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『獏間綴喜』後

 この先ずっと、自分で招いた悪夢に悩まされるだろう男。

 彼には後々悪夢を食べに来てやると言った獏間だけれど、実際は本気でそうするつもりもない。

 あんなものに構うより、もっとずっと有意義なことに時間をかける方がいい。

 そんなことを考えながら長い廊下を歩いていると、知った二人組を見つけた。


「こんなところに来るなんて、仕事かい?」

「それはこっちのセリフだ、獏間。ここでなにしてる」

「ほんとだよ~探偵。鏑さん、探偵がお兄さんに面会に来てるって知った途端、血相変えて走って行っちゃったんだから~。おかげで~、花乃たち待機中なんだけど~」


 笹ヶ峰は相変わらず不機嫌そうで、平沢は相変わらず間延びした話し方だ。

 けれども、ふたりの視線がなにかを探すように自分の背後に向けられたことに気付いた獏間は、やれやれと肩をすくめた。


「祈は来てないよ」


 すると、ふたりは目に見えてホッとする。


「連れてくるわけないだろ、こんな辛気くさいところ」

「それもあるけど~、あの手の子はここにぶち込まれてる奴らに~目ぇつけられちゃうよ~。分かってるんだよね~、探偵は~」

「…………」

「あ~、その笑顔。絶対分かってるよね~? ……まっきーは魂が綺麗すぎるよ。それでもって無防備すぎる。危ういんだよ~。鏑さんのお兄さんが言ったこ、全部鵜呑みにするわけじゃないけどさ~……部分的には納得しちゃうよ。……あの子、文字通り境界線に立ってるんだ」


 平沢は真剣で、笹ヶ峰は僅かに眉間にしわを寄せている。


「返ってきた人間なら……当然だよね。そういう子って、綺麗だから……連れて行かれやすい。探偵、あんたたちみたいな存在に」

「平沢刑事も、なかなかいい目を持っているな」

「……あの子の目ほどじゃないけどね。……でもそれだって、あんたといるせいでしょ。あんた、なに考えてるの? このままだと、あの子はあんたの影響を受けてどんどん見えるようになるよ。ただでさえ、返ってきた人間なんだもん。普通の人間よりずっと影響を受けやすい。そしたら――」


 平沢は、一度見ただけで祈のことを看破していた。

 祈の魂――その外見の年齢と釣り合わない……幼さを。

 だからこそ、こうして心配している彼女だが、喋りすぎだなと思った獏間は軽くにらんだ。


「どこぞのセンセイみたいなことを言うのはやめてくれよ? 僕が祈を食べて、力をつけようとしているなんてさ」

「うげ、あの女と同列は嫌だ~……でも――違うのね?」


 顔をしかめた平沢は、それでも獏間に念押ししてくる。

 

「綺麗なものに惹かれるのは、人間も僕らも変わらないけど――食べて力をつけるなんてことを考えるのは、綺麗なものを見ると汚したくなるなんていう人間と同じくらい馬鹿な奴だ」

 

 綺麗なものに素直に心惹かれる者がいる影で、綺麗なものに対して破壊衝動のような感情を抱く者がいる。過剰な一体感を求める者がいる。人でも、そうでなくても……歪んでいることには変わらない。


 獏間が求めているのは、そういうことではないのだ。

 望むのはただ――共に在るべきもの。


「僕は綺麗なものは手元に置いて大事にするタイプだよ。今回の一件で、下手に人間っぽくしたら痛い目を見るって学んだしね」


 ひらりと手を振れば、平沢はひとまず納得したようだった。

 だが、今度は横の笹ヶ峰が口を開く。


「獏間、お前が坊主の保護者なんだ。ちゃんとしろ」

「それはもちろん」

「坊主は人間なんだ。あいつが人間として生きるなら、それに合わせろ。――無理矢理、そっち側に引きずり込むな」


 善良な人間らしい正論に、獏間は笑って答える。


「僕は僕なりに、誠実に接するつもりさ。だって、僕はあの子の成長を見守るのが楽しみなんだから」

「……獏間」

「あ~、じゃあさ~、花乃とささみんで、まっきーのことをこっち側に引っ張り続けようよ~。そしたら~、探偵とうちらでバランスがとれるでしょ~?」

「それは不公平だろう。二対一なんて、卑怯だ」

 

 獏間が抗議すれば、これで平等だと平沢に反論される。


「意外だね、平沢刑事が仲裁に入るなんて」

「花乃はささみん大好きで~、探偵は嫌いだけどね~。まっきーは色々心配になる子だし~、まっきーといる時の探偵は作り物じゃなくて、血の通ったいい顔してるから~……少しは信用してやろうかなって~」

「そうか。それならこれからも、獏間探偵事務所をよろしく頼むよ」

「それとこれとは、話が別!」


 祈の周りはこれからも変化する。

 そして、祈自身にも変化は起こるだろう。

 不変であると思っていた自分にも、こんなにも大きな変化を起こしたのだ――祈はこれからも、様々な人と出会い、様々な経験をし……その傍らには自分がいるのだろうと想像した獏間は、酩酊したようなふわふわとした気分になる。


(――祈に会いたいな)


 ふと浮かんだ感情は新鮮で、それでいてくすぐったい。

 その感情にまかせて、獏間は二人の刑事との会話を切り上げた。

 

「ははは、じゃあ僕はもう行くよ。鏑刑事と鉢合わせると面倒だから」

「……あ~……そうだね~、鏑さん切れたら面倒だし~」


 しっしっと平沢が追い払う仕草をする。

 後ろから笹ヶ峰の視線が刺さり、彼が平沢に「鏑さんを待たないと」などと問いかけている。


「いいんだよ~、だって、あんな顔されたらこれ以上引き留められないでしょ~」

「あんな顔? ……あー……そういや、妙に笑顔だったな」

「あの顔面であの笑顔……。それで、早く帰りたい~ってオーラ出されたら、ねぇ? 負けるわ~」

「……俺たちが鏑さんに切れられそうだけどな」

「足止め要員に使うほうが悪いんだよ~。自分だってほぼ私情優先じゃ~ん」

「ま、そうだな。妙に機嫌がいい獏間を引き止めて、面倒引き起こされるよりマシだ」


 分かっているじゃないかと獏間は笑う。


「よし……。じゃあ、今日は飲みに行くか、平沢」

「え! ほんとに!? やった……! だ、だったら、なにもしないから~、その後も~」

「――飲みに行くだけな」

「ささみん、相変わらずガードかたい……! でも、うれしーから、いっか~」


 楽しげな様子に変わった知り合いたちの声を背に、獏間も自分を待っている存在の元へ急いだ。

 きっとあの子は、今日も自分に「おかえりなさい」と笑顔を向けてくれるだろう、と――。

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