ラフレイン
舞台に、光が落ちている。
白すぎる光だった。
眩しいのに、少しも暖かくない。
客席は埋まっている。
けれど静かだった。
誰も喋らない。
ただ、舞台だけを見ている。
その視線が重い。
舞台の中央に立ちながら、セラはゆっくり息を吐いた。
逃げたい。
今でも、ちゃんとそう思う。
怖い。
足が震えそうになる。それでも、立っている。
「さあ」
ノクスの声が響く。
「最後の演目だ」
客席の奥で、笑い声がした。
泣き声も。怒鳴るような声も混ざっている。
いろんな感情が、舞台の周囲を渦巻いていた。
そして、舞台の外。
照明の届かない暗がりの中に、
“あれら”がいる。
静かに揺れている。
孤独。
諦め。
虚無。
執着。
舞台には不要だと捨てられた感情たち。
見えないふりをされてきたもの。
セラは、ゆっくりそちらを見る。
怖かった。近づきたくない。触れたくない。
それでも、目を逸らせなかった。
「お前は完成した」
ノクスが言う。静かな、確信に満ちた声。
「すべての感情を抱えながら、壊れない」
違う。
壊れないんじゃない。
壊れそうなまま、立っているだけだ。
今だって怖い。苦しい。逃げたい。
それでも。感情は消えない。
どれも。
歓喜も。
怒りも。
恐怖も。
そして、舞台の外に捨てられた感情も。全部。
胸の奥に残っている。
「……完成なんかじゃない」
気づけば、声が静かな舞台に落ちる。
ノクスがわずかに目を細めた。
「私は、全部消えなかっただけだ」
クラリスは笑わない。
ヴェラも黙っている。
客席だけが、静かにこちらを見ている。
「孤独も、怖さも、消えない」
喉が少し震える。
それでも、言葉は止まらなかった。
「苦しいまま残ってる」
舞台の外を見る。
暗がりの中の感情たちは、静かに揺れている。
まるで、ずっとそこに閉じ込められていたみたいに。
ノクスは、それらを不要だと言った。
完成しないから。綺麗じゃないから。
でも。
「……それでも、感情だ」
その瞬間、舞台の空気が変わった気がした。
暗がりが揺れる。静かに。
ゆっくりと。
ノクスは黙っている。
やがて、
「……そうか」
低い声が落ちる。
それは納得にも、諦めにも聞こえた。
舞台の光が揺らぐ。
客席の輪郭が、少しずつ薄れていく。
笑い声も、泣き声も、遠くなる。
セラは、ゆっくり振り返った。
出口が見える。
テントの隙間から、夜の闇が覗いていた。
外に出た先に何があるのかわからない。
本当に出ていいのかもわからない。
それでも、足は、前に進いた。
舞台を降りる。
客席の間を歩く。
誰も止めない。
クラリスは静かにこちらを見ていた。
いつもの笑顔はない。ただ、じっと見ている。
ヴェラは壁にもたれたまま、小さく舌打ちした。
けれど、何も言わなかった。
ノクスだけが、舞台の中央に立っている。
黒い輪郭が、少しずつ舞台の闇に溶けていく。
セラは歩く。
一歩ずつ。出口へ向かって。
幕の前で、一度だけ立ち止まる。
背後から、ノクスの声がした。
「——それがお前の感情か」
答えない。
答えられなかった。
ただ、その声を背中で聞きながら、
セラは幕をくぐる。
冷たい夜の空気が、肺に入った。
ちゃんと息ができる。
背後では、まだサーカスの音が続いている。
終わったわけじゃない。
きっとあの舞台は、これからも続く。
それでも。セラは、もう振り返らなかった。
ポケットの中でボロボロのチケットを握りしめたまま。




