第1話 中央記籤官《ちゅうおうきせんかん》
ここは清廉朝廷が治る都、新天地。
「清く清廉であれ」という建前のもと、籤という天意に従うことを至上の美徳とする権力機構が、清廉朝廷である。
朱塗りの柱と緑青の窓枠が連なる宮廷の回廊には、やわらかな春の陽が差し込んでいる。赤と金の細密な装飾が陽光を受けてあたたかな光沢を放ち、影の部分には微かな薫香の煙がたゆたっていた。
「今日は何が出るかな?」
「ワォー、帽子付き宝石が当たったぞ!!」
「そりゃすごいなぁ。ところでお宝の種類はなんだよ」
「どれどれ、あちゃー。白珊瑚だ。残念、血赤珊瑚ならもっとよかったのに」
「何言ってんだよ。珊瑚は二等執政官相当品だぞ。有り難く被っとけ」
「おまえは何が出たんだ?」
「……焼き芋ニ個の券が三枚だったよ」
「まあ、腹が膨れるからな。それも有りだな」
「おい、焼き芋の券一枚と交換するか?焼き芋がぽんって二個出てくるぞ!」
「今日は食い物ないけど、嫌だね!」
中庭に咲き誇る薄紅色の桃花の下、日籤を引き終えた者たちが帽子の頂戴を撫でながら一喜一憂している。
男も女も存在しないこの新天地において、人々の容姿や身分を彩るのは性差ではない。誰もが毎日ひける日籤で授かる衣装の格や宝石、そして、一人につき三百六十五日に一度だけ引く大籤だ。
日籤から現れるのは、食事券や衣服、装飾品や日用品など、身分や住む場所以外のもの全てだ。
そして、大籤。
その者が前回の大籤を引いてから一年間、つまり三百六十五日が経つと、再び人生を塗り替える大籤の番が巡ってくる。 身分も、住む場所も、その結果ひとつで変わってしまうかもしれない。
だから新天地の中央記籤室では、毎日、誰かが大籤を引く。
昨日までの暮らしを失う者がいれば、昨日までとはまるで違う身分を授かる者もいる。この街では、誰かの人生が三百六十五日の周期で、毎日のようにリセットされ続けているのだ。
農業も工業も存在しないこの箱庭では、食事も服もすべて籤から現れる。
籤によって暮らしも階層も目まぐるしく入れ替わるため、ここは常に誰かの人生が塗り替えられ続ける街だった。
――けれど、その爛漫たる春の光を遮るように、私、白景の顔面には冷ややかな白磁の半仮面が張り付いている。
行き交う者たちの衣擦れの音を縫うようにして、私は迷いのない足取りで、見知った重厚な扉の前に立つ。
この新天地の至る所に存在する記籤室――そのすべての頂点に君臨するのが、ここ、中央記籤室なのだ。寸分の狂いもない足取りで、官吏用の重厚な靴底を鳴らしながら私は進む。三年三ヵ月前の大籤でこの中央記籤室の四等執政官相当である中央記籤官を引き当てた。
毎日、大籤の儀と黙々と朱墨で結果を清書し続けるのが私の仕事だ。見知った重厚な大扉の前に立ち、私はいつものように小さく呟いた。
「天意に清く、清廉であれ」
彫刻の施された重厚な大扉を押し開ける。
高天から垂れ下がる無数の灯籠が柔らかな光を広げているが、空気は凍りつくほど冷たい。床を這う沈香の煙の中、風もないのに壁一面の棚に収められた無数の竹籤同士が「チリ……」と擦れ合う不穏な音が響いていた。
繰り返しになるが私の主たる任務は、この国の根幹の大籤の執行とその結果の記録だ。
部屋の中央に鎮座する、血のように赤漆塗りの巨大な長机。卓上には、他者を陥れるために投じた、今月の奏上状が山をなしている。広げられた絹布には、流麗な毛筆で書かれた、伏字だらけの悪質かつ完璧な通称、アンハッピーポエムが刻まれている。
各地の記籤室から吸い上げられた数万の人生と、朝廷の中枢に蠢く最高級の悪意。
それらすべてを集積するこの空間は、神聖でありながら、同時に底なしの冷酷さに満ちていた。
大籤の儀を執り行う大殿。
部屋の中央にはすでに今朝の大籤を引く者たちが列を成している。私は部屋の奥の一段高いところにある下級官吏の最上位たる者にのみ許された黒漆の椅子へ、静かに腰を下ろした。
