復讐の歯車
「……今、何て言ったのかしら?」
「もう戦争はしない」
ウリエーミャの問いに、グラスさんは迷うことなく答える。
「何言ってんのよ? まさか、怖じ気づいたの?」
「ああ、そうだよ」
ウリエーミャはグラスさんに詰め寄り、乱雑に胸ぐらを掴み上げる。
「魔人を殲滅させない限り、この世界は平和にならないのよ!?」
「それで、お前は何回失敗を繰り返してる?」
「――っ、このっ……!」
ウリエーミャが拳を振りかざしても、グラスさんは何も抵抗しない。それどころか、静かに目を瞑ってしまう。
「なんとか言いなさいよ!」
「……なら言うが、明確な勝算はあるのか?」
「そんなのっ、やってみなきゃ分からないでしょ!?」
「四百年前のことを忘れたのか?」
グラスさんその言葉に、ウリエーミャは何も答えることができなかった。
そして、手を震わせながらゆっくりと手を離す。
「すまんな、あたしの寿命が長いせいで。あたしもあの時一緒に死んでいれば、こんなこと言う奴はいなかっただろうな」
「グラス、落ち着け」
「あたしは落ち着いてる」
戦王はグラスさんをたしなめようとするが、取り付く島もない様子の彼女の答えにため息を吐く。
因みに、僕は半分会話についていくことができていない。四百年前に何があったのかも分からない。
だからといって、ここで「説明をください」なんて口を挟むこともできないのだが。
「今の話を聞く限り、俺も全面戦争には賛同できん」
「なんでよ!」
「ウリエーミャ、お前も少し落ち着け」
「落ち着いてるわよ!」
全然落ち着いてないのは僕でも分かる。
「シン……すまん。時間も時間だ。今日は席を外してくれ」
「……はい」
睨み合う二人を横目に戦王は僕に耳打ちしてきて、僕もそれを了承した。
もう既に聞いてはいけない話に入りかけてたが、必要に応じて忘れよう。
……必要に応じて忘れようってなんだろう。
「――どうした?」
「あ、いえ、失礼します」
戦王に小声で言うと、僕は早々にその部屋から退室した――。
▼ ▼ ▼ ▼
グラスはウリエーミャを睨むのをやめ、今度は俺の方を向いて口を開く。
「……なんでシンを部屋から出した? あたしはその必要なんてないと言ったんだが」
「俺が必要あると思ったからだ」
案の定、グラスは怒りでまともな思考回路ではなくなっていた。
……それに、時間も時間だ。日付も恐らく既に変わっている。
「アルバ、どうして戦争に賛同できないのよ!」
今度は俺を睨み付けてくるウリエーミャに俺は言った。
「明確な勝算が欠けている」
「あんたもそれ!? 人数では圧倒的にこっちの方が多いのよ!?」
「……六対三で、四百年前に負けたんだろう?」
「ぐぅっ……」
ウリエーミャは言葉を詰まらせる。
俺もそこまで前のことはあまり知らない。
それでも、記録なら残っている。そんな記録が残っている以上、魔人に真っ向から挑むなど馬鹿げている。
「しかも、文献によれば大敗だったらしいな? こちらの土俵だったというのに」
「そ、それはっ……」
「魔人にはその人数差や策、地形をものともしない何かを持っているということになる」
「だからって、このまま魔人を放置するの!?」
相変わらずの脳筋思考をどうにかしてほしい。少しは考えろ。誰も放置するとは一言も言っていない。
「せめてもう一手欲しい」
「……! アルバ、それって……!」
ウリエーミャは目を見開いて俺を見た。ようやく理解したか。
「明確に勝利を確信できる一手を手に入れることができたなら、俺も戦争はするべきだと考えている」
「分かったわ。それなら、今は納得してあげる」
「おい、アルバ」
「グラスも分かっている筈だ。停滞からは悲劇しか生まれない」
「……分かってるよ」
そう言って、グラスは苦虫を噛み潰したような顔になる。
グラスの言いたいことは分かる。四百年前を繰り返すことはしたくないのだろう。
俺も負けるつもりは更々ない。だが、三獄を圧倒したあのエクレールをも殺した【魔王】が向こうにはいる。
しかも、魔人は使徒と同じようにほぼ不死身であることも分かっている。
