61話目 高原の風
タイトルに深い意味はありません。
では、どうぞ……!
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「──今、何て?」
少女が発した抑揚の無い声音に、隣で聞いていたエイドの背中を冷や汗が伝う。
フードの陰に隠れた表情こそ乏しいが、その身体から漏れ出る常軌を逸した魔力は、短い付き合いであるエイドをして背筋が凍るほどの怒気を孕んでいるのがわかる。
況してや、面と向かい合ったアディシ部族の男性が受ける圧は如何程のものか。小柄な少女に対して完全に腰が引けていた。
いや、この場合はむしろ、魔獣の如き威圧を受けて尚、腰を抜かさずに踏み留まった彼を称賛すべきか。
「だ、だからその子はもう預からない。今までは満足に働けない怪我だからと預かっていたんだ。だけどその火傷が治ったのなら、俺のとこで住まわせる必要もないだろ」
その言葉に少女──アーデの、緋色の瞳が気怠げに細まる。
(……性格の割に、強情だな)
全く納得していない。それを察したエイドは、彼女の背中に隠れた童女を横目に、誰にも気付かれぬようそっと溜息を吐く。そして予期せぬ揉め事の気配に思わず天を仰いだ。
──前夜の宴会で酒に潰れた後、エイドリックが酷い吐き気を覚え目覚めた時には、既に日は昇りきってしまっていた。
痛む頭を押さえ、小さな天幕から這い出したエイドは姿の見えない連れを探しに集落を歩き回り、多少手間取りはしたが外周部で子供達に囲まれていたアーデと合流出来た。
その時には既に件の童女はいたのだが、かすり傷の一つもなく、また酒のせいで昨夜の記憶があやふやなエイドは気にも留めなかったのだ。
寝坊したことを彼女に平謝りして(アーデは全く気にしていなかったが)、王都の話や剣術を教えてくれとせがむ子供達をまた後でと宥め出立の為の準備に戻った。
だが一旦支度を済ませた後、再び子供達の元に戻った先で何やら不穏な人だかりを認め、その渦中にいる童女を見たアーデが止める間も無く割り入ったのがつい先程のこと。
(成程。ガラッゾ族長の話に出た生き残りとは彼女の事だったのか)
アーデにひしとしがみ付いた童女の姿に、エイドは一人得心する。
小柄なアーデの首元までしかないその子は、丈夫な羊毛の肌着から傷一つない健康的な素肌を晒している。怪我の名残といえば、血のこびり付いた包帯くらいなもので、つい数刻前まで重傷だったと言われても信じ難い話だ。
(まあ、彼女であれば治せるだろうよ……)
その恩寵を我が身で受けたエイドからしてみれば然程おかしな話ではない。
ともすると彼女は、童女の火傷など比べ物にならない致命傷を跡形も無く癒してみせたのだ。そして、それすらも彼女が有する叡智の一端に過ぎないのだろう。
貴賎を問わず、狂喜乱舞し褒め称えるであろう奇跡を起こして尚、アーデはそれを当たり前のこととして捉えている節がある。どこかズレた価値観を持つ彼女が「怪我をしている」だけで手を差し伸べたとしても特段驚くような事ではなかった。……その行為と認識が、今回は裏目に出てしまっている。
「何故、今になって見捨てる? 別に生活が苦しそうには見えない」
「そこまでだ、薬師殿」
それは、と言い淀む男性の代わりに答えたのは、人だかりを掻き分け現れた大柄な男、ガレッザ族長だった。
「お前さんの抗議はもっともだが、ウチの掟に“内外を問わず怪我をした孤児は一族で助けよ。癒えたのなら野に放て”というものがある。我々も心苦しくはあるが……、決まりは決まりだ。理解してくれ」
族長のその言葉に、彼女が纏う、周囲にあたり散らすような怒気は掻き消えた。だが理解はしても納得は出来ないのだろう。男性の見苦しい言い分にさえ無表情を保っていた顔が僅かに翳り、口許が小さく動く。
