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賢者の胆石  作者: 佐藤謙羊
第2章
86/119

25 少女の悩み1

 時は、1日ほど戻る。


 セージの家を飛び出したシトロンベルは、無我夢中で走っていた。

 何かにせき立てられるように、見えない力に背中を押されるようにして森を抜ける。


 少女はがむしゃらに走っていたので、気がつくと見知らぬ場所にいた。

 学園の敷地のちょうど真北にある、『賢者の塔』の前だった。

挿絵(By みてみん)


 近くに教室があるので、側までは毎日のように寄っていたが、こんなに近くに来るのは初めてだった。


 そもそも『賢者の塔』の付近は、賢者(フィロソファー)候補生以外は、あんまりうろついていはいけない暗黙の了解がある。



 ……でも、セージちゃんなら……。

 そんなこと、気にしないんだろうな……。



 少女はいま、我を忘れているはずだった。

 でも、あの少年のことだけは、何かにつけて頭に浮かぶ。


 朝起きたら心の中で、「おはよう、セージちゃん」。


 授業中もふと気を抜くと、「セージちゃん、今なにしてるのかな……」。


 食事をしているときも、「セージちゃん、ちゃんとごはん、食べてるかな……」。


 入浴中も当然のように、「セージちゃん、お風呂どうしてるんだろう……」。


 そして寝る前は、「おやすみ、セージちゃん」。


 まさに、おはようからおやすみまで、少女の頭の中には……。

 コーンパイプに黒コート、そしていつも不敵な笑みを浮かべる、あの(●●)少年がいて、離れなかったのだ。


 もはや脳内に、棲み着かれてしまったかのように。


 ……立派な賢者になりたければ、どんな時でも落ち着いていること。

 尊敬する父親からそう教えられ、ずっと守ってきたつもりだったのに……。


 出会ってまだ半年も経っていない、8つも歳下の男の子に……翻弄されっぱなしだった。


 そして、今も……。



「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……はあっ……」



 少女は息を整えるついでに、大きな溜息をつく。

 近くにベンチがあったので、ふらふらと近づいていって、腰を下ろす。


 そのまま、



「ああっ……どうしよう……!」



 リストラされたサラリーマンのように、がっくりとうなだれる。


 吹き抜ける風にのって、さらさらと流水のように流れる、水色の髪。


 同性であれば誰もが羨ましがられる、その美しい髪をたたえる頭を……。

 彼女自身はまだ存在を知らないファンクラブにおいて、1本100万ポイントで取引されている、ミリオンダラーヘアーを……。



「ああっ、もう……どうしたらいいの……!?」



 困惑とともに、わしゃわしゃとかき乱す。


 美少女の悩み悶える姿は、それだけで絵になる。

 通りがかった賢者(フィロソファー)候補生たちは、誰もが足を止め、目を奪われていた。


 それは……彼女(●●)も例外ではなかった。



「あら、シトロンベルさん?」



 しっとりと馴染むような、やさしい声が耳にかかる。

 聞き覚えがあったので、シトロンベルはすぐに顔をあげた。



「ミルキーウェイ様……」



 少女の前には、大勢の取り巻きを引きつれたミルキーウェイが立っていた。

 普段ならば、賢者(フィロソファー)候補生ですら近寄ることも許されない、尊い存在。


 しかしシトロンベルはミルキーウェイの『お気に入り』もしくは『後継者』と目されているので、その限りではない。

 普段は近づく者みな傷付ける、取り巻きたちの風当たりも穏やかであった。


 そして当のミルキーウェイはというと、いたってフレンドリー。

 さっそく人なつっこい微笑みで近づいてくる。


 重そうな胸を赤ちゃんのように抱え、前かがみになりながら、よいしょ、とシトロンベルの隣に座った。

 ちなみにではあるが、彼女は背もたれのない椅子の場合、こうやって座らないと胸の重さで後ろにひっくり返ってしまうのだ。


 取り巻きたちは、姫君が無事着席したことを確認すると、ベンチの背後にある植え込みごと取り囲むように大きな円陣を作った。。

 通称『会談護衛モード』といわれるフォーメーションだ。



「いったいどうしたの? 何かウンウン悩んでいたようだけど……」



