ガロウナムス防衛戦前夜
「これより、明日の動きの確認を行う」
あれから二日後、遊撃部隊はラミアさんの部屋に集まっていた。
彼女の部屋は黒を基調とした色でまとめられており、変な置き物や分厚い書物が並ぶ大きな棚が二つある。
僕達は部屋の中央に置かれた黒の丸テーブルの周りを囲むように座っていた。
「戦王からの通信によれば明日、ガロウナムスに【溶獄】の魔人が襲ってくる」
「【溶獄】……」
それは、フルミネが今の体になる元凶となった魔人。彼女にとって、深い因縁のある相手だ。
「フルミネは無理をしなくともよい。トラウマ、なのだろう?」
「……いえ、もう大丈夫です」
「……それなら、魔物の方を頼む」
「でも、それじゃあ魔人は……」
不安げな様子のフルミネに、ラミアさんは笑って答える。
「今回は我とグラス、ウリエーミャもいるのだ。魔人一人の相手としては過剰戦力とも言える。安心するがよい」
「……テトさんは?」
テトさんも七聖の筈だけど、魔人の相手はしないのだろうか。
「シン、テトは七聖の戦力として考えない方がいいですよ」
「……すまん、そういうことだ。俺に期待はしないでくれ」
「は、はあ」
シンシアさんの言葉に加え、テトさん自身からもそう言われてしまうと、それ以上は何も言えなかった。
「皆には、北側の防衛補強を頼む」
「ラミアはどうすんだ」
「我は第三部隊と共に東側に行く。ウリエーミャは第一部隊と共に西側、グラスは単独防衛で南側だ」
「えっ」
フルミネは驚くように声を漏らす。
僕も驚いた。グラスさんはたった一人で魔物達を止めるつもりであること……そして、それに対して誰も疑問を持っていないことに。
「フルミネ? どうした?」
「……師匠は、どうして一人なんですか?」
「ああ、そのことか。グラスは広域制圧ができる神器なのでな。半端な援軍では巻き込まれるだけで、足手まといになりかねんのだ」
グラスさんの強さは飛行船の時に直接この目で見た。だから、ラミアさんの言っていることも理解できる。
それでも、今回は魔人がいる。魔物だけ倒して「はい、終わり」なんてできない筈。そもそも……。
「僕からも一つ聞いていいですか」
「何でも聞いていいぞ。できるだけ疑問はなくして明日に臨もう」
その言葉に甘えて、僕はこの話の大前提について質問する。
「魔人は、どの方角から来るか分かっているんですか?」
ホムストの時は予め魔人の存在を確認することができたため、一方向の防衛だけで済んだ。
しかし、今回は四方を固めている。魔物が四方から攻めてきたとして、魔人は一人。
ラミアさんは魔人に対して過剰戦力だと言っていたが、それなら何故三人が分かれる必要があるのか。魔人のいる方角に戦力を集中させた方がいいのではないか。
「分かっていませんよ」
シンシアさんが口を開く。
「ですから、北側に魔人が現れた時は私とテトで時間を稼ぎます。その場合、北側以外は魔物を殲滅次第、順次こちらに援軍として向かってもらう運びとなります」
「……そうですか」
戦王の[王眼]があっても、そこまで詳しくは分からないらしい。
「北側に来ませんように……」
「腹を括ってください、団長」
「……やっぱり嫌だなあ……」
テトさんは机に顎をついて項垂れている。
「シンシア、魔人がいたら通信寄越せ。俺も行く」
「援護、行く」
グラディスさんとレティも、魔人の足止めを手伝うらしい。
その時は僕もそうしようと考えていると、グラディスさんはこちらを見ながら言う。
「その時は、シンとフルミネは他の部隊に合流しろ」
思いもよらぬ言葉にグラディスさんを見ると、彼は僕の考えていることを見透かすように言った。
「あのな、自惚れんな。お前らはまだ騎士団に入ったばかりの新人だ。フルミネは七聖だが……シン、お前はまだ刀の基本戦型すら形になってねえだろうが」
「それでも、魔人とは戦ったことがあります」
「で?」
グラディスさんのそれは"だからどうした"と言わんばかりの物言いだった。
「邪魔」
「フルミネはどうしたいですか?」
