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翌日。
電話の音で起こされる。
知らない番号からの電話で、受話器を取ると同時に常套句を言う。
電話は病院からだった。
『浅葉雄治さんの息子さんですか? 実は――――』
事情を説明され、病院の場所を知った瞬間にすぐに走った。
職場での事故。
金のない四十代の男。それだけで、病院をたらい回しにされた挙句に電話先の病院に至ったらしい。
だが、何故すぐに連絡が来なかったのか。職場の人間が普通、電話してくれるのではないか。
そう。それは普通だ。
父親は普通と判断されなかった。
何故。そんなのは誰にだって分かる。
お金がないから。
「親父! 親父はどこなんですか!?」
病院の受付で大声を上げると、受付の女性はなんとも嫌そうな表情を浮かべる。
「周りの患者様の迷惑になりますので、声の大きさを抑えてください」
その言葉を聞いて周りを見渡すと、診療に来ていた患者たちは優介を軽蔑するような目で見ていた。
この病院は金持ちの巣窟だった。だから、金の持っていない優介の事など、虫ほどの存在にしか思っていない。
「浅葉様の息子さんですね? 四階の四○五号室になっております」
淡々とそう告げて、それを聞き終えた瞬間に走った。
エレベーターなんて待つ時間さえ惜しく、階段を駆け上がる。
四○五号室の扉を開けると、ベッドに座っている状態の父親の姿がそこにあった。
「優介。心配かけたなぁ……」
まだ、体調の悪そうな顔でそう告げる父親を見た瞬間に一気に全身の力が抜けたような気がした。
生きていた。それだけで良かった。
「ホント……良かった……」
そんな優介を見ながら父親は浮かない顔をする。
「優介……話がある。冷静に聞いてくれ」
改まって、そう告げる。
何か重大な事を話そうとしているのが伝わってきたが、逆にそのせいで聞きたくないと思った。
「今日から夕ご飯とかは自分で買えばいいんだよな! じゃあ、帰るわ」
「優介! 聞けって言うとろうが!」
父親の言葉を聞かないように病室を出ようとしたが、それは父親の怒鳴り声によって止められた。
「さっきな。先生に言われたんよ。事故のせいで、変なもんが体内に入ったみたいでな。それを取り出さんと、二日後には死ぬらしいんよ」
「だったら、取り出したら死なないんだろ? 手術すれば取り出せるんだろ!?」
父親は少し間を置いて、微笑みながら言った。
「そんなん当たり前やろ? だから心配すんな! すぐ退院するから!」
父親が退院すると言ったのだから、本当に退院するのだろう。そして、手術も成功するはずだ。
「優介」
病室の扉を開けようとした彼の手が止まり、ベッドの方へ振り返る。
「どんな世界でも恨むな」
それはいつか父親の口から聞いたことのある言葉だった。
確か左腕を失くして入院していた時に言われた。
「分かってる」
そう言って、病室から立ち去る優介をベッドから悲しい眼差しで父親は見ていた。
◇
翌日。
憂鬱な月曜日を迎え、誰もいないアパートの一室に鍵をして、外に出る。
明日は病院に行った方が良いとも思ったのだが、学校をサボって行ったと知れれば、何と言われるかもわからないので、学校が終わった放課後に行こうと決める。
ホームルームの時に中間考査の話も聞かされながら授業を受けて、昼休みになると廊下にはいつものメンバーが揃っていた。
「この前のアニキかっこよかったっす!」
図書室へと向かいながら、称賛をよこしたのは元リーダーの修一であり、優介は彼がこの前の南高校の不良女に惚れていると踏んでいる。
そこに触れるのはやめにするとして、図書室に着くと彼女はいつものように本を読んでいた。
「で、この前アニキが勝ったので、今度は北高校が喧嘩売ってきましたー」
「え? じゃあまたタイマンするってこと?」
頷く男に対してため息を吐きながらも、この前のように楽勝だろうと思って日程を聞く。
