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序章2


「……君、君は避難者だろう?」

声を投げかけられアーチBDは我に返った。自分はどのくらいぼうっとしていたのだろう。

扉の前で見張りをしていた男が、声をかけてきたらしい。アーチの反応がないので、心配そうに下り坂を走ってくる。服装からしておそらく鉱山関係者なのだろう。

「中に治療もしているし、君も中に避難した方がいいよ。歩けないのなら抱いていってあげようか」

親切そうな声に、下心が混じっているのをアーチ少年は感じ取った。

本人は意識しないが、小柄な体つき、華奢な腰のくびれ、赤茶の髪からのぞく色気あるうなじ、白い肌は、その気がなくとも、男の興味を惹きつけるものだ。

むろん、背面限定の話だが。

オバケ屋敷の脅し役になったつもりで、見張りにアーチはくるりと前面を見せてやる。黒い爪の両手をひらひらさせた。

ギョッと立ち止まる見張りの男。バックステップであわてて距離をとるその様は、失笑ものだ。

「……ちっ、なんだ、毒屋かよ」

唇を吊り上げ、アーチBDはおとぎばなしの悪い魔女のように笑う。今回は自嘲も入り混じっている。

(灼熱のカーテンの内側で、なにかいい夢でも見たかよ、俺)

(こっちが俺の日常。四方八方、四六時中、撃たれ、射抜かれる用心を360度全開に要する戦場だ)

「あんたの母ちゃんね、俺の店のお得意様だったよ。勃起持続薬を、連日のように買っていくいいお客さんだ」

男の頬がひくひくと引き攣る。くくっと少年は嫌味な笑いを添えた。

「その日の注文は『勃起時間短縮薬』だった。

俺は思わず渡すときに確認したよ。『勃起の時間が短くなる効果ですが、本当にいいんですね?』と。

あんたの母ちゃんはつまらなそうな顔して、こう答えた。『いいのよ短くて。だって今日の相手は旦那なんだもの』」

赤くなったり青くなったり、顔面変化を見せつけフリーズする男の横を抜け、アーチBDは避難所に駆け込んで行った。


アーチBDの生業に対する仮称、もしくは蔑称「毒屋」。

薬草を扱い調合を行う職業は、病院の専属調合師や、貴族や上級市民お抱えの薬草師などあるが、それらをピンとすると、アーチBDが店を構える「裏通りの薬屋」はキリの側だ。

魔女の裏口とも呼ばれる「毒屋」は、先に挙げた薬品の他、精力剤、興奮剤、媚薬、潤滑油、性欲亢進剤、避妊薬、妊娠薬、下剤、堕胎薬などなど、性と生、人間の下にまつわるあらゆるものを取り扱う。個別注文にももちろん応じる。

人間の生活になくてはならない、しかし理想的な人生から隔絶したい現象を身近に扱うからこそ、アーチBDは忌避されなくてはならない。薬作りに尽くした証拠を晒して差別を受け、生きなければならなかった。


避難所内部は、アーチBDにとって普段の生活、敵だらけの日常延長線上に違いなかった。

火傷の治療を受けようと、治療師の列に並べば、毒師の証明である黒い前髪と染まった爪に、椅子ごと引いて距離をとろうとする治療師が現れる。

肩をすくめアーチBDは、猛毒の申し子の異名に相応しいせせら笑いで、五十歩百歩の逸話を一説ぶってやるのだ。

避難所内部には、床に簡易寝台が並べられ休めるようになっている。空いた場所を自由に使っていいとのことで、見繕った空きベッドに腰を下ろせば、となりの老爺が騒ぎ出す。曰く「わしの隣に毒屋を案内するとは何事だ」とのことだ。

にっこり笑ってアーチ少年は毒舌の先制攻撃をかましてやる。

「この前、俺の店で勃起薬を購入してくれたおじいちゃんですよね、ありがとうございます」

「わ、わしが毒屋の店をつかうわけなかろうがっ」

「俺の調合した勃起薬はどうでした。効果は弱いので構わない『小便のとき、手にかからない程度に勃てばいい』なんておっしゃるので、本当に……心の底から、気にかけていたんですよ」

血管浮かべて憤る老爺に、アーチBDは天国への道のりを手助けしてやる言葉を――別名、煽り――を次々と追加した。

おだやかな第三者がなだめようと割って入るのにも、少年はようしゃなく毒の刀で切り付けてやる。「み、味方の陣地で斬られた……なぜ?」的な第三者の表情を見るのは、スカッと胸がすく気分だ。

