第3話 そして僕らは
夏休みになったらこの家を離れる。
夏休みって、あと一週間もないじゃないか。
こんなひどい話があるだろうか。
あの後、お姉ちゃんが嬉しそうに話したところによると、神村さんの家はとても遠いところにあるんだって。当然、学校は転校になる。明日、お母さんが保護者面談で学校に行くから、そのときに話すと言っていた。
僕はその日、晩ご飯を食べることも寝ることもできなかった。翌朝も、ほとんど食べることはできなかった。
宿題ももちろん忘れていった。先生に叱られたけど、全然耳に入ってこなかった。
たくみくんは今日も学校に来ていなかった。誰も座っていない後ろの席を見て、たくみくんがいたらよかったのに、と僕は思った。いたら、いろいろ話せたのに。でも、どうせ転校することになるんだから、たくみくんともお別れだ。いやだな。せっかく仲良くなったのに。
今日は学校では保護者面談があるから居残って宿題はできない。学校が終わるとすぐに帰るように言われ、みんなが学校を出るのと同時に僕も出た。でも、家には帰りたくなかった。なんで僕だけよその家にもらわれるなんてことになったんだ。……やっぱりいらない子だったんだ。今までも言われていたからわかっていたことだけど、それが本当だとわかって心底悲しかった。
僕は家の前を通り過ぎて神社に行ってみた。たくみくんはいなかった。太鼓はしごの上に座ってしばらく待ってみたけど、誰も来ない。
僕は、たくみくんの家に行くことにした。会って話をしたいと思ったから。
神社を出て、たくみくんのアパートに行く。相変わらず古くて汚くて変なにおいがしたけど、昨日きたときほど気にはならず、僕は101号室のベルを鳴らした。
すると、昨日と同じように「はい」と女の人の声が聞こえた。
「あの、たくみくんの友だちのさくらばです。たくみくんに会いにきたんですけど」
玄関の鍵が開く音がして、玄関のドアがまたうっすらと開いた。でも、今日はそこからすぐにドアは大きく開いた。髪の長い女の人が、にこにこしながら僕に言った。
「桜庭さん、巧のお友だちね。ありがとう。女の子のお友だちがいるなんてうれしいわ。あがってちょうだい」
僕は女の子じゃない、と言おうとしたけど、僕は口を動かすことができなかった。口だけじゃない、体全体がこわばっていた。
この人はたくみくんのお母さんなんだ、怖い人じゃない、悪いことをされることはない、と思うけど、体が動かなかった。家の中からは家の外でしていたにおいだけじゃなくて、もっと別なニオイがものすごく強くにおっていた。まだ昼過ぎなのに家の中は灯りがついている。
僕が後ずさるより先に、女の人は僕の腕をつかむと、家の中に引っ張り込んだ。僕は踏ん張ることもできず、靴を履いたまま家に上がり込んでしまう。
そして、女の人はすぐさま玄関のドアを閉めた。
「待って、僕、帰る!」
泣きそうになりながら叫んで玄関ドアにとりつこうとする僕を、女の人は引きはがすと、そのまま家の中に引きずっていった。
僕はそのまま今まで入れられ、投げ出された。僕は両手をつくこともできずに床に倒れた。窓という窓のカーテンがしまっているのがまず見絵、次に、僕の目の先に、つんとイヤなニオイがするものがにおった。
僕はそのニオイのもとをそろそろと見た。新聞紙でくるまれ、その上から白い包帯が巻かれ、さらにわけのわからない文字が書かれた短冊が何枚も何十枚も張り付けられた、うずたかい何かがそこにあった。
僕はそれを見て動けなくなった。なんだろう、これ。ただのごみ、じゃない。
女の人はその短冊がたくさん張り付けられたモノの傍に座ると、嬉しそうに言った。
「ねえ、たくみ。お友だちが遊びに来てくれたわよ。桜庭さんですって。かわいい子ねえ」
