呪いの印
グラスさんの家まであと少しという場所から、僕達は徒歩で向かうことになった。
もし、そこに"ゲンブさんではない何か"がいた場合、即座に動けるようにするために。
――そして、そこで待っていた光景は、にわかには信じがたいもので。
「………………」
あらかじめ、グラスさんから聞いた話でその想定もしてはいた。してはいたんだ。
「なん、で……」
特徴的な甲羅を持つ巨体――ゲンブさんが横たわって、目を閉じている。これだけを見れば、ただ眠っているように見える。
……しかし、それはゲンブさんの半身が抉られてさえなければの話だ。
「なんで……なんでよ……」
甲羅は砕け、中からは臓器のようなものが飛び出し、半分以上は潰れている。
辺りの地面は血が広がっていたのを示すように赤黒く染まり、それも既に乾燥して固まっていた。
そして、その後ろに建つグラスさんの家は、ほぼ全壊と言ってもいいほどボロボロの状態だった。
「ねえ、ゲンさん……嫌だよ……」
フルミネは弱々しく震える声でゲンブさんにすがりつく。あまりにも惨すぎる光景に、僕も目を逸らしたくなる。
「〈愚者に告ぐ――」
――そんな時、感情のない平坦な声が響いた。
「師匠?」
「――呪いの印を――」
フルミネの声も無視して、グラスさんは不吉な言葉を紡ぐ。
「――その身に刻め――」
誰が聞いても分かるほど、冷えきった声。
「――己の生を恨め――」
止めなきゃいけない。グラスさんは何かよからぬことをしようとしている。
「――この運命から逃れることは叶わない――」
けれど、体が金縛りにあったかのように動かない。見えない何かに縛られているかのように。
「――何人たりとも〉――『イ・モルタス』」
黒い靄がゲンブさんを包み――やがて、霧散した。
「――っ、グラスさん!」
ようやく体が動くようになり、僕はグラスさんの手を掴む。
「何だ?」
「今のは……あれは、何ですかっ……!」
僕が問いかけると、グラスさんは何も無かったかのように笑って言った。
「あたしの世界の魔法だよ」
「ま、魔法……?」
こんな禍々しいものが、魔法?
「あたしの世界の魔法は詠唱を必要とするんだ」
「そういうことを聞いてるんじゃありません」
「安心しろ。これはただ目印を付けるためだけの魔法だ」
「――何のために?」
フルミネは僕達の話に割り込んで、グラスさんに問いかける。
「誰に、何のために、目印を付けたの……?」
グラスさんから笑みが消えて黙り込む。フルミネはそんなグラスさんに迫り、語気を強めて言った。
「答えてっ!」
「……殺す以外の理由があると思うか?」
その言葉にフルミネは顔を歪めた。
「師匠、お願いだから……復讐なんてしないで……そんなことしても、ゲンさんは戻ってこないんだよ……?」
フルミネの懇願。それに対するグラスさんの答えに、僕は動揺を隠せなかった。
「な、何をしてるんですかっ……!?」
――氷の剣をフルミネの喉元に突きつけるという、最悪の答えだったから。
▼ ▼ ▼ ▼
「近づくな」
あたしはシンの言葉を無視した上で、シンに要求する。
「し、しょう……?」
フルミネはどうして剣を突きつけられているのか分からないようだった。
「フルミネは、七聖に戻る気はあるのか?」
あたしの質問に、フルミネは意味が分からないと言いたげな顔でこちらを見つめる。
「魔人を殺せるのか?」
あたしは質問を変えてみるが、やはりフルミネには伝わらない。
……言葉を濁しても意味は無いか。
「"人殺し"になる覚悟はあるのか」
「……え?」
「魔人は魔物と同じようなものだが、人だぞ? それを殺すということは、人殺しになるということでもある」
あたしが説明の補足をしても、フルミネの反応は変わらない。
「今、それを聞く理由が分からない……か?」
「……うん」
「……質問には答えられるか?」
あえて理由を答えずにフルミネに聞く。フルミネは狼狽えながらも、はっきりと答えた。
「あるよ」
そうでなければ魔人と戦うことなどできないだろう。
「魔人を殺していいなら、ゲンブを殺した奴を殺してもいいよな?」
自分でも無茶苦茶な話のまとめ方をしてる自覚はある。
「魔人とその話は違うっ!」
案の定、フルミネは声を荒げてあたしに怒鳴る。
「何がどう違うんだ?」
「魔人はいっぱい人を殺してる……人類の敵みたいなもの。でもっ、師匠のはただの私怨だよっ!?」
フルミネは何も間違っていない。それが、この世界の一般常識であり、あたしがフルミネに教えてきたことでもある。
――だが、この常識には致命的な欠陥とも言える穴があった。
「もし、ゲンブを殺した奴が魔人ならいいのか?」
あたしの問いに、フルミネは答えることができなかった。否定することができなかったからだろう。
……つまり、ゲンブを殺した犯人が魔人なら、フルミネもあたしを止めない。その程度の認識なんだ。
「フルミネにとって、ゲンブはその程度の存在だったってことだよな」
「――!? ち、違うっ」
「だって、そうだろ? だから――」
――パンッ。
乾いた音が鳴り響くと共に、左頬にビリビリとした衝撃が走って剣を落とす。
左を向くと、シンが苦虫を噛み潰したような顔でそこに立っていた。
「いきなりすみません。でも、少し落ち着いてください」
「……すまん。ありがとう」
止めてくれたシンに謝ると同時に感謝する。あたしは今、何を口走った? フルミネがそんなこと思う筈がないのに。
「師匠……?」
「フルミネ、すまん……言い過ぎた」
「……大丈夫。でも……ゲンさん、どうするの……? 私、このままにはしたくない……」
フルミネの言う通り、このまま放置する気はない。
「あたしに任せておいてくれ。二人とも、先に魔動車に戻っていてくれないか?」
「師匠、何か手伝えることは……」
「何もない」
この言葉は嘘ではない。嘘ではないが……先に戻らせる意味も、本当はない。
――ただ、二人きりにさせてほしかった。
「……フルミネ、行こう」
「……うん」
シンに促されたフルミネは頷く。
そうして、二人は一足先に魔動車を停めた場所へ戻るために踵を返した。
あたしはその二人の背中が見えなくなるまで、見届けた――。




