので、照光の魔法を提言できたのは良かったです。その辺はお役に立てたと実感しています」
「ああ、あれは助かった。すごい魔法があるんだね。細い杖の先から、20メートル四方に光を投射できるなんて。光量ときたら、車のヘッドライト並みだ。お陰で、暗いうちから出発する踏ん切りがついた」
「光魔法のラボは、照明専用に研究されている魔法がいくつかあります。照光もその一つなんですが、登山用に使うなら、範囲を前後にしぼって、障害物は回り込んで先を照らすように調整すれば、もっと便利じゃないかと」
「うん……それはいい。夜間の探索に有用そうだ」
「もっと早くからお会いできていたら、魔法の分野で提言を多くできたのに」
「……いや、それはおれの勉強不足だ。異世界からきたのを理由に、救助作業ばかりに邁進してきて……この世界の文化や技術を学ぶのを、失念していたからだ」
「そんなことはないんですよ、ヤマキさん。この世界で魔術というのは、一子相伝の伝統が生き残る分野です。八大要素が用途に応じて細分化していて、内部の情報や、せっかくの新魔法も外部に届きにくいんです」
「そうなのか」
「ぼくがここに通うようになれば、最新の情報をお届けできます。他属性魔法を扱うラボに知り合いもいますから、救助に有用そうな魔法を紹介することもできます。
なので、ぼくがここへ通うのを許可してください。
先のお金は、救助隊経営費用として寄付します。ぼくの通う場所がなくなるのは困るから……理にかなった返金でしょう?」
搦め手でやり込められる矢巻を、アーチは初めて見た。
恋人を裏切った訳ではなく、大事な人を粗末にあしらった事もなく、トリムという少年は真摯に、救助隊のことを考え、人を救うすべを模索しているようだ。
過去の救助記録に目を通しては、ここでは治癒魔法が効果的だとか、光魔法で効率的に救助ができたと、後出しで述べる。悔しいがその意見は正当で、検討の余地がある内容なのだ。
矢巻智治が彼を重用しはじめるのは当然の事だった。
(……奴が改善案を出せば、救助は洗練され、犠牲者を減らせる)
(結果、手遅れになることもなく、死者も少なくなる)
(もう……矢巻の痛ましい顔を、見なくて済む……)
理屈では分かっているのに、アーチBDは苦しくて堪らない。
自分の居場所が失われていく痛み……。
猛毒の申し子は、心身を疲弊させる出来事の連続に、毒性を薄めていた。
今や、弱毒の申し子と名乗るしかないアーチBDは、時々というにはやや多い、トリムが投げかける視線の意味を知ろうとする意欲を失っていた。
矢巻智治はいつも周囲に恐縮している。
「いつもすまない、トリム。君に教えてもらったおかげで、おれは魔力もないのに、魔術に詳しくなれたようだ」
「お役に立てて、光栄です」
「必要な時は、トリムの人脈で、知り合いの魔術師に渡りをつけられるのも助かる」
「手伝いするならそこまで徹底しなくちゃですからね」
「連日通ってもらって、ほんとうに頭が下がる思いだ。しかしおれは君に甘えすぎなのかと思う。魔術師である本業の方は大丈夫なのかと。トリムのような優秀な術師の時間を、おれなんかが奪ってしまって……」
「ぼく、全然優秀なんかじゃないですから」
謙遜する少年魔術師を、アーチBDは暖炉の横のソファでぼんやり見つめていた。
山小屋で最も広い談話室には、作業中の矢巻と、助手のトリムのほかに、装備の手入れをしているホダカがいる。
一見、平和な光景にまさか爆弾が投げ込まれることを誰が予測しただろう。
「……ほんとうに、これっぽっちも褒められるような人間じゃないですよ。何せ、学園の卒業式典で、ぼくが指名されたのは最後から二番目なんですから」
ピクリとアーチの身体がこわばる。一体どこからそんな話の流れになったというのだろうか。
「前におれも聞いたことがある、一定の年齢まで共通の学習を受け、卒業時には式典が開かれる。一部の進学を選ぶ者以外は、ここで指名されて職に就くとか」
「その通りです、ヤマキさん。職業といっても色々ありますから、弟子や新卒が欲しい側が『××系統の成績が優秀な者が欲しい』と学園側に申し出るんです。学園側は要望に沿った生徒を何人かピックアップして、あらかじめ教えておきます」