「それでは、大籤の儀を始める。……本日、第一番」
声を殺して告げると、先頭の三等執政官が震える指先を籤筒へ伸ばした。身に纏うのは昨日までの日籤で得た見事な翡翠色の絹衣装だ。
私の前にある竹籤筒から祈るように一本の竹札を引き抜く。
カタリ、と乾いた音が室内に響いた。
私は差し出された竹札の底を確認する。そこに刻まれた朱文字を目にした瞬間――白磁の筆を握る私の指先が、ほんの僅かに強張った。半仮面の中で、冷たい吐息が喉を伝い落ちる。
「……『最大大狂』」
私が低い声でその言葉を口にした瞬間、三等執政官の膝がガクガクと崩れ落ちた。
「な、なぜ……! 私は昨日まで朝廷のために尽くし、清廉を誓って……っ!」
「天意に清く、清廉であれ」
取り乱し叫ぶ元三等執政官の言葉を遮り、私は決まりきった唱え文句を冷ややかに口にする。
直後、記籤室の壁際に控えていた警備の者たちが素早く踏み込み、崩れ落ちた元三等執政官の身柄を押さえつけた。
「無意味な抗弁は天意への冒涜とみなされる。……罪人となった。剥ぎ取れ」
私の静かな指示とともに、警備の者たちの手が容赦なく罪人となった者の身体へ伸びる。
日籤で現れた美しい翡翠の絹織物が、バリリと不躾な音を立てて引き裂かれ、乱暴に脱がされていく。代わりに投げつけられたのは、水を通すことすらためらわれるような、赤土で染めた赤褐色の粗い布で作られた服だ。一般庶民や官職者の色と区別するために罪人に着せる法定の服なのだ。
「嫌だ……!こんな服で外を歩けば、道ゆく者たちに何と言われるか……!奏上だ!誰かが私に呪いをかけたに違いない!奏上状を使わせてくれ!」
「大籤の結果に奏上など使えぬ。……服を着せて引き立てよ」
「明日だ……!明日の日籤で、薬を……豪華な飯や服を当ててみせる……!罪人になろうと、明日もまた籤は引けるんだ……っ!必ず次の大籤で成り上がってやるぞ……っ!」
法定の服は、丁寧に洗われ、香油を焚き染められた官職者の衣とは違い、動くたびに赤土の粉が舞い、呼吸を塞ぐような不快感。水を通していないため布地自体が硬く、ずっしりと鉛のように体にのしかかる。
先ほどまで視界を占めていた美しい翡翠の色が、一瞬にして遠のいていく。ゴワゴワとしたその布地を身にまとうことは、この世界において、人間としての尊厳を泥に塗れさせることと同義だった。
惨叫を上げる罪人は、赤土服の姿で、引きずられるように部屋の外へ連れ去られていった。
そこに無残に打ち捨てられていたのは、先程まで身にまとっていた、あの見事な翡翠色の引き裂かれた衣。
主の温もりを失った絹地は、冷たい床の上でただ鈍く光を反射している。権勢を誇示していた金糸が、まるで断ち切られた未練のように哀れにほつれ散らばっていた。
指先が、朱墨で小さく汚れる。
警備の者たちに引きずられていく罪人となった元三等執政官の惨叫を、私は仮面の下で無機質に見つめていた。
どんな罪人となろうが日籤を引く権利は公平に残され、明日には何かしらの配給は突然現れる。出て来る品物は天意だから選べないのだがな。
私は感情を殺し、白磁の筆を朱墨に浸した。台帳の表へ『一区・三等執政官、大籤にて最大大狂。罪人、剥奪完了』と、一筋の鮮やかな朱文字を寸分違わず走らせる。
指先が朱墨で小さく汚れた。
たかが竹札の出目ひとつで、一人の人間の尊厳が文字通り剥ぎ取られる。……これが、清廉朝廷の誇る公平な天意の正体だ。
「大籤の儀。……本日、第二番」
進み出た者の後ろ、列の影で、官吏たちがひそひそと不気味な噂話を交わしているのが耳に届いた。
『――見たか? 数日前に一等を引いたあの朱華殿の周囲に、九等の乱礼殿が不気味に動き回っているそうだ』
『一等を引き当ててもう数ヶ月。一等の光が眩しすぎるのだ。そろそろ奏上状が山となってもおかしくはない……』
半仮面の下で、私の喉の奥にじとりと苦い血の味が広がった。棚の竹籤が、チリ……と、次の落ちて行く者を待つかのように嘲け笑う音を立てているようだ。




