第12話 潜入
夜が明けきる前の港は、奇妙な静けさに包まれていた。
空は薄く白み始めているが、太陽はまだ顔を出していない。海からの湿った風だけが、錆びた鎖や帆布をかすかに揺らしている。
人気はない。
だが——
「……妙だな」
ロックが足を止めた。
目の前には倉庫群が広がっている。古びた木造の建物、打ち捨てられた木箱、崩れかけた柵。
一見すれば、ただの廃れた区画。
だが、その“崩れ方”が不自然だった。
「使われてねぇはずなんだがな、この辺りは」
ロックは低く呟く。
セリナはしゃがみ込み、地面に触れた。
指先で砂をなぞる。
「……新しいわ」
顔を上げる。
「足跡がある」
ロックも視線を落とす。
確かに、薄く残る複数の足跡。重なり合い、消されかけているが、完全には隠しきれていない。
「しかも、隠そうとしてる」
ロックの声がわずかに硬くなる。
その横で、ガルドが無言のまま地面を見ていた。
膝をつき、指で土を掬う。
そして、短く言う。
「……新しい」
それだけ。
だが十分だった。
セリナが立ち上がる。
「間違いない。誰かが使ってる」
三人の間に、静かな緊張が走る。
---
倉庫の間を進む。
風は弱く、音がよく通る。
だからこそ——
足音が、やけに大きく感じられた。
ロックが手を上げる。
止まれ、の合図。
三人は同時に動きを止める。
次の瞬間、通路の奥から人影が現れた。
二人。
無言。
無駄のない動きで、一定の間隔を保ちながら歩いている。
「……見張りか?」
ロックが小声で呟く。
セリナが首を振る。
「違う……巡回よ」
確かに、周囲を警戒する様子はある。
だがそれは、感覚的なものではない。
決められた動き。
決められた範囲。
まるで“手順”をなぞっているようだった。
ロックが剣に手をかける。
「どうする?」
セリナは一瞬だけ考え——
「静かにやる」
ガルドはすでに動いていた。
音もなく、一歩踏み出す。
その瞬間、空気が変わる。
一人目の男が気づく。
だが遅い。
ガルドの拳が、迷いなく喉元に入る。
鈍い音。
声も上げられずに崩れ落ちる。
もう一人が反応する。
剣を抜こうとするが——
ロックが割り込む。
「遅ぇよ」
短い一撃。
男の腕を弾き、動きを止める。
セリナの矢が、正確に肩を射抜いた。
「っ……!」
初めて声が漏れる。
だが、それも短い。
三人は一瞬で距離を詰め、男を地面に押さえつけた。
---
「……質問に答えてもらうわ」
セリナが低く言う。
男は息を荒げながらも、視線を逸らさない。
その目には——恐怖がない。
ロックが眉をひそめた。
「なんだこいつ……」
普通なら、もっと怯えるはずだ。
だが目の前の男は、ただ“待っている”ようだった。
セリナが問う。
「ここで何をしてるの」
沈黙。
答えない。
ロックが苛立つ。
「おい、聞いてんのか」
男の口が、ゆっくりと動いた。
「……任務」
それだけ。
感情のない声。
セリナの目が細くなる。
「誰の命令?」
「……管理」
ロックが顔をしかめる。
「は?」
だがそれ以上は続かない。
男の視線が、一瞬だけ揺れた。
次の瞬間——
力が抜ける。
「おい!」
ロックが肩を掴むが、反応はない。
意識を失っている。
「……自分で落ちやがったのか?」
セリナは首を振る。
「違う……限界ね」
ロックが舌打ちする。
「使い捨てかよ」
その言葉に、わずかな重みが乗る。
セリナは立ち上がり、周囲を見渡した。
「ここ、間違いないわ」
その視線の先。
倉庫の奥。
半分崩れた壁の向こうに、暗い入口が見える。
地下へと続いている。
空気が、違う。
湿り気の中に、別の“匂い”が混ざっている。
ロックが低く言う。
「……嫌な感じだな」
セリナは一歩、踏み出した。
「この先にいる」
確信に近い声。
ロックがガルドを見る。
「行くのか?」
ガルドは答えない。
ただ、迷いなく歩き出す。
「……行く」
短い一言。
それだけで十分だった。
セリナが続く。
ロックは小さく息を吐いた。
「ほんと、躊躇ねぇな……」
だがその口元は、わずかに笑っていた。
三人は、暗い入口へと足を踏み入れる。
光が途切れる。
空気が変わる。
そこは——
明らかに“人の場所”ではなかった。




