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3回目 12歳 悪役令嬢の扇ことば講座 中篇

 事件はサロンがお開きになり、帰宅のために王城の正面玄関へと移動していたときに起こった。


 途中で寝てしまったユスティナを回収し、大広間と正面玄関を繋ぐ廊下へと出ると、ちょうど反対の野ばらの間へ続く廊下から歩いてきたクリフォード=アロルズと鉢合わせた。

 彼は一人ではなく、後ろに数人の令嬢を引き連れている。


 クリフォードの姿を見るなり、それまで私と手を繋ぎ、眠い目を擦りながら引きずられるように歩いていたユスティナの背筋がピンと伸びた。

 私の手を離し、きゅっと引き結ばれる唇。

 その表情に眠気など、これっぽっちもない。


 たとえ敵対している家の者同士とはいえ、挨拶なしに無言で通り過ぎるわけには行かないので、私もユスティナもスカートを摘み、軽く会釈した。

 クリフォードも胸に手を当て、会釈を返す。


 普段ならそれで終わりだ。

 無理に話をすることなく、一定の距離を保ってお互い正面玄関へと歩いていくのが常だ。

 しかし今回、そうはならなかった。


「クリフォード=アロルズ、お待ちなさい」


 小さな子供特有の甲高い声が、王城のメイン通りとも言える広い廊下に響く。

 ユスティナの声だ。


 クリフォードの一団が歩みを止めた。

 彼自身は無表情だが、周りの取り巻きは何事かとざわつく。

 その喧騒に怯みもせず、ユスティナは堂々とした足取りでクリフォードの正面に回り込む。

 そして……ペシッ!


「……ふふん!」


 己の唇に閉じた扇の柄を触れさせた。

 その瞬間、場の空気が凍る。

 空気だけではない。その場にいた人々全員が凍った。驚嘆を顔に浮かべながら。

 まぁ、すごいっ!ユスティナちゃんは水魔法も得意だけど、氷魔法もとってもお上手なのねっ。みんな固まって凍てつくような空気だわっ。


 …………って冗談、心の中で入れてる場合じゃなぁぁぁぁぁい!!


「…………え、えっと」


 私が小声でどうしたものか、意味もない言葉を発すると、周囲も魔法が解けたかのように動き出す。

 ユスティナとクリフォードを中心に狼狽の波が広がった。


 ユスティナもクリフォードも6歳児。

 これが普通のお子様であったなら、ユスティナの扇言葉に対してここまで周囲は動揺しなかったであろう。

 子供が意味も分からず大人を真似て、遊んでいるのね、あら可愛らしい。で、済んだはずだ。

 しかし、不幸なことにユスティナとクリフォードは自分の意思に関わらず、敵対する二つの家名、グランベルノとアロルズを互いに背負っていた。


 子供の可愛らしいままごとも、この二人であったならば、ユスティナの行動は嫌味なのか本気の恋なのか、憶測が社交界を飛び交いスキャンダルの餌食だ。


 前者なら二家間の冷戦勃発かと疑われ、後者なら宮殿に出入りしている詩人や演劇の脚本家に目を付けられ、6歳にして敵同士で惹かれ合う、涙なしには語れないすれ違い心中モノ、“ザ・ロミジュリ”な恋物語に仕立て上げられてしまう!

 どちらにしろ姉である私は監督不行き届きで当主様おとうさまに断罪されてしまうよ!


 はて、姉としてどうするべきか、私が迷っている間にも、空気が読めないというか空気を読むって何? 美味しいの? な我が妹と何を考えているのかさっぱり伺えない鉄面皮少年の攻防は続いていた。


 唇に扇子。

 無表情。

 ふふん!


 唇に扇子。

 無表情。

 あれ? 思っていたのと違うぞ、な不安気な表情。


 唇に扇子。

 無表情。

 涙目になってきた。


 唇に扇子。

 無表情。

 あ、泣きながら姉を見た。


 唇に……

 いや、もう泣いてるでしょ貴女!

 どんだけ悔しがり屋さんなの!


