第一羽 トリアタマ
「コッケコッコ──ッ!」
おお、朝だ。これを聞いて起きるのは、存外気分が良い。学生の頃は毎日これで叩き起こされて辟易していたが、都会の冷たいワンルームの中、甲高いアラームとバイブレーションで目覚めるよりはよっぽど良い。やはり、田舎は最高だ。
「コッケコッコ────ッ!!」
近くで鳴いた鶏に張り合うように、俺も鳴き声を上げる。朝から大声を出すのはとてもスカッとする。
さて、そろそろ朝飯の時間。飼い主は3種の穀物に魚粉を混ぜたものを出してくれる。日毎に若干バランスを変えて、飽きが来ないようにしてくれるとても気配り上手な人だ。
サラサラと、餌箱に餌が注がれた音を聞いて立ち上がり──白い羽をはためかせて、一歩を踏み出す。
「コケ《あれ》?」
前を向いてるのに、真横も見える。丸々とした鶏たちが、同じ目線で歩いているのが見える。
首を傾げると、白い羽に覆われ、丸々とした自分の体が見える。手を見ると、指がなく、肩から手先まで、大きな羽が風を捉えるかのように広がっている。足を見ると、鉤を思わせる爪をした指が、前に3本、後ろに1本あり、その肌は黄色くゴツゴツしている。
それらは、周りを歩く家禽達と、酷く似通っていた。つまり……なんだ──
──どうやら俺は、鶏のようだ。
「コケコケコケ《待て待て待て》……?」
おかしい……俺はれっきとした人間だ。どこにでもいる普通の会社員なのだ。納期が近いというのに営業から別の案件が飛んできたり、納期ギリギリにまで修正依頼が何度も飛んできたりの地獄の不夜城から脱し、盆休みに実家に帰省して……いや、帰っている途中だったか?あれ、思い出せない……。
俺は死んだのか?それで、鶏に転生……した?過労で倒れて──いや流石にないか。去年の夏も似たようなものだったが、特に問題はなかったし。
じゃあなにがあった?ダメだ……盆休みに入ってからの記憶がまるでない。それだけじゃない。会社の名前、同僚の名前、最近テレビによく出ている若いタレントの名前も……いや、これは関係ないな。
鶏は3歩歩けば忘れる、なんて言うが──まさか、さっきの1歩で?
「ココココ《嘘だろ》……」
──もし、3歩歩けば……。
人の足でも3歩くらいの距離にある餌箱に駆け寄り、一心不乱に頭を突っ込む同胞を見る。
このまま餌箱へ歩いていけば、俺は人としての記憶を失い、一羽の鶏になるだろう。鶏として生きるか、人として死ぬか──そんな選択肢が目の前に横たわっている。
「どうした兄弟、食べないのか?」
他の鶏より一回り大柄で、なんだか凛々しい顔付きの雄鶏が、心配そうな目で俺を見て、コケコケと話しかける。今の俺にはニワトリ語が問題なく分かるらしい。鶏に言語があるのか、という疑問はあるが、少なくともここの鶏にはあるようだ。
「健康は食からだぞ兄弟。食への貪欲さこそ、健康の証だ」
恵体の者が自信たっぷりに言うと、実に説得力のある言葉だ。しかし、鶏がこんな格言めいたことを話すとは。
食べなければ飢えて死ぬだけだが、かといって歩くわけにもいかない……仕方ない。ここは鶏の手を借りるか。
「朝起きてから、足が一歩も動かないんだ……悪いんだけど、飯を取ってきてくれないか?」
「マジか!大丈夫なのか?」
雄鶏は心配そうな目で見つめる。
「大丈夫、足が動かないだけだ。他は特に問題ない」
「そうか……?だがしかし、どうやって取ってこればいい?」
確かに、粒と粉しかない餌をどうやって持ってきて貰うか……掬う手は無いし、口に入れてチマチマ持ってきて貰うのも効率が悪い。それに、いくらなんでも口移しは生理的に無理だ。何か道具があれば……
辺りを見渡す。籾殻の混ざったフカフカな土が敷かれた木造の鶏小屋の中、見つけたのは小さな木のボウル。わずかに水が入っているため、おそらく飲み水用のもの。
「あの器で掬って持ってきてくれ。こう、嘴で持ってガサッと」
首を下から上にくねらせるジェスチャーで、意図を伝える。
「了解した。暫し待たれよ!」
雄鶏はボウルに向けて、ペタ、ペタ、ペタと歩き、立ち止まって振り返る。
「ええと……何だったか?」
──嘘だろ……。
「そこの器を取るんだ!」
「そうだった」
三度そんなやりとりをした後、雄鶏は何とか器を拾い上げて、戻ってくる。
「それで……何をするんだったか」
「それで餌を取ってきてくれ」
「あぁそうだ」
再び3步進んでは立ち止まる雄鶏を誘導し、ようやく雄鶏はボウルで餌を掬う。俺も3歩歩けば、こうなるのかと、鳥肌が立つ──絶対に歩きたくないな。
「ほら、兄弟。飯だ」
「本当に助かった。お礼できるようなものがないのが残念だ」
「いいさ。この小さな箱庭で、寝食を共にする兄弟なんだ。その助けになれるなら、俺は本望だ」
めちゃくちゃいい奴──!
「さぁ、食べるといい。よく食べて、健康を取り戻すんだ」
心配してくれるのは有難いけど、その時は来ないんだ……。
僅かばかりの罪悪感を覚えつつ、器を嘴で突く。ほとんど味を感じないのは、幸か不幸か……。




