第1話 僕が巧と出会った日
新しいお話が始まります。3話で完結の短いお話です。ここから読んでも大丈夫、前作の前日譚でもあるので、そちらから読んでも大丈夫。もちろん、こちらを読んでから前作を読んでも大丈夫。どうぞよろしくお願いします。
巧と初めて会った日のことは、今でもよく覚えている。
その日の朝、黒いワニに食べられる夢を見て目を覚ました。
でも、ちっともいやな感じはしなかった。僕はほとんど死にかけていて、そんな僕がやろうとしていたことを守るためにワニは僕を食べたんだってわかっていたから。
「しっかり守るんだぞ」
友だちがワニに言い聞かせていた。ワニはもともと友だちのものなんだ。でも、それを僕が為そうとしていたことのために使わせてくれた。
横着でぶっきらっぼうなところはあるけれど、心根はまっすぐで優しい、僕の大事な友だち。
ワニに食べられた夢を見るのは始めてじゃなかった。そして、その夢を見たあとは、ほんわか暖かい気持ちになる。
家族に無視をされても、全然つらくない。
毎日僕はお母さんが食卓に置いた朝ご飯を黙って食べて、自分で支度しておいたランドセルを背負って家を出る。その間、家族の誰ともしゃべらない。話しかけても、無視をされるか、黙って早くしろ、と叱られるだけだから。
今日も同じように家を出て、でも宿題のノートを忘れたと気づいて、家を出て少し歩いたところで引き返した。
すると、玄関の中に入ったところで、高校生のお姉ちゃんが話している声が居間から聞こえた。
「ねえ、あいつ、いつまでこの家にいるの?さっさとよそにやってよ。親戚に欲しがってる家があるんでしょ?」
「そんなのはあんたが口出しすることじゃないわよ」
お母さんが言う声が聞こえる。家の中にいるのは、僕以外にはこの二人だけ。お父さんは夜勤から戻ってないし、お兄ちゃんは中学校の部活の朝練だ。
僕はお母さんとお姉ちゃんに見つからないようにしないといけない。お姉ちゃんは僕にイヤなことを言ってくるし、それをきいたらお母さんがものすごく大きな声を出してお姉ちゃんを叱る。僕はそのどっちもきくのはいやだ。
僕は足音を忍ばせながら、自分の部屋に入った。本棚から宿題の漢字ノートを取り出す。それを手に持ったときの感触でイヤな予感がして、僕はノートを開けてみた。
すると、僕が書いたはずの漢字が全部消されていた。誰がやったかはすぐにわかった。お姉ちゃんだ。お姉ちゃんは僕が勉強をするのを嫌がるから。
僕はノートをランドセルに入れて、階段を降りた。すると、居間から出てきたお姉ちゃんと出くわした。お姉ちゃんはにやりと笑ってみせた。
「あんた、いらない子なんだから。もう帰ってこないでよ」
「希空!」
お母さんが金切り声を上げる。僕は聞きたくなくて家を出て、学校へ走っていく。
結局僕は、宿題をやってこなかったことを先生に叱られた。そして、放課後に昨日の分の宿題をやってから帰ることになった。
みんなはもう家に帰った後、僕ひとりだけ席に座って漢字を書く。一年生なんだから、簡単。なんでこんなのわざわざ練習しないといけないんだって思う。でも、宿題なんだからやらなきゃ、と思いながら字を書くために下を向いていると、頭の上から男の子の声が降ってきた。
「なんでそんなかんたんなのを何回も書かないといけないんだ」
僕は頭を上げた。目の前には、白い肌に白い髪をした、僕と同じくらいの身長のきれいでかっこいい男の子が立っていた。でも、僕にはこの子の名前がわかった。
しらがたくみくん。僕の後ろの席の子だ。
しらがたくみくんは、出席番号が僕のすぐ後ろで、だから席もすぐ後ろだ。僕が「さくらばゆかり」で名前の一番最初が「さ」、しらがくんは「し」ですぐ後ろ。
でも、しらがくんは学校に入学してから一学期がもうすぐ終わろうという今日まで、一度も学校に来たことがない。だから、見たことのない男の子はしらがくんにちがいない。