 ミルキーウェイから尋ねられ、護衛たちの背中を不安げに見つめていたシトロンベルは、ハッと我に返る。



「えっ、いえ、別に……悩んでなんか……」



 いきなりのことだったので、ごまかしの言葉もうまく出てこない。

 モニョモニョしているうちに、少女は思い直した。


 ミルキーウェイは、かつて思いの丈をぶつけたこともある相手……思い切って打ち明けることにした。

 シトロンベルは、大きく深呼吸をひとつして、向き直ると、



「じ、実は……! セージちゃん、ママのおっぱいが好きみたいなんです……!」



 少女の無垢なる唇から、押し込めていた思いが飛び出す。

 それがまぎれもない、衝撃の告白であることは、



「……ええっ!?」



 普段は決して声を荒げることのない、ミルキーウェイの反応からも明らかであった。



「そ、それは……本当なの?」



「はい。ついさっき、セージちゃんのお家に行ったんです。そしたらセージちゃん、変わった形の容器みたいなものを持ってて……。それが何か尋ねたら、『ほにゅうびん』っていう、ママのおっぱいを再現したものだ、って……」



 まだ信じられない様子で、ふるふると首を振るシトロンベル。



「形はぜんぜんおっぱいじゃないんですけど、先っちょはその……ち……乳首みたいになってて……。チューチュー吸ってたんですっ! セージちゃん、言ってました! 『ママのおっぱいは、自分にとっては必需品だ』って……! それに、それに……!」



 少女の声は震えていた。

 しかし絞り出すように、さらに力を込める。



「『できることなら、ホンモノのおっぱいのほうがいい』って……!」



 もはや言葉はない。

 驚きの連続に、聞き手は息を呑むばかり。。



「セージちゃん、言ってました……! 『自分はまだ、まだ赤ちゃんだから』って……!」



 『おっぱい』に続いて飛び出した、『赤ちゃん』というキーワード。

 それを耳にした途端、パズルのピースがパチリと嵌まったような表情に変わるミルキーウェイ。



「そ、そういえば……ホカホカ温泉のときに、セージさん、トクトク言ってたわ……! 『最近やっとママの添い寝ナシで、寝られるようになった』って……!」



 もちろんそれは冗談だったのだが、この天然女神サマには通用しなかった。

 それどころか最悪の形で、『セージおっぱい大好き説』を裏付ける材料となってしまったのだ……!


 とうとうシトロンベルの瞳が、透明の膜が張ったように潤む。

 今にも泣きそうに、先輩賢者(フィロソファー)をすがるように見た。



「ミルキーウェイ様……! 私……私、どうすればいいんでしょうか……!?」



 その答えはもちろん、『どうもしなくていい』のだが……。

 もはや四六時中、あの(●●)少年のことばかり考えている少女にとっては、そういうわけにはいかなかった。


 そしてもちろん、目の前にいる少女も、同じ気持ちであった。


 女神サマは彼女の混乱に巻き込まれるように、ドキドキしていたが……。

 やがて妹に相談された姉のように、落ち着きと微笑みを取り戻した。


 すすっ、とお尻をずらして近づくと……。

 ヒザに置かれたシトロンベルの手を取り、しっかりと握りしめる。



「大丈夫、わたしにドンドンと任せて! ピカピカーンといい考えが、思いついちゃったの……!」



 耳打ちのついでに、身体をさらに密着させると……。

 たわわに実った果実が、まだ青みの残る果実にぽよんと寄り添う。


 見えない先端同士が触れ合うと、不思議と落ち着いた。

 まるでお互いを、充電しあっているかのように。


 シトロンベルの不安げだった瞳にも、確かなる力が宿っていく。

 ミルキーウェイから耳打ちされるたび、感化されていくように……欲望の色が差し込んでいく。


 それは獣が肉を欲するような、獣欲の類いではなかった。

 赤ちゃんの泣き声を聞いた母親が、いてもたってもいられなくなるような……庇護欲……!



「じゃあ、これからテキパキ特訓よ、シトロンベルさん! ふたりでいっしょに……ねっ!」



「は……はいっ! ミルキーウェイ様っ!」



 ちなみにではあるがこの時、ベンチの後ろに植え込みに、『レッドドップス新聞部』の部員が潜んでいたのだが……。

 姉妹のような少女たちは、知るよしもなかった。

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