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第八話 脂…妖怪

あれは1990年代後半。

七月の海辺。

夫はミントグリーンのシャツに白い短パンを履いていた。

爽やかなシャツからはシャボンの匂い。

日に焼けた首筋には汗が光っていた。

細くて、よく笑って、まるで海辺の王子だった。


……あの頃は。


2025年七月。

仕事から帰宅した夫は、いつものように床へ仕事着を脱ぎ捨てた。

私は無言で拾い上げる。

シャツの首周りには、うっすら黄色い汚れ。

首筋には、じっとり脂汗。


「仕事着は床に置かないでって何回も言ったでしょ。それに時間が経ったら汚れ落ちないのよ」


「……おう」

全く反省した様子はない。

私は夫を見る。

灰色の部屋着。

今日も当然のように着ている。


「部屋着も洗うから脱いでよ」


「おう!」

珍しく返事が良い。

妖怪はそのまま洗濯機へ向かった。

だが数分後。

何事もなかったように、灰色の部屋着姿でソファーへ戻ってくる。


「え!?」

私は夫を見る。


「まさか同じ部屋着を買って着替えたの?」


「おう!!」

妙に誇らしげだった。

結婚三十年。

灰色は脂が目立たない。

奴は意外と気にしてる。

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