最初で最後の頼み事
二人を見届けた後、あたしはゲンブに近づいて話かける。
「なあ、ゲンブ……まだ、喋れるか?」
「……よく、分かったのう……」
ゲンブは、生きていた。
「五百年の付き合いなんだ。狸寝入りぐらい判別できる。ゲンブにとっては取るに足らない時間だろうけどな」
「……そうじゃな……」
「……死ぬのか?」
――けれど、"生きている"と言っても"今はまだ"が前に付く……そんな状態だった。
「死ぬじゃろうな……」
それでも、ゲンブは笑っていた。
「あたしの[回復魔法]でも……無理なんだよな」
「……わしら四帝は……ホワル様に創られた魔法……言わば魔力の塊じゃ…………魔法に魔法を使っても、意味はない……」
分かってる。それは、ゲンブ自身から聞いていた。それでも、どうしても、諦めきれない。
「あたしの魔力を注いでも、か……?」
「……人の魔力とは、根本が違うからのう……」
……諦めきれないという気持ちがあっても、それはどうにもならないことだった。
「誰にやられた?」
「……言えんよ……」
はっきりと、そう答えるゲンブ。
――いつものことだ。ゲンブは誰かと話す時、常に一定の線引きをしている。それは、あたしも例外ではない。
「……たとえ……それを知って……お主は……どうするつもりじゃ……?」
言ったら、どうせ呆れられるんだろう。
「仇討ちに決まってるだろ?」
「……そう言うと思ったわい……なおさら……言える訳なかろう……?」
案の定、呆れの感情が含んだ声でゲンブは答える。
「……フルミネが悲しむぞ……」
「要は、フルミネにバレなければいいんだろ。それぐらい簡単だ」
「……フルミネ云々の話が無くとも……言えんよ……」
「……どうしてだよっ!?」
頑なに誰にやられたかを言わないゲンブに痺れを切らしたあたしは――取り繕うことをやめた。
「どうして、言ってくれないんだよっ!?」
「……すまんのう……」
そのゲンブの態度があたしをさらに苛立たせた。
「謝るなっ! 謝るぐらいなら理由を言えっ! また四帝の制約か!? もうじき死ぬってのに、そんな制約を守る意味なんてあるのか!?」
あたしは不満をゲンブにぶつける。自分勝手な不満を。
「……お主に言わない理由は、制約のせいではない……」
「なら、何でなんだよ……!?」
何で、何も言ってくれないんだよ。何で、あたしを頼ってくれないんだよ。
「……あたしって、そんなに頼りないか……?」
ぽつりと、そんな言葉を漏らしてしまう。
「……泣き虫には、頼れんよ……」
「っ……!」
ゲンブに言われて初めて自分の状態に気がつき、あたしは腕で涙を拭う。
「……わしは、本当はお主が弱いことを知っている……」
弱い、か。
「あたしは【人類最強】だぞ?」
「……はっはっ……! 安っぽいのう……!」
「……確かにな」
愉快そうに笑うゲンブを見ていると、あたしも釣られて笑みが溢れてしまう。
「……それでも……お主が弱いと断言できるものが一つだけあるぞ……」
「へえ、何だ?」
「……心じゃよ……」
――全て見透かされている。そんな気がした。
「……本当は水晶のように脆い……お主の神器のようにな……」
「酷い言い草だな」
「……泣いていたのがいい証拠じゃよ……」
それを言われてしまうと、あたしは反論なんてできなかった。
――それでも。
「理由ぐらい、言ってくれ」
何があったのかは、もう聞かない。それでも、あたしに言えない理由だけでも……言ってほしかった。
「……お主には……生きていてほしいからじゃ……」
「あたしは自殺なんてする気はないぞ」
「……そういう意味ではない……」
「……分かってる」
ゲンブを追い詰めた犯人は、それほどまでに強大な力を持っている。戦えば、あたしでさえ殺されるかもしれない……そういうことだろう。
「魔人じゃないんだよな?」
ゲンブの甲羅や結界は、言うなれば"最強の盾"。それも、七聖である【盾聖】の神器に匹敵するほどの。
あたしですら壊すことは不可能な代物だ。
魔人の中にも、ゲンブの甲羅を砕けるような奴はいない。
できたとしても【煉獄】くらいだが、そもそもゲンブとは相性が最悪。普通に考えてありえない。
……あの戦闘狂なら、相性なんて関係ないとか言い出しそうだが。
――そう考えていたあたしに、ゲンブは答えた。
「……違うとも……強ち言い切れんのう……」
「……は? それって――」
――どういう意味だ。そう訊ねようとした時、ゲンブの尻尾の端から体に向かって、伝うように白い光が侵食し始める。
「……どうやら……限界らしいのう……」
「おいっ、待てっ、答えろ!」
「……これ以上は言えん……ホワル様が創ったこの世界のためにもな……」
「ふざけんなっ!!」
思わず罵声を浴びせてしまったあたしに、ゲンブは何かを考えるようにして黙り込み――独り言のように呟いた。
「……"ケイシン"を知っておるか……?」
「誰だ?」
「……やはりな……」
ゲンブの体全体を、ゆっくり、白い光が侵食していく。
「ケイシンって奴を探せばいいのか?」
「……直にこの世界に……災厄が訪れる……」
「なんだよ、それ……?」
会話すらまともに繋がらない。あたしはその話がまるで理解できなかった。
「……もし……その未来が訪れたら……訪れてしまったら……ホワル様を……助けてやってくれ……」
けれど、その言葉は――。
『もし、私に何かあった時は……フルミネのこと、お願い』
――エクレールの言葉と、重なった。
「……頼む……」
……どうして、最期に頼み事なんてするんだよ。
あたしはもっと早くに、もっと頼ってほしかった――その言葉を呑み込んで、ゲンブに答える。
「任せろ」
「……そろそろ……限界かのう……」
白い光の侵食は、ついにゲンブの体全体を蝕み、残すは頭だけとなった。
"ケイシン"って奴は知らないし、最悪の未来も何の話なのか検討がつかない。
それでも、ゲンブは言ってくれた。多分、この世界の根幹に関わることを。
「……約束、守れなくてすまんのう……」
白い光は、ゲンブの顔を優しく包むように侵食する。
「……最期に、お主と話せて良かった……」
その言葉が、ゲンブの最期の言葉だった。
ゲンブ包み込んだ白い光が霧散する。
ゲンブがいた場所には、何も残っていなかった。
「……戻るか」
二人が待ってるから、いつまでも感傷に浸っている訳にはいかない。
「……っと、その前に」
ボロボロになったあたしの家から、適当な大きさの木の板を選んで手に取り、その板を地面に突き刺す。
「『神器解放』」
その宣言と共に首に掛けていたネックレスが水晶に形を変え、その水晶から漏れる冷気が周囲の草を凍らせる。
「プラタ、頼む」
あたしの神器――プラタが、その木の板を凍らせる。どんなに時が経っても溶けない氷で。
「……じゃあな、ゲンブ」
そして、あたしはゲンブの墓に別れを告げた――。