「いつ?」
「明後日の放課後っすね」
(明後日なら別にいいかな……)
「分かった」
了承するのと同時にうれしそうな表情をする修一。
いつの間にか、この空間は自分にとって居心地の悪くない場所になった。
貧しいだけで中学の頃は軽蔑され、高校になってからは貧しい者達だけが通っているのでそんな事もなく、生活できている。
そして左手の事を知る者も少なく、知ってもあまり気に留めない。
「あ! 俺たちちょっと用事あるんで」
そう立ち上がる修一に金魚の糞のようについていく不良たち。
残されたのは優介と篠沢菜緒の二人だけだった。
「ホント面白いよね。修一くんたちって」
「……そうだな」
会話が全く続かない上に優介が黙ったままでいると、彼女は本を読み始めていた。
こんなもんかと教室に帰ろうと席を立とうとした時、彼女の口が開く。
「あのー……今週の土日とか空いてたりする?」
カバー付きの本で口元を隠しながらそう尋ねてきた。
「……うん。空いてる」
◇
放課後。東高校の不良たちによる校門の掃除は継続しており、また、その範囲は校内と学校の周りの道路にまで伸びていた。
これまでにおこなってきた諸々の悪いおこないから範囲を広めるように言ってきたのは先生。
優介はそれを快く受け入れ、優介は今では不良と先生の架け橋になっている。
そんな優介は今、箒を持ってぼーっと空を見上げていた。
「ナニぼーっとしてんすか、アニキ?」
「え? いや。なんでもないよ」
そう答えるとまた空を見上げる優介を見て、首を傾げてみせる修一は掃除に勤しむことにする。
(今週の土曜日か……楽しみだなぁ……)
「へへ……ハハハ……」
ひとりでに笑い始める自分たちのリーダーを見ながら、不良たちは不気味に思い、より一層箒で掃く手を動かす。
そんな浮かれた気分のままコンビニに寄って夕飯の弁当を買って古びたアパートに帰宅すると、電話が光っているのが見えた。
留守番電話が入っているようだった。
それは病院から。
嫌な予感がした。
父親が病室を出る時に言った言葉が頭の中に響く。
「いや……そんなわけないって……」
そう言いながら、鍵をしてから家を出る。
最初は自分の気持ちを落ち着かせるように歩いて病院に向かっていた。
だが、その足は段々と速くなっていき、最終的に全速力で走っていた。
信号を待つ数分間ですら惜しかった。
病院に着くと、この前のように受付で叫ぶような事はせずに息を整えてから尋ねると、看護師の女性が案内してくれた。
一階の人が寄り付かないような奥の方に進んでいく。
そして、たどり着いたのは一番奥の部屋。
(なんだよ、ここ……まるで……――――霊安室じゃねえかよ……)
中に入るが電気は点いておらず、だが、廊下からの光だけでも部屋全体が見えるくらいには照らされていた。
白い布が被されたベッドを見る。
何も言葉が出てこず、頭の中も布と同様に真っ白になる。
看護師が隣にいるのも忘れて膝を着き、その場でうな垂れる。
(なんで……? 手術すれば助かるって、そう……言ったじゃんか……)
足の裏を地面につけて立ち上がり、ベッドの方に近づく。
すると、看護師は白い布を外してベッドに横たわった人物の顔を露にした。
それは紛れもなく優介の父親の顔であり、改めて自分の父親の死を認識する。
しばらくの間、その場に突っ立っていたが、医者からの説明があると言って別の部屋に連れて行かされる。
聞かされたのは父親の死因についてのこと。
意味の分からない言葉を並べていって、左から右に流れていっていた時、医者は信じられない言葉を口にする。
「――――からないと分かり、お父さん自身で死をご決断いたしました」
「は…………? あの、もう一回言ってもらえますか……?」
そう言うと、医者は面倒くさそうに繰り返した。
「ですから、手術には君のお父さんの経済力では対応しきれないほどの莫大なお金が掛かってしまうため、また手術以外の方法では助からないと分かり、自身で死を決断しました」
