ノワールのこと
「叔父さん!?」
元気だったら、驚きのあまり大声をあげていただろう。
むっくりした体と、手入れのしていない無精髭。
昔となにも変わっていない叔父さんがそこにいた。
「久しぶりだな、新坊」
ぶっきらぼうにそう言うと、叔父さんは病室の椅子に腰かけた。
叔父さんは、ノワールを閉めてからは、フランスで畑をしていると聞いていた。ときどき電話で連絡はあったが、直接会うのは久しぶりだ。
「なんでここに......?」
「ここしばらく、日本と向こうを行き来してる。横浜には少し前からいたが、お前がここにいるとは知らなかった」
「俺も叔父さんがいるの知らなかったけど」
「だろうな。お前の父さんから連絡もらって、代わりに来た」
間にはさまれている晴人が、ちらっとこちらに視線を送る。
「弟にしてはかなりご年配に見えるけど、とりあえずご家族ではあるんですよね?」
「俺の父さんの弟だよ。晴人、付きそいサンキューな」
晴人がそそくさと帰り、俺は叔父さんとふたりきりになった。
「新坊、仕事で倒れたのか?」
「新坊じゃなくて一新って言ってよ」
「いつもそれ言うなあ。それで、仕事か?」
「仕事と......プライベートかな。でもプライベートの方も仕事みたいなもん」
叔父さんが鼻をならす。少し不機嫌そうだった。
「なんだって、そんなに倒れるまで仕事したんだ?」
「最近急にいろいろ任されるようになったのと、いまががんばりどころだから......」
言いながら、疑問が浮かんできた。
確かに俺は、なんでこんなに仕事をしていたんだ?
倒れるまでやりたいと思っていたのか?
こんなにすべてを台無しにしてまで?
どうしてこうなったんだ?
「やめたかったから」
ぽつりと言葉が漏れた。
「俺、やめたくてしかたがなくて。でももったいなくてやめられなかった。本当は、もっと早くにやめたかったよ」
口に出したら、すっきりした。
努力する自分にどんどん酔って、あとにひけなくなっていた。
やめたら、ここまでの犠牲がむだだと気付かされてしまうから。
黙って聞いていた叔父さんが言う。
「努力はすればするほど、人を嫌いになるからな」
「そう、かな?」
「そうだ。そんで人を嫌うのは楽しいから、努力をやめられんくなる」
「......」
そうかもしれない。
最初は努力が楽しかった。
そのうち、努力の成果が楽しくなった。
最後の方は、努力を理由に人を傷つけるのが楽しかった。
「まあパティシエのような仕事は、本人たちも、まわりも妙な憧れを持ってるからな。限界まで働くやつがかっこいい、そうじゃないと出来ない仕事だとか」
「違うの?」
「当たり前だ。努力ばっかしてるとひとりになって、なにも続けられなくなるぞ」
「......それってノワール閉めるときに言ってたやつ?」
ひとりじゃ、店は続けられない。
叔父さんが最後に言ってたことだ。
「そうだ。ノワールのころ、俺は朝から晩まで働いていた。そのうち、俺ぐらい働いてないやつがサボって見えるようになった。俺はここまで来るためにこんなに努力したのにって」
「それは......そう思って当然じゃない?」
叔父さんが苦い表情で首をふる。
「ある日を境に、店のやつらがばたばた倒れた。辞めたり、消えたり。気づいたら俺はひとりになっていて、新しく誰かを雇う気力もなくなっていた。逃げるように店を閉めた。それで終わりだ」
「......」
「あのな、一新。むりな努力の先にあるのは、ふたつしかない。自分が倒れるか、周りを倒れさせるか。お前は自分が倒れるほうだった」
叔父さんが俺の目を見つめていう。
「俺は、それはラッキーだったと思うぞ」