その目と口がそれぞれにたりと半円を描くのを見て、僕は目尻から涙がにじんできた。帰りたい。たくみくんはどこ。そこにあるモノはたくみくんじゃない。というか、生きているモノの筈がない。
僕は叫びにならない叫びを上げようとして、でも代わりにすっぱいものがのどの奥から出てきそうになっていて、それをこらるために息をのみこもうとした。
と、そのとき、窓が割れる音がし、同時に部屋にものすごい音とともに台風みたいな強烈な風が流れこんできた。
「司、大丈夫か!」
たくみくんが割れた窓の枠の上に立っていた。女の人がそれを見て吠えるように言う。
「何なの、お前は!」
たくみくんは答えず、窓から軽く跳ぶと、そのまま女の人の胸に跳び蹴りを喰らわせた。子どもの蹴りだけど、女の人は後ろに吹っ飛んでいく。
「たくみくん、駄目だよ、そんなことしちゃ!」
僕が思わず声を上げると、跳び蹴りをしたあと、しゃがみ込むようにして着地していたたくみくんは立ち上がりながら、あきれた様子で言った。
「だめだよ、って。お前こいつに引きずりこまれたんだろ」
「え、見てたの?」
「まあ、家の外で?お前がこの家の玄関の前に立ってるのを見かけたから、声をかけようとしたら、いきなりこの女に引きずり込まれて。俺、焦ったんだぞ。もしものことがあったらどうしよう、って。すぐに突入しようとしたけど、こいつがごちゃごちゃうるさくてさ」
割れた窓からぬっと顔を覗かせた男の人を、たくみくんは顎でしゃくるようにして示した。 あ、と僕は声を上げた。一昨日、うちに来ていたおじさんだ。
「おお、縁くん。大丈夫か。けがはないか」
「あ、はい。えっと、なんでここに?」
「俺もこの子と一緒にいたんだ。君がこの家に引きずり込まれるのを見て、これはまずいと思って警察に通報しようとしてだな」
「そんなのまどろっこしいからってんて、こいつのケータイを蹴り飛ばして、こっちの窓から割って入ろうとするのをこいつが止めてきてさ」
「そりゃそうだろう。器物損壊だぞ」
「そんなことよりこいつの命の方が大事だろ」
たくみくんは僕に手をさしのべた。僕はその手を取り、立ち上がろうとした。
「お前たちいいいいいいいいいい!」
女の人が叫び声を上げてこちらにとびかかってこようとする。僕の手を放し、たくみくんが身構えたが、それより先におじさんが傍にあったスティック型の掃除機を振り回し、女の人の腹にぶち当てた。女の人はたくみくんに蹴られたときと同じくらい後ろに吹っ飛んでいき、動かなくなった。
「……あの、大丈夫ですか?あのおばさん、死んでないですよね?」
僕がおそるおそる訊ねると、おじさんはにやりと笑った。
「大丈夫だ。まあ、痣くらいはできているかもしれないが、正気に戻るには必要な痛みだろう。縁くん、ちょっと外で待っていてくれないかな。おじさんはこのおばさんと話をしたいから」
僕は頷いて外に出ようとした。けど、たくみくんは動こうとしない。
「たくみくん?」
「司、お前、家の外にちょっと出ていろ。俺もこの女に話がある」
「でも、この部屋、なんだかおかしいよ。あまり長くいない方がいい」
僕は妙なにおいを発し続けるモノを見ながら言った。たくみくんは肩をすくめてみせた。
「わかってる。大丈夫だ。俺は強いからな。それより、この後遊ぼうぜ。そのつもりで来たんだ」
僕は仕方なく玄関まで行った。玄関のドアを開けて、いつでもたくみくんたちが出てこられるようにする。
僕がいる玄関とさっきの居間の入り口までは三歩くらいしか離れてないのだけど、中で何が話されているのかは不思議と聞こえなかった。
しばらくして、たくみくんが外に出てきた。たくみくんはにこにこしている。