目を見開かせる優介。
「……つまり金がなかったから、死んだってこと?」
「そうなります」
「お金があったら死ななかったってこと……?」
「そうですね」
淡々と答える目の前の男はただの金でしか動かない屑人間。
「はぁ……ふざけんな…………オレに借金残してでも……手術しろよ……ナニやってんだよ……」
怒りとやるせなさがこみ上げてくる。
そんな優介の姿を見て、医者は口を開く。
「君の人生を棒に振ってしまうほどの手術代です。少しは死を決断したお父さんの気持ちも汲んであげたらどうですか?」
瞬間、優介は立ち上がって、自らの右手で医者の胸倉に掴みかかった。
「あんたにナニがわかる!」
「……何もわかりませんよ。いや、わかりたくもない。早く手を離してください」
医者の言葉に従って手を離すと、医者は自分の白衣を整えて部屋を出て行った。
目の前の白い机を右拳で殴りつける。
そんな事をしても、優介の怒りが発散される事はなかった。
翌日は通夜などが忙しくて学校には行けず、次の日は何もなかったが、学校に行く気分にはなれなかった。
アパートの一室で横になって、自分の左手を天井に向けて上げる。
父親にもらった左腕。言わば形見だった。
この狭い部屋とも別れる事となる。何故なら、優介は父親の叔母にあたる人に引き取られるから。
つまり、学校も転校する。
学校に行ったところで、もう意味がない。せっかくできた友人とも別れてしまう。
いや、だからこそ行くべきなのかもしれない。
そう思って制服に着替えようとした時、今日は北高校の不良との対決の日であると思い出す。
だが、そんなのはどうでもいい事であり、今重要なのはある人物に会うことだった。
それは約束をしてしまった人。
学校に着いて、遅刻なので職員室に行くと見知った先生が心配そうな顔をして優介に声を掛ける。
適当に答えてから教室に行って途中から授業を受ける。
先生の言葉は左から右に流れていき窓の外を見ると、黒い雲が垂れていた。
昼休みになって、廊下を見るといつもの不良の男たちがいる。しかし、その様子はどこかぎこちなかった。
「アニキ……」
男たちは優介の父親の事を知ってる風で、優介もそれを察した上で笑う。
「お前ららしくねえよ。いつもみたくオレを慕ってろ! それと今日のタイマンのこともちゃんとおぼえってっからな」
そう言いながら先に図書室に向かおうとする彼の背を見て、修一は傍にいた不良の男の腕の中にあった食料を持って追いかけ、優介の目の前に立った。
「これ持って図書室に行っててください! 俺たちも後で行くっす!」
「……お、おお」
食料をもらった優介は歩いて図書室に向かい、修一を含む不良たちは昼休みに図書室へ行く事はなかった。
彼らなりに空気を読んだのである。
優介が図書館に着いて、奥の方に目を向けるとそこにはいつものように本を読んでいる女子生徒の姿があった。
その姿は一つの絵画のように美しい風景で、自分も彼女と同じ世界にいるとは思えない。
だが確かに優介はこの残酷な世界にいた。
「久しぶり……って言っても会ってないの一日だけか」
彼女の座ってる机まで近づいて、口を開くと彼女は茶色いカバーの付いた本を机の上に置いて立ち上がる。
何かを言おうと口を開く彼女だったが、直前で口を閉じた。
「……そんなに気ィつかわなくていいよ……」
「でも……」
彼女は顔を俯ける。
そんな彼女に向けて、優介は単刀直入に言った。
「オレ引っ越す事になったからさ……今週の土曜は行けなくなったわ。ごめんな……」
優介の言葉に彼女は反応を見せない。
彼は修一にもらった食料を机の上に置いた。
「じゃあ、そーゆーことだから……」
「……あ、まっ……!」
最後に優介を引きとめようとする言葉が彼に届く事はなく、その背中はすぐに図書室からいなくなった。
(これで……これでいいんだ……!)