居丈高にふるまい、毒の胞子をふりまく猛毒の申し子の快進撃が止まるのは、些細な出来事だった。

鉄の軋み。少年の肩がピクリと反応する。

扉が開いて入室する人影を、注視せずにはいられなくなる。一刻も早く正体を確かめたくて、戦場を放棄し身を乗り出したりもする。

(あっ……なんだ。違う人だ……)

胸の上で握ったこぶしが、ぎゅっと服に皺を作る。


入室してきたのは鉱山関係者らしく、被害の程度を専門用語を交え、事務所の人間と話している。

「……ってな具合だな。ただもう残っている人間はいないようだから、その点は安心だな」

「お前、全部見回ってきたのかよ」

「いやいや、自分のほかにもう一人、黒髪の若いのが居て、彼が下層をほとんど見て回ってくれた」

黒髪の若いの、の単語にアーチ少年は耳をそばだてる。

「ああ、なんか聞いたような。領主様のところからの助っ人だっけ」

「そうなんだ。若いし素人だしで、足手まといにならないか心配だったんだけど……ちゃんと弁えているし、知識はあるし、最後には耐熱底の靴の改良案まで出していってくれたよ」

感嘆するような男の言葉に、アーチBDは自分の事のように嬉しくなる。

(……そりゃあ、まあ。異世界からの稀客だもんなっ)

自分だけが独占している情報が、得意な気分にさせてくれる。

「で、その強力な助っ人はどこいったんだ?」

「彼は東の出入り口から帰っていったよ、多分、領主の所に戻るんじゃないかな」



半日ほどでG鉱山の現象は沈静した。当日、現場入りしていた1000人弱から、幸い一人も死者は出なかった。百人ほどの軽症、数人の重傷者も命に別状はない。

採掘最前線の切羽数十か所がマグマに埋もれ、鉱山再開のあてもなく、国の経済的損失、職を失った多数の鉱夫への対処が社会問題として噴出し、異世界よりの稀客、人助けに奔走した若い少年の話題はまだのぼることはなかった。

ただ一人を除いて。


身支度をまとめてアーチBDは領主の館に来た。

長い距離を移動した疲労もなんのその、巨大な建物の威圧的な門をあちこち覗いて観察する。

「おい、お前。領主様の館に何の用だ」

門前に構える二人組の門番の片方が威嚇的に発してくる。

門番に咎められるのは重々承知だが、態度が気に食わない。髪を払い、前髪の黒い烙印をこれみよがしに見せつけてやる。

「なんだなんだ、毒屋か。そんなものに用はない。領主様には御用達の薬師がいるからな」

はい、復讐のための言質いただきました。少年は挑戦的に目を細める。

「俺、ここで便所を借りようと思ってさ」

「はぁあ? 便所だぁ?」

「庭園の、ここから見える小さな建物が野外トイレじゃないのかな。たぶん、右側の赤い看板がかかったドアは婦人用トイレ。左側の青い看板がかかったドアが紳士用トイレ。

ああ、でもあんたに道案内ができるはずもないか。だって、だってあんたみたいに下品で粗野な人間は、紳士用トイレの使用不適格者だもんね!」


くくっと吹き出し、腹を抱えたのは門番のもう片割れの方だった。

「…………っ、き、きさ……貴様……っ」

ようやく牛並みの鈍い脳の持ち主がジョークを解し、脳に顔に血を上らせる。

猪突猛進の単純な攻撃をひょいひょいかわす猛毒の申し子は、テンポよく刻んでいた回避のステップが不意におろそかになる。

(…………っ、あいつは!?)

館の玄関に横付けされる馬車、乗り込む人影。門からは100メートルほど距離があるが、直線だし、何よりあの黒髪を見間違えるはずがない!

電流に打たれたようにアーチBDは立ちすくむ。

あからさまな隙を見せたツケはすぐに訪れ、首ねっこをぐいと引っ掴まれ、小柄な少年は持ち上げられた。両手両足をジタバタさせることしかできず、怒りマックスの門番の温度がすぐそばに迫っている。

馬車が向きを変え、開門された門を目指して走り出す。

「た、助けてっ!」

御者が目を剥き、馬車の窓が開いた。異世界の稀客が顔を出し、黒髪を翻して辺りを見渡す。

「ここっ! 助けてっ! 犯されるっ!!」

矢巻に向かって、必死に訴え手を伸ばす。

性犯罪者呼ばわりに拘束の手がゆるんだこと、馬車のスピードがまだ上がりきっていなかった二つの幸運が働いた。

バタンと走行中の馬車のドアが開く。差し出される腕に応じて、懸命にアーチBDも手を伸ばし、空中ブランコのような息の合ったタイミングで確保がなされ、二人の乗客を乗せた馬車は門をくぐり、大通りに出た。