 泣きながらも、生来の負けず嫌いでひたすら「唇に扇子」を続けようとする妹の手を私は止めた。


「う、うー……」


 ユスティナが私の腰に抱きつきてドレスに顔を埋める。

 あーはいはい。泣かない泣かない。

 お姉ちゃんもちゃんと扇言葉の意味教えなかったのは悪かったよ。教えてればこんなことにはならなかったのに。


 私は抱きついたまま離れない、ユスティナの頭を優しく撫でた。


「大変失礼を致しました、アロルズ様」


 さて、どこまで許されるか分からないが事態を収拾せねばならない。


「お察しかとは思いますが、妹は扇言葉について、少々思い違いをしているところがございます」


 私のスカートにしがみついていたユスティナが、顔を上げて私を睨みつけた。

 口を開き何か言おうとしたところ、無理矢理スカートに押しつけて何も言えないようにする。

 ユスティナはもちろん不満で、もがふがと何か言っているが、気にせず頭を撫でる。どうどう。

 ……鼻水着けられてるかもな。


「小さな子供が好奇心に駆られての所業ゆえお許しください」

「それは今回のことは見なかったことにしろ、とおっしゃりたいのでしょうか」


 言葉を発したのはクリフォードではなく、隣にいた執事だった。


「随分とそちらに都合が良いように思えますが」

「それは……」


 勝手に突っかかって来て、勝手に無かったことにしようとしてるんだものなぁ。

 敵なら漬け込んで足を引っ張りたいところでもある。


 答えに窮していると、思ってもいないところから声がかかった。


「ルージェ嬢、扇子はお持ちですか?」


 て、鉄仮面少年が喋った、だと!

 声をかけられたルージェ嬢、隣にいたオレンジのドレスの少女も突然のことで、狼狽えている。


「ないのでしたら、レファリアス嬢……」

「い、いい、いえっ!ありますっ!お使いくださいっ!!」


 他の令嬢に役目を取られそうになったところ、素早く扇子を差し出した。紫色で目が痛い。

 人形の様な無表情少年クリフォードは紫色の扇子を受け取ると私たち姉妹に向き直った。

 それに気づいてぐずぐずと泣いていたユスティナが顔を上げる。


 人形はガラス玉の様な紅い瞳でユスティナを見つめた後、そっと扇子を左耳に当てた。

 ユスティナが、何が起こったのか分からないという表情で固まる。


 クリフォードはユスティナの態度には構わず、もう一度左耳に扇子を触れさせ、持ち主に返した。

 そして、そのまま何事もなかったかのように王城の出口へと向かう。

 ただ、彼が歩き出すほんの一瞬、気づくか気づかない程度に、フッと軽やかな呼気が零れる気配がした。


 え? 笑った?

 私はすぐさまクリフォードを見ようとしたが、少年人形の顔は砂色の髪に隠れ、確認することはできなかった。

 執事をはじめ、煌びやかなドレスたちも彼につき従って歩き出す。みんな、特に執事は戸惑った様子だ。


「お、お姉さま。今のは……」

「え?ああ、うん……“私の前から消えろ”」

「なっ!」


 ユスティナちゃん、大ショック。


「そんな! 勝つのは私だったはず!」


 私のドレスにしがみついて、べそべそ泣いていたのに、その自信はどこから来るのやら。


 でも、もしクリフォードがあの時笑っていたのだとしたら……。

 私はユスティナの涙でぐちゃぐちゃになった顔をハンカチで拭いながら思った。

 あの時、クリフォードが扇を使って「去れ」と言ってくれたことで、グランベルノ家の失態はうやむやになってしまった。

 クリフォードがどういうつもりで行動したのかは分からない。

「扇言葉もまともに使えない、バカめ」と嘲笑ったのかもしれない。

「やれやれ、面倒事はごめんだよ」とため息交じりに呆れたのかもしれない。

 どうであれ結果、クリフォードは最低限の行動でユスティナの危機を救ったことになる。

 これはもしかしたら、クリフォード本人との勝負は負けたけれど、周りの取り巻き令嬢達にはある意味ユスティナは勝ったんじゃないの?

 常に周りに無関心を装うクリフォードが、ユスティナだけは無視しなかったってことだものね。

 それに、クリフォードの笑顔なんて乙女ゲームでも激レアだからね、妹よ。


 私はユスティナの頭を励ますように撫でた。

 おっと、そうだ。クリフォードのサインの他にユスティナには早く教えなければならないことがもう一つあるんだった。

 また勘違いしてユスティナが他の貴族に使うのはまずい。


「あー、それからもう一つ教えますが」


 私はユスティナに、唇に扇子を当てる動作の意味を耳打ちした。

 途端にユスティナは顔を真っ赤にして震えだす。


「な、なななっ、ならば何故、あのようにエリオリス殿下は慌てていらしたのですか? 婚約者なら慌てる必要などないのでは?」


 ユスティナちゃん超ショック。


「わ、私はてっきり勝負事の様なものでお姉さまが殿下を負かしたものとばっかり……」

「うーん……婚約しているといえどそこに必ず愛があるものではないのです。私と殿下もしかり。特に私と殿下の婚約は政略的意味合いの強い婚約ですので、殿下も私のあの様な突然の行動に驚かれただけですわ」


 あと予想通り据え膳食べないヘタレだったってことね。


「そんな! 何故早く教えて下さらなかったのですか! 知らなかったとはいえ、あのアロルズになんて破廉恥なことをっ!」

「それは申し訳ないと思っています」

「それに、お姉さま!婚約者だからって愛がないのに、あ、あんなことを殿下に要求なさるなんて、淑女としていかがなものかと思いますわ!」

「俺も妹君と同意見だな」

「……え?」


 姉妹の会話に突然、入ってくる者がいた。


「エリオリス……殿下っ!」


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