「……(あほくさ)」
幸いにもその呟きは、族長の耳に届くことはなかった。好奇心から動向を窺っていた野次馬の騒めきも族長が出張ってきたことで鎮静化し、エイドは惨事が引き起こされなかったことにほっと胸を撫で下ろした。
そんな時、アーデの視線がこちらを捉えていることに気付き、思わず生唾を呑んで身構えてしまった。
「どうした、アーデ殿」
「いや、同行させるわけにもいかないなと……」
言われて気付く。エイド達は今、レオノーラを救い出すために行動を共にしているのだ。となれば童女の世話をしている余裕はどこにもなく、連れて行くのは難しい。部族から追い出された童女の命運など、そう永くないのは目に見えている。
それは元・騎士であり、力無き者を護る立場にあったエイドとしても認めがたい運命だ。だが、迂闊な約束は結べない。
(レオノーラ、もう少しだけ待っていてくれ……)
「アーデ殿、ガレッザ族長。その童女の身、このエイドに任せてはもらえないだろうか?」
一斉にこちらを向く耳目を真っ向から受け止め、まだ名も知らぬ童女の為、口を開いたエイドは力強い眼差しで二人を見据えた。
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「ルウェナ、寒くない?」
「…………」
小柄な俺に身を寄せて座る、より小さな少女が頷くのを見届け、俺はピー子の前方へと視線を戻した。
俺とエイドリックの利用する旅程だが、相も変わらず空路である。平原上空を覆う濃霧は『透視』で無視して進めるので楽なものだ。クシャ山脈では鬱陶しかった亜竜も、濃霧を見通す眼を持たず生息していないため、至極平和な空域を進んでいる。
……しかし、偶に地上で見かける獣の群れや、陸路では面倒な地形を無視して進めるのは本当に便利だ。正直、もしピー子がいなければ平原の横断にさえ一週間以上掛かっていた。その場合、そもそも山に踏み入ることもなかったが。
「ルウェナは、……ええと。ハドヌスの部族を訪ねたことあったりする?」
「…………」
首を横に振って否定する少女。俺が火傷を治療したが為に、余計な揉め事に巻き込んでしまった口聞けぬ少女の名が、ルウェナ。
この名前は別に新しく名付けたわけではない。しばしばその存在を忘れる枠を覗き見て得た情報だ。
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ルウェナ、11歳
Lv.8
職業・なし
称号・なし
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“注視”すれば問答無用で多少の個人情報を覗ける『閲覧』(正確にはゲーム時代のスキルや魔法では無い。全く異なる恩恵だと思われる)だが、便利とはいえ初対面の相手の名前を呼んでしまう可能性がある。今回の件みたく安易に使用して怪しまれないよう気を配らなくてはならない。
(しかし、なあ……)
代わり映えしない平原の風景に飽きた俺は、前方を飛ぶエイドに視線を遣る。『透視』と似たような魔法でも使っているのか、霧中を進むその航路に迷いは無い。
エイドが何故ルウェナを預かると言ってくれたのか、結局出立まで聞き出せなかった。「借りを僅かでも返しただけだ」とは言われたが、助けたことを貸しにしたつもりはない。正直、アディシ部族からベイレーンの自宅まで送り届けるのは現実的ではなかったから有難いが……。
「アーデさん、エイド殿の騎影が高度を下げ始めましたが、追従しなくてよろしいので?」
「……あ」
襟から顔だけ覗かせた妖精に指摘され、慌ててピー子に滑空の指示を出す。集落を立った後、大して時間が経っていなかったので油断していた。ハドヌスの集落、意外と近い位置にあるのか?