「なるほど。生徒の得意分野を知っている学園側が、雇い主の期待に沿った生徒を紹介することで、就職を円滑に行うシステムなのか」
「周囲の生徒が次々と呼ばれていく中、ぼくの名前はなかなか呼ばれなかったんです」
「最後から二番目には呼ばれたのだろう? 優秀者をとっておきにしたのかもしれない」
「ふふ、慰めてくれて優しいですね、ヤマキさん。でも、そうじゃないんです。式典の指名には暗黙の了解があって、王宮関係や商店街ギルドとか世間のいわゆる『大手』が優先されるんです」
「ふむ、日本にも似たような慣習はあるかな……」
「それなら分かって頂けますよね? 卒業生は誰もが早いうちの指名を期待します。『大手』に呼ばれた子は、目を輝かせ、膝を震わせ、そしてちょっと誇らしげに、指名主の元に歩いて行く……すり鉢状のステージの底からから脱して、華々しく階段を上っていくんですよ」
……そう。
安泰と優越を得た彼らは、拾い上げられるのを待つ「底」に戻ることはない。輝かしい未来への階段をあがり、チラリと……まだ拾い上げられない「底」の、かつての仲間たちに、憐みの視線を投げかけるのだ。
胃が痛い。アーチBDは知らず前傾姿勢になっている。
もし目の前に鏡があれば、アーチ少年は病的に蒼白な自分の顔を対面することだろう。
談話室にいたホダカ・ボンボンは、さっきからアーチBDの肩に触れていた。
顔色が悪いけど大丈夫? と、耳たぶを震わせる距離で囁いても石像のように反応がない。
青年は機転を利かせ、トリムに話題を振った。
「ね、トリムくん。在園時は平凡でも、卒業後にめきめき頭角をあらわした君の、ラボでの出世譚をリクエストしてもいいかな?」
「出世だなんて……買いかぶりですよ。ぼくはありきたりの魔術師です」
「いやいやリクエストは口実に過ぎなくてね
医者『君の病気は、ヴァイオリンが原因だ。今日からヴァイオリンに一切触れてはいけませんよ』
看護婦『(ひそひそ)先生、あの患者さんの病気、ヴァイオリンが原因なんですか?』
医者『いや、ちっとも関係ないよ。ただアパートメントの僕の部屋が、彼の部屋の真下なんだ』
これぞ高度な戦術だと思わないかい、トリムくん。
僕がトリムくんの出世譚を聞き出すと見せかけ、目的は別のところにある……君の同僚、ぴちぴち美少年が勢ぞろいのラボという名のハーレム。想像するだけで今夜のオカズに期待がつのるよ……」
「はは、ホダカさんらしい」
矢巻が軽く笑う。仕方ないですね、と話題転換するトリム。
「ぼくの勤めるラボは意外におじいちゃん魔術師が多いんです、お年の割に元気はつらつ、肌もぴちぴちで……ホダカさんの期待にかなうかどうか分かりませんが、心を込めて話しますね……」
……やっとアーチBDは息がつけた。身体の震えがおさまった。
暖炉の暖気にありつき、冷え切った手足に血流が戻ってくる。
解凍を自覚した首をまげ、ゆっくりと矢巻智治の顔を見る。トリムの話題に相槌をうったり、感嘆を込めたりしている。
(……さっきの話の続きは、どう思っているんだろう)
(最後から二番目に指名されたトリム……)
(じゃあ最後は誰だったんだって……)
(……考えたり、想像したり、しないんだろうか……)
(ヤマキは転生したこの世界に、興味も、好奇心も持たないのだろうか……)
アーチBDの記憶はひとつの名前を浮上させていた。
トリム・ファーネル、彼とは同じ学園の生徒だったのだ。しかも同期である。
(俺は、トリムの名前を忘れていた……忘れていたというより、封印していた……)
彼が呼ばれた時点で、アーチBDが「底のラストワン」になる運命は決した。ギリギリ瀬戸際の淵にいながら、一手早く救い上げられた同胞を、その名前を、式典の記憶と共に封印したのは意図的なのだろう。
望まれなかったラストワンの絶望は、その先にある。
階段状の座席、王宮関係者も商会ギルドも各種工匠も、全員が指名を終えている。
彼らは「もう要らない」のだ。打ち止めなのだ。底のラストワンに手を伸ばすものはもう居ないのだ。
水底で酸素を求めて惨めにもがく小さく哀れな生き物の絶望は、同時に、猛毒の申し子の誕生でもあった。