順調に馬車は走っている。車窓の景色は町中から郊外に移り変わりはじめていた。

箱型席に向い合せに座りながら、アーチBDは居心地悪くしている。静かに見つめる矢巻の視線が気になってならず、もじもじ憶することは性に合わないと自覚している少年は、思い切って発した。

「そ、そんな、疑いの目つきでジロジロ見るなよっ」

「……えっ、疑いの目つき?」

「ど、どうせ犯されるなんて嘘だろうって、お前みたいな奴が好まれる訳ないだろうって」

「そんな……そんなことはない、おれは君のこと綺麗な子だと思っている」

「っ!」

「すまない、同性に綺麗はないか。おれの世界の言葉で、イケメンはどうかな」

「…………」

改められた単語の意味は分からないが、胸が詰まったまま何も言えないのは変わらない。肌がぴりぴり敏感なような、全身を包むそわそわ感は、さっきより重症化したようだった。


「あ…あんたは、馬車なんかでどこへ行くつもりなんだ?」

これを言い出すタイミングは重要だった。

「少し北にある雪山に行く予定なんだ……そうだ、あまり遠くに行く前に君を降ろす場所を決めないと」

ほら来た。絶対に降りない。そのためには矢巻のペースにまきこまれないこと。

「アーチBD!」

「え」

「俺の名前だよ。いつまでも君呼ばわりすんな」

「あ、ああ……アーチBD。その、君をどこで降ろせばいいか……」

「降りないっ!」

矢巻のペースで展開させないためには、自分のペースに巻き込んでしまうことが重要だ。24時間戦いつづけた猛毒の申し子は人の弱みを見抜くのに長けている。

「あんたは俺の名前を覚えるんだよ……馬車から降ろさずに連れ歩くんだよ。あんたは俺を雇うんだ」

「……雇う? 君を……アーチを?」

「ああ、そうだっ! あんたはっ、異世界の人間なんだろうっ……? この世界のこと、何も知らないだろうっ……? 教えてやる奴が、必要だろうっ!?」

「確かにおれは異世界の人間だし、この世界の事も知らないけど」

「わ、わざわざっ、俺はっ、店を休業にしてまでっ、お前に教えにやってきたんだからなっ!」

「……」

「まっ、毎日腰痛の薬を買いに来るババアにも、薬草の仕入れ先にもっ、引き留められたけどっ! どっちも足蹴にしてっ、あんたの役に立ってやろうとしているんだから……っ、袖にする権利がっ、あると思うなっ!」

「……この世界で君の歳は独り立ちしているのが当然なのだろうけど、それでもご両親が心配する年齢だと思…」

「俺、捨て子だったから。学園時代もそういう孤児寮に入ってた」

「…………そうか、すまない」

矢巻智治の沈思黙考のあいだアーチBDは、息を詰めすぎて顔を真っ赤にしていた。息の吸い方すら、頭から消失してしまうような集中は、生まれてはじめてだ。

永遠にも感じる沈黙の末、「分かった」が返ってきたときは、酸欠のあまり卒倒しそうになった。


ともあれ雇用契約は結ばれ、アーチBDがお礼と自己紹介をする時間はたっぷり得た。

職業についてはとりあえず、薬草を扱い、薬の治療に長けた薬師だと説明しておく。

「そうか。アーチはおれより年下で、もう手に職を持っているのか。すごいな」

ニホンで学生だったという矢巻は、しきりに褒めてくる。

「こ、この世界の教育システムを、お前は知らねーだろうからな。か、簡単に説明してやると、8歳から15歳まで国の機関で教育を受ける。共通過程を学ぶ六年間。その後は武系と文系に分かれて専門的な勉強をする」

「そして15歳で卒業するのか」

「ま、騎士訓練所に行ったり、聖職者志望なら神学校に通ったりする奴もいるけど、ごく一部だな。だいたい15歳で学んだことを生かして、職についたり生業を持ったりする」

「おれの国ではまだまだ親の庇護下にある年齢なのに、しっかりしているものだ。アーチも年下とは思えないほど、しっかり者だな。薬師という手堅い職業は、アーチ自身が見極めて決めたものなのだろう?」

「……ああ、まあ自分で選んで、弟子入り希望を申し出ておくパターンもあるけどさ、基本的には卒業式典で、成績や能力で選別され指名されるのが多いかな」

「卒業式典?」

「王宮の中庭にあるでかいすり鉢状の広間で、卒業生全員と、卒業生をスカウトしたい奴らが集まってさ……指名していくんだ……けど……」

快活だった少年のお喋りが唐突に重く切れ切れになるのを、不審に思った矢巻智治は声をかけようとした。

それより先に馬車が停止し、御者が到着を告げた。

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