自分に言い聞かせるようにそう心の中で言った。
昼休みが終わると、授業を受けてすぐに放課後を迎える。
廊下にはいつものメンバーが揃っており、皆一様に殺気立った表情をしていた。
優介もその中に加わるのと彼らと同じような表情で歩き始める。
たどり着いた場所はこの前と同じ公園であり、そこには既に北高校の不良連中が来ていた。
「レオさん。あいつら悪びれた様子もなく、遅れてきましたよ?」
いや。そこには不良と呼ぶには紳士過ぎる口調で話す男子生徒たちがいた。
「まあ。そんなかっかすんなよ、キョウ。あっちも色々と大変な事があるんだろ。察してやるくらいの器のでかさがお前の足りない部分だよな」
「……すみません……」
会話をする彼らには今からの対決のことなど気にも留めていないような様子で、余裕が感じられる。
(余裕こいてられんのも今のうちだ……)
北高校の不良たちを睨みつけながら、そう心中で言うと男たちはやっとこちらに意識を向ける。
「申し遅れましたが、初めまして。北高校の山口恭平と言う者です。そして、こちらにおられるお方が今回あなた方の頭と戦う永野伶直さんです。以後お見知りおきを」
「で、そっちは誰が戦うんだ?」
「オレだ」
この前のように無言で切り抜けようとはせずに優介が答えると、ぽつぽつと雨が降り出した。
「雨とか……萎えるわー……」
北高校の頭である永野が呟く。
するとその瞬間、目にも止まらぬ速さで優介との距離を詰め、その右拳を優介の腹めがけて振るった。
左手でそれを防ごうと動かしたが、その優介の動きの速さを男は簡単に凌駕してみせた。
優介の腹にその右拳が当たる。何の抵抗もできずに優介の体は公園のフェンスまで吹っ飛ばされた。
口から胃液が飛び出し、苦いと感じる前に優介の体はひしゃげたフェンスから離れて地面に叩きつけられる。
(……なんだよ……こんな力……ありえねえだろ……)
北高校の頭の力を疑い始める優介は唾を地面に吐きながら両手に力を入れて起き上がる。
「大丈夫かぁ? 早く終わらせたいから、降参してもらうための一撃だったんだけどー?」
「……うっせぇ……」
「……まあ、そう簡単には降参しないよな」
雨が段々と強くなっていく最中、永野と言う男は着ていた学ランを脱いでTシャツ姿になった。その時、優介は気づく。
「お前……それ…!?」
そう。それは見たくもない景色だった。
目の前の男の体はあり得ないほどの筋肉を有していたから。
「金で……買った……?」
「そう。Time is money制度って便利だよなー。何でも買えちゃうんだから。格闘技を習って無くても、金払えば達人になれる。世の中の上に立つのなんてチョロいチョロい」
初めて目にした金で筋肉を買った者。それを睨みながら、優介は走る。
既に雨のせいでどろどろになった土を巻き上げ、黒い手袋のした左手を勢い良く振り上げる。
しかし、その直線的な動きは簡単に避けられ、代わりに優介の腹に相手の膝が入る。
「がはっ……!」
(なんだよ……世の中……)
どろどろになった地面に倒れ、泥に頬をつける。反対の頬は相手の靴の裏がついた。
(どこまでいっても金じゃねえかよ……)
「不憫だよなー金がねえって」
その瞬間、雨に打たれる頭からある言葉が鳴り響く。
『どんな世界でも恨むな』
「できねえ……」
そう呟く声が自分の顔を踏み潰している男に聞こえていたのかどうかは分からない。
優介は自らの顔を踏む足を左手で掴み、鈍い音を鳴らした。
「恨まないなんて、できるかよ……」
「いってぇ……てめえ! 何しやがった!?」
優介の左手を振り払うと、後方に下がる永野。
「こんな世の中……――――」
(――壊れてしまえばいいのに)
降りしきる雨の中、そう願って立ち上がろうとした瞬間、優介は再度泥の中にその体を沈めた。
彼は負けた。
この世のシステムに。金に。そして、自分に。
「ハハ……ハハハ……」
大の字に仰向けに横になった彼は笑う。
「金……人の命だって金で買える……クソみてえな世界!」
「……アニキ?」
侠気にも似た笑いに心配し始める修一に、優介は告げる。
「オレはもうこの町から引っ越すんだ……だから――――もう関わらないでくれ」
言葉を失う修一。
優介は立ち上がると、泥だらけでずぶ濡れの制服のままその場を去った。
こんな世界なんて壊れてしまえばいいのにという優介の願い。
それを神と言う存在が聞き届けたのか否か。
いや。世界に神など存在しないのだろう。
何故なら、いつだって世界を壊すのは人間だから。