レティの突き放すような言葉の後に、シンシアさんはフルミネに問いかける。
「わたし、は……」
――フルミネの声は、震えていた。
「シン、お前は突っ走りすぎるなって。俺達は別に仲間外れにしたい訳じゃないんだ。シンがこっちに来たら、誰がフルミネの側に居てやれる?」
テトさんの言葉にハッとする。そうだ、僕はフルミネを守りたくて、助けになりたくて、共に騎士団に入ることを望んだ。
それなのに、僕は今、フルミネを置いていこうとしていた。まだトラウマを完全には克服できていない彼女を置いて。
「すみませんでした……」
「分かればいいから。俺達のこと、少しは信用してくれよ?」
「それ、団長が言うんですね」
「それは言わないお約束」
「そんな約束ありません」
不安や心配は消えないけれど、魔人が北側に来ることが決まった訳ではない。だからこそ、僕はフルミネを支えることに集中しよう。
「では、いつも通り、私とテトで最前線の固定砲台となります」
「固定砲台……あ、いえ、なんでもないです」
思わず声に出してしまい、慌てて口をつぐむ。一つ一つ聞いていたら、話が進まないだろう。
「あ、そうですよね。失礼しました。私達のいつもの流れを説明すべきでした」
「そういえば、未だに我らのスキルについてもあまり話していなかったか。この機会に話しておくべきだな」
そう言うや否やラミアさんは自分の親指を口に突っ込み、噛む。そして、口から出すとその親指から、少なくない量の血がボタボタと机の上に落ちる。
僕もフルミネも、突然のラミアさんの奇行に固まるしかなかった。
「む? どうした二人とも」
「ラミア……せめて説明してから見せるべきでしょう」
「実際に見せた方が早いだろう」
「それはそうですけど……」
ラミアさんが机の上に手を翳すと、机の上の血は生きているかのようにうねうねと動き始める。
「何ですか、これ」
「我……というより、吸血鬼の固有スキル[操血]だ。見ての通り、己の血を操ることができる」
「だ、大丈夫なんですか……?」
フルミネが心配そうに、ラミアさんの親指を見ている。傷は残っているが、彼女の出血は既に止まっていた。
「吸血鬼は魔力を血に変える別の固有スキルもあるからな。貧血にはならんよ」
流石は吸血鬼、血には困らないらしい。
しばらくすると、机の上に小さな赤いドームが出来上がる。
「これがテトの神器で、シンシアとテトがこの中にいるとする」
ドームの周りを囲むように、赤いスライムのようなものがうねうねと生まれた。
「これが【溶獄】が生み出す魔物、"スライム"だ」
名前、そのままだった。覚えるのが楽だからいいけど、普通に驚く。
誰がどんな理由でこの名前にしたんだろうか。
そんなことを考えていると、ラミアさんは再び血を動かし始めた。
スライムがドームに近づくと、ドームの周りから赤い棘のようなものが生まれる。それは全方位に撃ち出されて、スライムに突き刺さった。
「こうしてシンシアの[錬成]によって土から作られた剣が[念力]によって永続的に撃ち出される。これが固定砲台だ」
「永続的、ですか」
「シンシアの魔力は底なしだからな」
「……底なし?」
「見ますか?」
シンシアさんは自分のステータスカードを僕とフルミネの方に差し出してくる。
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シンシア 25歳 女 人間
魔力:error
魔法:
スキル:[錬成][念力][気配遮断]
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――"エラー"は初めて見る表示だった。
ホワルからは最高表示でもSSSだと聞いていた。しかしこれは、それすらを上回る魔力を有しているということなのだろう。
"永続的に撃ち出せる"というラミアさんの説明にも納得できた。でも、まさか[気配遮断]まで持っていたとは。
「制御が出来なければ、持っていても意味がありませんよ」