(その割には、人工物の影も形も見当たらないが)
緩やかな滑空を経て、二騎は平原を縦断する小川の岸辺に降り立った。しかし見渡す限りの地平線に人影はおろか、羊の群れすら見当たらない。
「小休憩?」
「ああ。ただハドヌスにはまだ距離があるし、このままではこの広い平原を虱潰しに探さなくてはならない。だから案内人を呼ぶのさ」
俺の予想を苦笑いを浮かべて否定したエイドは、徐に指を口に挟み、独特なリズムで口笛を鳴らす。どちらかと言えば高音域の、民謡を彷彿とさせられる調はだだっ広い高原の風に乗って遥か遠くへと運ばれていく。
「…………お、あれだ。見えてきたぞ」
歌が虚空に掻き消えてから間も無く、騎竜から荷物を降ろして小休止していたエイドが顔を上げて曇天の一角を指し示した。
つられて指の先に視線を向けると、北東の曇り空に小さな影がポツリと浮かび上がる。やがてはっきりとその鳥影を認めた頃には既に、その大きな翼を広げ滑空し高度を下げ始めていた。
ピー子や騎竜と比べると流石に小さく見えるが、一般的な鳥類としてみればそこそこ大きい部類に入る鳥だ。鳥種としては……鷹、に似ている。
「エリヌ! お前まだ現役だったのか。流石に会えないと思っていたぞ」
騎竜の頭上を掠めるように羽ばたき、革手袋の上に爪を食い込ませて降り立った鷹を見て、エイドは驚いていた。その名を呼ぶ声には、隠しきれない喜びが滲み出ている。
「飼い……鷹?」
翼を含めた全長が凡そ一メートル弱。見た目普通の鷹だが、唯一尾羽が真紅の鮮やかな色彩を帯びて目を惹かれる。地毛……というよりは、野生種と見分ける為に人為的に染めているのだろう。
「こいつは先日話した遠見鷹のエリヌだ。部族に伝わる謠を吹き鳴らせば、出迎えて集落がある位置まで案内してくれる。
我が部族はこの川沿いに家畜を遊牧させる。だからその中央にあたるここで吹けば、耳の良いこいつが聞きつけてやって来るという訳だ。……本来は羊飼や、遠駆けで集落から離れ過ぎた子供らが利用するものだがな」
そう締め括ったエイドの腕の上で、焼き固めた肉を啄むエリヌ。
肉を引き千切る猛禽類特有の物騒な嘴と鉤爪は、間近で眺めるとそら恐ろしく見える。しかしよく飼い慣らされているのか俺とその背に隠れたルウェナには然程興味を持たず、不乱に肉を啄んでいた。
「エリヌは歳を食ってるし女子供相手に暴れたりはしないからそう怖がらなくても良い。何なら腕に乗せてみるか?」
「必要ない。ルウェナを怖がらせてどうする」
更に怯えて裾を握る力を強くしたルウェナ。その頭を撫でて落ち着かせ、彼なりに場を和ませようとしたのであろうエイドを窘める。男なら喜ぶだろうし俺も興味を惹かれなくはないが、女子に勧めるべきじゃないだろう。
「……そのようだな。私としたことが気が回らなかったようだ。……む?」
唐突に食事を止めたエリヌが、曇天に向けて頻りに鳴き出した。それとほぼ同時に、巨躯を横たえ休んでいたピー子と騎竜が身を起こし、低く唸りながら同じ方角──遠見鷹が飛来した北東の方角を警戒し始める。
「あれは、……同じ騎竜だ。しかし何故。エリヌを追ってきたか?」
「敵?」
「それはまだ何とも言えない。ただいつでも飛べるよう準備はしておいてくれ。ここは通常時の巡回航路からは外れているから、正規軍だとは思わないが……」
訝しむエイドの指示に従い、未だ状況を呑み込めていないルウェナを抱き上げピー子へ飛び乗る。そして遅ればせながらもエイドリック達の視線の先、霧の晴れ始めた北東の空に、芥子粒サイズの飛影を視認した。
(確かにあれはエイドのと同じタイプだ。となればその騎手は、どこの所属なのか問題なわけだ)
辛うじて見えるその飛影の上に人影を認め、自然と手綱を握る手に力が籠る。その時、当の飛来する騎影が白く光り、一定のリズムで点滅を繰り返し始めた。発光信号というやつだろうか?残念ながら、その手の知識がない俺は相手が何を伝えようとしているかさっぱり解らないが。
その一方で、合図の意味を理解したエイドは、
「……『ゼルドラ。迎エニ来タ』、か。
お前は、その理想で民を磨り潰すつもりか……」
呟きに隠しきれない苦々しさを含めて吐き捨てた。しかしそれも一瞬のことで、すぐに複雑な表情を搔き消すと、取り繕うような仏頂面で此方に振り向いた。
「心配は無用だ。彼らに敵対の意思はないらしい。……少なくとも今は、だが」
「そう」
苛立ちを隠さない彼の不穏な雰囲気は、付き合いの短い俺では宥めようがない。エイドしか知らない面倒な事情があるのだろう。
だからただ軽く頷き返すに留めておく。何をするにせよ、この場は彼の、騎士としての選択に任せることにした。
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