15 特訓する神獣
なぜかシトロンベルは哺乳瓶に怖れをなし、家に来た早々に逃げ帰っていった。
授乳に対し、なにかトラウマでもあったのか?
でも、まーいっか。
俺はさして気にも止めず、リコリヌを腕に抱っこした。
テストを終えたばかりの哺乳瓶の先っちょを、小さな口吻に近づけてやると……。
リコリヌは確かめるように鼻をヒクヒクと動かしたあと、
……チュッ!
と磁石がくっつくように咥えこんだ。
そして、
チュッチュッチュッチュッチュッチュッチュッチュッチュッチュッチュッチュッチュッチュッチュッチュッチュッチュッ……!
マシンガンのような断続的な吸引音を響かせる。
「おお、飲んでる飲んでる。やっぱり、よっぽど腹が空いてたみたいだな」
俺の隣で覗き込んでいたモフモーフは、シャッターのような瞼を全開にしていた。
「どうした、そんなに驚いて。仔犬がミルクを飲むのがそんなに珍しいのか?」
「……仔犬……素人……育てるの……無理……授乳が……できない……」
「そうみたいだな。牛乳を皿に入れてやっても、コイツはぜんぜん飲まなかったんだ。でも哺乳瓶のおかげで、その問題はクリアできた」
「ほにゅう……びん……」
モフモーフは、木製の容器に釘付けになっていた。
こんなすごいアイテムがあったのかと言わんばかりに。
そして実際に手に取ってみたいが、授乳の邪魔をしてはダメだと、葛藤しているようでもあった。
「ちょっとかわってくれ」
俺はモフモーフの返事を待たずに、哺乳瓶ごとリコリヌを渡す。
リコリヌがスッポンみたいに哺乳瓶に吸い付いて離れなかったからだ。
彼女がリコリヌを抱く様は、さすが調教師だけあってサマになっていた。
感情をどっかに置き忘れたマシーンのような表情も、心なしか穏やかになっているような気がする。
俺はその間に、もう1本哺乳瓶を作り上げた。
リコリヌはお腹いっぱいになったあと、床の上でりんごに毛繕いされながら、電池が切れたように眠っている。
「よし、できた。よかったらこれ、持ってくか?」
俺はできたての哺乳瓶を、モフモーフに渡した。
「……なぜ?」
表情は相変わらず平坦だったが、驚きと嬉しさが混ざったような顔で、俺を見返してくる赤ずきんちゃん。
初めて、俺の目を見て話してくれた気がする。
「お前は調教師だから、たくさんの動物の面倒を見てるんだろ? それがあれば授乳が楽になると思ってな」
「…………」
モフモーフは特に物言わず、黙って哺乳瓶を握りしめていた。
もう貰ったから、返さないぞと言わんばかりに。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
次の日の朝。
俺はヤスリみたいにザリザリした舌で顔を舐め回されて、叩き起こされてしまった。
「やめろよ、リコリヌ……」
払いのけながら身体を起こすと、生後6ヶ月くらいの黒い子猫が、ちょこんと座っていた。
やけにほっそりとして見えるのは、収縮色のせいだろうか。
ソイツはどこから入り込んできたのか知らないが、目が合うなりミャーと鳴いて、俺の顔に額をこすりつけてきた。
「今度は猫かよ……。それよりも、リコリヌはどこいった?」
「ミャーン」
「お前じゃないよ。犬のほうのリコリヌだよ。たしか寝るときは、枕元にいたはずだが……」
もしかして、寝ている間に床に落としてしまったか?
なんて思っていたのだが、俺の目の前にいた子猫が、さらに甘えるようにひと鳴きすると、
うにゅにゅにゅにゅにゅ……。
まるでモーフィングでもするかのように膨らんで、黒い犬へと変わった。
「うおっ!?」
いきなりのことだったので、俺はびっくりして飛び上がってしまった。
ちょうどその時、俺を起こすために寝室に入ってきていたメイも驚いて、俺と一緒になってぴょんと跳ねていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
俺は居間で朝のハーブティーをすすりながら、『賢者の石ハンドブック』に目を通す。
アルバレッグは『賢者の眷獣』と呼ばれているだけであって、ハンドブック内には専用の章が用意されていた。
そこに書かれていた特徴を、照らし合わせてみると……。
ただの犬だと思っていたリコリヌは、神獣アルバレッグであるというのが決定づけられた。
アルバレッグはまず、犬か猫の姿で生まれるらしい。
赤ん坊の時にはすでに、犬と猫の姿を切り替えることができ、成長にあわせて変化できる動物が増えていくそうだ。
与える食べ物は、変化している動物と同じものでいいらしい。
ただしアルバレッグは食事のほかに、『親』とみなした者から魔力を受け取らないと成長しない。
そのため、『親』とみなした者が不在の場合は成長が止まってしまうそうだ。
アルバレッグは親がよく狩られるため、親がいない間は成長を止め、食べ物が無くても生き永らえる『省エネモード』になるらしい。
……なるほど、リコリヌの記憶が流れ込んで来た時に、コイツは相当前に生まれたような感じだった。
でもずっと赤ちゃんのままだったのは、親がいなくて成長できなかったせいだろう。
それでも餓死せずに生きてこられたのは、『省エネモード』のおかげだったのか。
なお、『親』とみなせる者が再び現れた場合は、『省エネモード』は解除され、すくすく成長するらしい。
ってことは……どうやらリコリヌは俺のことを、『親』だと思っているらしい。
そして『省エネモード』を解除し、俺から魔力を受け取って、絶賛成長中のようだ。
拾ってからたった1日しか経ってないのに、もう身体が大きくなっている。
そのうえ、這いつくばって進むのもやっとの仔犬だったのに、今ではよちよち歩きをしていた。
昨日はいいようにやられていた仔リスたちとも、対等に渡り合っている。
しっかし、新居に次いでペットまで手に入れたと思ったら、まさか伝説の神獣だったとはなぁ……。
しかも『黒き炎』……だっけ?
世界を破滅に導く邪悪なる存在だったとは……。
まぁそんなことはどうでもいいんだ。
神獣だろうが邪悪だろうがなんだろうが、どーせこの世界の人間どもが勝手に決めつけた価値観なんだろう。
それに、コイツが本当に災いをもたらす存在だとしても、俺の家族になったことには代わりはない。
むしろ俺にとって問題なのは、そんな神獣を飼っているというのが、まわりにバレないかということだ。
でもまぁ、リコリヌは名前を呼べば返事をするし、「犬になれ」って言えば、犬に変身するし……。
知能はかなり高いみたいだから、訓練すればなんとかなるかもしれないな。
というわけで、俺は今日一日かけて、リコリヌを特訓することにした。
本当は外の草原でやりたかったんだが、パパラッチがいるかもしれないから、家の中で。
お手、お座りから始めて、取ってこい遊びなどを教え込む。
人が見ている前では変身はしないように言い聞かせ、必ず、コートのポケットに潜り込んでから変身させるようにした。
合い言葉を決め、『キュオ』を犬に、『アイル』を猫にする。
そしてリスたちと遊んでいたのが効いたのか、いつのまにかリスにも変身できるようになっていたので、『ミュー』をリスにした。
たとえば、猫形態のリコリヌに向かって、
「リコリヌ、犬!」
と言うと、たーっと俺に向かって走ってきて、コートの右ポケットに潜り込む。
その後、左ポケットから犬の姿になったリコリヌが飛び出す、といった具合だ。
これならなんとか、誤魔化しが効くだろう。
よおーし、それじゃあ特訓の成果を試すために……。
ちょっと外のほうに、出かけてみるとするか!