「でも、七聖を抜きに考えればシンシアは最強の矛になる」
――シンシアさんの言葉の後に、テトさんはそう言い切った。
シンシアさん自身も驚いたようで、目を見開いてぱちくりさせている。
「制御ができないなら、周りを巻き込まない場所で砲台になればいい……だから、俺達はいつも最前線のその先で迎撃してる。俺の魔力が尽きない限りだけどな」
その後に、テトさんは「それに比べて」と言葉を付け足す。
「俺は魔力が尽きればただのお荷物。女に守られる恥ずかしい団長だよ」
「そんなことありません!」
シンシアさんはバンッと机に両手をつく。そして、身を乗り出してテトさんの言葉を強く否定した。
僕達は呆然としながらシンシアさんを見ると、彼女は我に帰ったのか気まずそうに正座し直した。
「ありがとな」
「……副団長として、当然のことを言ったまでです」
テトさんの感謝に対して、シンシアさんは素っ気なく答える。けれど、彼女の顔は仄かに赤い。
「テト、シンシア誑し」
「レティっ」
「どゆこと?」
「団長は知らなくていいですっ」
テトさんはレティの言葉の意味を理解していないらしく、首を傾げている。
彼がラミアさんに"朴念仁"と言われていた理由が分かった気がした。確かにこれは朴念仁だ。
「話、戻してもよいか?」
「――っ、はいっ、どうぞっ」
シンシアさんはどうにか誤魔化したいのが見え見えである。彼女の意外な一面が垣間見えて、少し面白かった。
「テトは[直感]……まあ、名前通りの能力だな」
「発動条件もよく分からない外れスキル。俺もグラディスみたいなスキルが欲しかった……」
「んなこと言われてもな」
テトさんはため息を吐いて、羨ましそうにグラディスさんを見る。グラディスさんは困ったように頭を掻いた。
「グラディスは[石頭]と、竜人の固有スキルである[火炎]と[竜鱗]だったか」
「ああ」
火の魔法はまだ【煉獄】のものしか見たことがない。けれど、[火炎]はあくまでスキル……何が違うのだろうか。
「[火炎]って、魔法ではないんですか?」
「竜人には"火炎袋"って器官がある。魔法より燃費は良いが、魔法みたいに応用は利かねえ。火を吐くだけのスキルだ……って、何を期待してんだ。見せねえぞ」
顔に出てしまったらしい。そして、見てみたかったけど見れないのか。残念。
「そんなに見たかったのかよ」
「グラディス、ここで吐くなよ? 怒られるの我だぞ? 絶対吐くなよ?」
「だから吐かねえよっ……明日、見るなら勝手に見てろ」
「――っ!」
どうやら明日見せてくれるようだ。不謹慎かもしれないけれど、楽しみにするのは許してほしい。
「ありがとうございますっ」
「期待しすぎだろ」
飛行船で見た竜は火を吐いたりしてこなかった。いや、あの時は吐かれても害しかなかったけど。
竜(人)が火を吐くなんてファンタジー要素、期待せずにいられる筈がない。
「最後はレティだな」
「……ん」
レティは机の上にステータスカードを置く。
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シンシア 14歳 女 人狐
魔力:B
魔法:
スキル:[柔軟][筋力強化]
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「狐だったんだ……」
「あ、そこなんですね」
「そういうとこ見てると、本当にこの世界で育った訳じゃないんだな。俺、今も異世界の存在自体信じられてないけど」
「グラスや過去の事例がなければ我も信じていなかったかもしれん」
皆は獣人の区別ができるらしい。
レティの尻尾を見れば、先が白い。狐の尻尾と言われると確かにそう見える。
レティは僕の視線に気づくと、自分の尻尾を抱き寄せた。そして、彼女は僕を警戒するように机から距離を取る。
……泣きそう。
「話、終わり?」
「まだです。レティは帰ろうとしないでください」
――その後、僕達は明日の動きを確認し、各々の部屋に戻った。