僕はしらがくんに言った。
「しかたがないよ、宿題だから」
「あっそ。それより遊ぼうぜ。すっげえいいもん見つけたんだ」
「待って、すぐに終わらせるから」
遊びに誘われて、僕はうれしくなって残りの漢字をささっと書いた。今日の宿題は算数だけど、それは家に帰ってからやることにする。
僕はしらがくんに教室で待ってもらって、漢字のノートを職員室に持っていった。先生ははなまるをつけてくれた。もう忘れちゃだめよ、と言われ、僕は黙ってうなずき、教室に戻った。
しらがくんは自分の机の上に座って待っていた。僕はランドセルを背負いながら言った。
「ごめん、待たせた」
「うん、行こうぜ」
そして僕らは学校を出た。しらがくんがどんどん走るから、僕も負けずに走る。
しらがくんはぼくを家の近所の神社に連れて行った。しらがくんの家もこの近くのアパートのはずだ。
僕は神社の下の道は何回も通っているけど、石段を上がって神社にまで来た事はなかった。
神社の境内には、大きな太鼓はしごが一つあった。しらがくんはその上にさっさと上がり、僕にも上がってくるように言った。僕は太鼓はしごの脚のところにランドセルを置いて、しらがくんの隣まで太鼓はしごを上がっていった。
僕はそこから見た景色にびっくりして息を呑んだ。
僕らは山の中腹にある神社にいて、そこからだと、町の様子が遠くまで見えた。遠くにうっすらと見えるのは海かもしれない。そして、それらが茜色の空のした、オレンジ色に染まって見えた。
「すごいね、きれいだね」
僕は興奮してしらがくんを見た。にかっと笑ったしらがくんの目が真っ赤に見えて、僕はまじまじと目を見返した。とてもきれいだった。
しらがくんは、何?と笑うのをやめて僕を見る。すると、しらがくんの目は黄色がかったうす茶色のになった。それでもしらがくんがかっこいいことには変わらず、僕はどきどきしてしまう。
どきどきをごまかしたくて、僕はしらがくんに言った。
「えっと、何して遊ぶ?」
「なんでもいいだろ。神社の裏から上がってみるとかさ。ここよりもっと高いぜ」
僕はしらがくんの案内で神社の裏の石段を上がっていった。しらがくんの話だとこの先には大きな石があって、そこには神様がいるって言われてるんだって。でも、もうだんだん暗くなってきていたので、僕は帰ることにした。
家に帰ると、お客さんが来ていて、帰るところだった。お客さんは大きな体をしたおじさんだった。始めて見る人だ。
そのおじさんは、玄関で鉢合わせした僕に、お前さんが縁か、と声を掛けてきた。
おじさんを見送りに出ていたお母さんが、慌てた様子で言う。
「縁、奥に入ってなさい」
僕はお母さんの言うとおりにしようとしたけど、奥から出てきたお姉ちゃんが僕を通せんぼした。
「縁、お客さんに挨拶しな」
僕はお客さんの方を向いて、こんにちは、とあいさつをした。途端にお姉ちゃんが僕の頭を後ろから張る。
「こんにちは、じゃないだろ。こんばんは、だろ。あと、はじめまして、が抜けてる」
僕も、こんにちはとこんばんは、どちらかなと思ってたのだ。僕は挨拶し直した。
おじさんは、挨拶できてえらいな、とにこやかに言った。そしてお母さんに、また来ます、と言った。お母さんは平らな声で、何度来られても困りますけど、と言った。主人がいるときでないと話も進められませんし、とお母さんが言うと、おじさんは、
「それでは、ご主人がいるときに来ますよ。直接連絡をとらせてもらって、お約束をいただいてきます」
「それは困ります」
お母さんが少しだけ焦っているようだった。でもお姉ちゃんが、
「あー、お願いします。お父さんと話してください」
「希空!」
お母さんがちょっと大きな声でお姉ちゃんを怒った。お姉ちゃんは無視して二階に上がっていった。
おじさんは僕に、「またな」と言って家を出て行った。
僕はうなずくこともできなかった。




