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「パティシエとして働くにあたって不安なこと」を解消するため、俺は今日も馬車道に行った。




サバチョコレートの開発に手をつけてから、体重はめきめき落ちていた。食べないせいか、睡眠もうまく取れていない。


サバがいやで食べるのを避けているのに、毎晩仕事おわりにサバと向き合っているのだから当前だ。




唯一よかったのは、ずっとサバの味を食べてきたせいでアイデアが出やすいことだった。




なにもかもを我慢した努力が、こんな形で報われるとは。




珍しく、今日はサバオがいなかった。いつもお菓子ができ上がるのをいまかいまかと待たれるのが目障りだったが、いないのもそれで張り合いがない。




静かな厨房でチョコレートをひとり刻んでいると、眠気で目が開けられなくなってきた。




サバオもいないことだし、今日ぐらいは休もうか。


でも、ここで休んで、もしも間に合わなかったら。




不安は日に日に強まっていた。完璧なものを作っても味覚が戻るとは限らないのに、眠気を優先して妥協したものが通るとは思えない。




冷水で思いきり顔を洗う。


ここが正念場だ。期限はあと二ヶ月にせまっている。




どんな道も、この先にしかない。




頭を使わなくてもできる洗浄や消毒の作業に切り替えた。黙々と手を動かしていると、ここのところずっと考えていたことが頭をもたげる。




「俺は、本当に味覚を取り戻すべきなのだろうか?」という問いだった。




なにもかもがサバの味がする世界は、ひかえめに言っても最悪だ。


外食も、毎日のごはんも、自分が作った新作すら食べられない。


目の前で食べている人がいたらうらやましく思うのに、実際食べると食べなければよかったと思う。




そんなことの繰り返し。




けれど、俺がうまくいき始めたのは味覚を失ってからのことだった。自分の舌を失ったことで、食べる人に意識を向けることができたし、それが成果にもつながっている。




正直なところ、味覚をなくさずそのままパティシエを続けていても、いまのように成長できた気がしない。




腐って努力もしなくなり、調子がいい人を見て「ラッキーだな」と思うようなやつに、俺もなっていたんじゃないか。




正直、今日すげーむかついたんだよな。


食堂での同僚のひとことを思い出す。




「ラッキーだな、一新」 




ラッキーじゃねーよ!心のなかで毒づいた。




俺が、どんだけ犠牲はらってきたかわかってんのか?


ただでさえ忙しい仕事の合間をぬって。新作考えてせっせと提案会だして。先輩に怒られて、同僚には笑われて。


挙げ句の果てに、舌まで狂って。


それでもめげずに工夫して、いまだって死ぬほど疲れてるのに、こうして深夜までひとり厨房に立っている。


ごはんも食わない。まともに食えない。最近はここに寝泊まりで、自分の家で寝る方が少ない。


そこまでやって、初めていろんなことがかみ合ってきた。




お前らがなにをやったっていうんだ?




毎月の提案会にはなにも出さない。休憩時間は職場のゴシップばっかりべらべら話す。定時が来たら練習もせずにさっさと帰る。


くそみたいに半端な気持ちでやってるお前らと一緒にすんなよ。




お前らと俺は、ちげーんだよ。




パリンという音がした。手元からすべり落ちた皿が、大理石の作業台で砕けちる。




乱暴に皿の破片を片づけながら、先輩を赤レンガ倉庫に皿を見に行ったことを思い出す。




先輩もこうやって、ひとり努力してきたんだろうか。私とあなたたちは違うと思いながら。




俺や先輩みたいなやつしか、料理人をやらなきゃいいのに。




甘ったれてるやつらなんか、さっさと淘汰されればいいのに。




あいつら全員、つぶれりゃいいのに。




腹が立ちすぎて、目の前のことになにも集中できなくなった。よく見れば、消毒の手順も間違っている。


舌打ちをして、やり直し始めた。もう一度、味覚を取り戻すことについて考えてみる。




俺が味覚を戻そうとするのは、逃げなのか?




でももしかして、もしかすると。


そこまでの犠牲をはらわなきゃ、できないことがあるんじゃないのか? 




頭が朦朧としてきて、考えるのをやめた。家に帰るのも面倒くさくて、その夜も厨房で俺は寝た。

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