だからこそ、最悪でも、俺以外の五人が死ぬことなく魔人を殲滅できる一手が欲しかった。
……その一手さえ手に入れられれば、魔人を殺せる。人類が魔人に怯える歴史を終わらせられる。
そして、エクレールの……俺の最愛の仇が討てる。
▼ ▼ ▼ ▼
フルミネの様子が気になっていた僕は、寝る前に彼女の部屋を訪れることにした。
「フルミネ、入っていい?」
「……うん」
扉を開くと、ベッドに腰を掛けて俯いているフルミネの姿が見える。
僕は無言でその隣に腰掛けると、彼女はぽつりと呟いた。
「あの時、何も言い返せなかった」
「あんまり気にしない方がいいんじゃない?」
僕もあのグラスさんの質問で気づいた。この世界の歪さに。
でも、魔人は理由もなく人を殺す。人で遊んでいる……僕はそんな印象を【煉獄】に抱いた。
あれは正真正銘の悪だ。だから、フルミネの認識も仕方のないことであり、そこまで気に病む必要もない。
「私、間違ってるのかな……」
「間違ってはないと思う」
「正しくも、ない?」
どうなんだろう。これは"正しい"って言い切れるのだろうか。けれど、確かに分かっていることはある。
「二人とも、間違ってはない」
「……?」
「フルミネの復讐は駄目って気持ちも、グラスさんの理屈も、どっちも間違ってはない。正しいかって言われると微妙だけど」
難しい話だ。この世界の人々の共通認識として"魔人は敵である"というものがある。
つまり、魔人を人として扱うのか、災害として扱うのかでも大きく認識が変わってしまうのである。今回はその最たる例だろう。
「だから、考えすぎない方がいいよ。魔人が敵ってことには変わらないんだから」
「……うん、ありがと」
「どういたしま――――っ!」
いきなり腕を引っ張られ、僕はフルミネの上に覆い被さるように倒れ込んでしまう。
気がつくと彼女の顔が目の前にあり、吐息が鼻をくすぐる。
彼女がどうしてこんなことをしてきたのか分からないが、僕の心拍数はしっかりとこの状況を理解しているかのように上昇する。
とにかく、早く離れよう。近い。顔が近い。
「…………フルミネ?」
体を起こそうと腕に力を入れるが、フルミネがいつの間にか僕の背中に手を回して離さない。
「このままがいい……ちょっとだけでいいから……」
小さな声で、それでいてはっきりと彼女は言う。
彼女の体は微かに震えていた。何かを堪えるように。
冷静になった僕はフルミネに問いかける。
「重くない?」
「……ちょっと重い、かも」
今、僕はフルミネを上から潰してしまっているような状態だ。
なので、僕はフルミネに抱き締められたまま横に転がる。
「シン……お願い、約束して」
フルミネが何を言いたいのかは聞かずとも分かる。それは何度も約束したことだ。
「安心して、僕はフルミネを置いて死んだりするつもりはないから」
「……嘘吐いたら、お仕置きしちゃうからね」
「それは死体蹴りでは」
死んだらお仕置きされるの? 僕、死んだらフルミネから追撃受けるの?
「そうだね。それもいいかも」
「よくなーい。全然よくなーい」
「ふふっ、冗談だよ」
そう言って、フルミネは笑う。
……うん、やっぱりフルミネは笑ってる顔が一番よく似合う。
「じゃあ、僕はそろそろ部屋に戻るよ」
「もう少しだけ、駄目?」
「今日はだいぶ積極的だね」
「……ごめん。やっぱり不安なの……」
知ってる。
「なら、その不安が無くなるまで、気が済むまでいいよ」
「……ありがと……」
フルミネの抱き締める力が強くなる。
僕も彼女の背中に手を回す。
彼女は一瞬驚いたような顔を見せたが、抵抗はしなかった。
――そして、空気を読まない眠気が一気に僕を襲う。
「ふあぁ……」
「シン? 眠いの?」
欠伸を抑えることもできず、フルミネに問いかけられる。
僕はそれに答えるように首を縦に一回動かす。
今日は色々なことがあり過ぎた。
その疲れを訴えるように、僕の瞼はどんどん下りていく。
「おやすみ、シン」
――その言葉を最後に、僕の意識は深く沈んでいった。