たくみくんは僕の手を引き、二人で玄関の外に出た。
「話がついた。もう大丈夫だ」
「そうなんだ?」
僕は家の前で立ち止まり、中を窺った。たくみくんも立ち止まって振り返る。おじさんはまだ出てこない。
「大丈夫だって。いろいろな手続きの話をしてるだけだから」
「でも」
「大丈夫。今、あの女は正気に戻ってるから」
たくみくんの言い方に、僕はあることに気がついて黙った。この家は僕と同じクラスの、出席番号が一つ後ろの白神巧くんの家だ。そして、さっきの女の人は白神巧くんのお母さんで間違いないだろう。でも、僕の目の前にいるたくみくんのお母さんではないようだ。
僕は確かめたくて訊いた。
「あのさ、あらためて、名前」
「うん?」
「名前。そっちの。僕は、桜庭縁。そっちは?」
「あー、俺?俺は白神巧」
予想外の答えに、僕は目を白黒させる。この家の子と同じ名字、同じ名前ってこと?すごい偶然だ。
たくみくんはにかっと笑った。
「まあ、そういうことだから。よろしくな」
うん、と僕は頷こうとして、悲しいことを思い出した。どうした、とたくみくんが訊いてくる。僕は泣きたくなった。
「ごめん。僕、転校することになってて。よその家にもらわれることになったんだ。もらわれていく先はとっても遠いんだって。もうたくみくんには会えないかも」
「なんだ、そんなことか」
たくみくんはあっさりと言った。僕はショックで涙が引っ込む思いがした。僕とお別れするの、平気なんだ。僕は友だちだと思ってたのに。
僕は涙がぽろぽろ出て止まらなかった。たくみくんが慌てた様子で言う。
「なんで泣くんだ」
「だって、お別れなんだよ?なのに平気だなんて」
「あー、そのことか?大丈夫、お別れなんかじゃないから」
「え?」
そのとき、家の中からおじさんが出てきた。
「話が完全にまとまったぞ。あれ、縁くん、何で泣いてるんだ」
それに対してたくみくんが呆れたように言う。
「こいつ、全然わかってなかった。お前、説明してないのかよ」
「わかってないって?ああ、もしかして引っ越しのことか?」
おじさんは泣きじゃくる僕の頭をわしゃわしゃとかき混ぜるようにして撫でた。
「泣くことはない、お前さんがこれから行く家には、優しいお母さんがいるからな。今の家みたいに無視されたりひどいことを言われたりってことはない」
「あの……何で?」
何で僕がそんな目に遭っていることを知っているんだろう、と思って訊くと、たくみくんが言った。
「いっつもお前は最初は不遇な境遇にあるからな。今回も絶対にそうだろうと思って調べてみたら、案の定だった。だから、こいつを巻き込んでお前を助けに来た」
「今回って……」
僕は呆然として訊き返したけど、たくみくんはにかっと笑って、
「まあ、追々、な。安心しろって。俺もお前と同じ学校に転校するから。一緒のクラスで昼休みとか遊ぼうな!」
「おいおい、学校は勉強するところだぞ?」
おじさんが苦笑しながら言う。でも、たくみくんはそんなのはお構いなしだ。
「勉強もそれなりにするって。大丈夫、うまくやるからさ」
そして白い髪をした僕の友だちはその後、転校先でその横着っぷりを発揮しつつ、生まれ持った魅力を周りにたっぷり振りまいて魅了しながら、彼なりにうまくやった。というか、出来過ぎなくらいによくやったと思う。まあ、これはずっと先の話なのだけど。
そう、これは横着なところはあるけど、心根はまっすぐで優しい僕の大事な友だちと僕がまた出会ってかけがえのない時間を過ごす物語。
この話でこの作品は終わります。この続きの話は明日から毎日1話ずつ行います。本編「男性Vtuber四人の担当になったが、全員普通ではなかった話」を読まれていない方は、是非そちらもどうぞ。




