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*終章*


 ノチウ大陸の最北端、丘の向こうに大海原おおうなばらが広がる地に、新しいセンリュ村はあった。

 以前の場所とはおもむきこそ違うものの、山のふもとから温泉が湧き出ているところは変わっていない。

 長い冬が終わりを告げ、村人たちは初めて迎えるこの地での春に、ようやく安堵の色を見せ始めていた。


 そんなある満月の夜、フウリは見回りを終えたその足で、丘の上に立っているセンリュオウジュのもとへと向かった。

 この場所は、幼い頃によく従兄(あに)と行った丘に趣が似ているせいか、不思議とフウリの心を落ち着かせてくれた。しかも、丘の上に一本だけ立っているセンリュオウジュの木が、初めて見たイコロの夢で、白い子犬に出会った場所にあったのと同じ、珍しい赤紫色の花をつけていたこともあり、フウリはすっかり気に入ってしまったのだ。

 センリュオウジュの根元に腰を下ろし、蛍石ほたるいしの光をそっとかざしてみる。

 ひらりひらりとゆっくり舞う赤紫色の花びらを眺めながら、フウリは色々な人たちのことを思い浮かべた。


 ハヤブサへの想いを抱いてなお、神謡姫としての力を失わず、謡い輝き続けている親友シャラのこと。

 最近少しだけ背が伸び、シャラを守りたいと言って刀の稽古も始めたハヤブサのこと。

 リュートの奏でるリコントの音を子守唄に聞きながら、すくすくと成長していく息子を抱え、相変わらず薬師として動き回っているユィノ。

 レオクも相変わらずというか、ニタイ村から移り住んできた女性に恋に落ち、甘い言葉を囁きまくる毎日を送っている。

 そして、あの日からずっとフウリのそばにいる白い子犬――カケルは、出会った頃よりも随分とたくましい体躯(たいく)になっていた。

 と、先ほどまで落ちつきなく木の周りをうろついていたその姿を見失い、フウリは慌てて視線を巡らせ……そして目を(またた)かせた。


「フウリ……」


 優しさに溢れた黒い瞳、月光を浴びて輝く栗色の短い髪、耳に心地良く響く声。

 赤紫色の花びらが舞う樹の下で静かに佇んでいる、その人は――。

「……私はいつの間に眠ってしまったんだ?」

 イコロの夢を見るのは久しぶりだと思いつつ立ち上がったフウリは、周囲を見回して首を傾げる。

 いつも夢では、湖の中にしか映っていなかった美しい月が、今は明々と夜空を照らしているではないか。

 不思議そうに空を仰いでいるフウリを見つめ、彼はクスリと微笑んだ。

「夢じゃないよ、フウリ」

「……まさか、本当に、カケル従兄(にい)さま?」

「その呼び方、もうやめない? 俺はもう従兄あにだったカケルでも、守獣のオコジョだったリッカでもなくて、フウリのためだけに生まれ変わった守獣、カケルだよ」

 フウリの頬にそっと触れてきた手は温かい。懐かしくて、愛しい人の匂いがした。

「カケル……なんで? 生まれ変わった、というのは一体?」

 そもそも、守獣だというのなら、イコロの夢の中でしか人の姿になれないのだと思っていたのだが、どうやら違ったらしい。

「ああ、それは……シャラ殿の神謡のおかげでね、リッカと前のカケルの魂を合わせて、星の神様が生まれ変わらせてくださったんだ。(うつつ)の世界でも人の姿を取れるようになるまでは、ガセツ殿に色々助けてもらったんだけどね……」

 そんな話はあとでいくらでもできるから、とカケルは微笑を浮かべながら、いまだ呆然としているフウリの髪をくように撫でた。

「ねぇ、フウリ。あの夜の返事を、今ここでしてもいいかな?」

「あの夜って……」

 フウリの脳裏に、南のひとつ星に向かって流れる星々を二人で見上げた夜のことが思い浮かんだ。

 あれからまだひとつの冬を越しただけで、そんなに時は経っていないはずなのに、なんだか随分遠い昔のことのように感じられる。

 カケルは思い出して頬をわずかに赤く染めたフウリに頷き返すと、懐から一枚の手巾と、ひと振りの小刀を取り出した。

 手巾にはカケルの七芒星(しちぼうせい)文様……に見えなくもない文様が色とりどりの糸で刺繍されている。まぎれもなく、あの星神祭の夜、フウリが彼に渡した手巾だ。

 が、小刀の方には見覚えがない。カケルが一度消えてしまったあの時、ハヤブサがカケルに貸し渡そうとした小刀とは、似ているけれど少し違っているようだ。

 フウリの六花(りっか)文様と、カケルの七芒星文様を組み合わせた綺麗な文様が、鞘に彫りこまれているのが見えた。

「そっ、れは……」

 組み合わせ文様は、それを刺繍したチゥレ織の腕輪を着けることで婚姻の証となるものなのだが――つまりその意味は。

 フウリの(はしばみ)色の瞳が驚きに大きく見開かれる。

 が、カケルはそんなフウリに目を細めると、その場にひざまずき、小刀をスッと彼女に差し出した。

「今度こそ俺は、あの約束を果たすよ。キミをもう二度と一人にしない、何があっても守る。キミだけの守獣として、永遠にそばを離れない。フウリ、俺はキミのことが――」

「ちょ、ちょっと待ってくれ、カケル! その、まだ、心の準備が……っ!」

 耳まで真っ赤にして顔を背けたフウリを、しかしカケルは強引に振り向かせると、その唇に自分の唇を重ねた。

「……んっ!」

 押し当てられた柔らかく甘い感触に、フウリの瞳は熱に浮かされたように潤んだ。

 永遠にも思えた一瞬を、春色の夜風が優しく包みこみ、そしてゆっくりと流れていった。

「ごめん、もう待てない。俺はずっと……ずっと、キミのことが好きだったんだから」

 幼い頃、誰からも愛されず凍りついてしまっていた以前のカケルの心を温めて溶かしてくれた。不吉と言われ、自分でも大嫌いだった黒い瞳を、星空のように綺麗だといってくれた、あの時。

 森の中でケガをして動けなくなっていたリッカの小さな声に気付いて、助けてくれたあの時。

 二つの魂は、共にフウリに救われ、恋に落ちた。

 それはまるで、神謡恋歌のごとく。

 運命のいたずらによって引き裂かれ、永く辛い時を経て再び巡りあうことができた。

「これからもずっと、共に生きていこう、フウリ――」

 コクンと小さく頷いたフウリに、南のひとつ星も微笑むようにまたたいていた――。


 *** 


「ねぇねぇ、シャラおばあちゃん、その二人はその後どうなったの?」

 星が流れる夜空の下、白銀色の髪をした老婆のそばに座っていた少女は、胡桃色くるみいろの瞳を輝かせながら、続きの神謡をせがんだ。

「二人はね……」

 再び空気に溶け出した神謡は語る。


 苦難を乗り越え深く結ばれたその二人が、やがてもっと大きな困難に向かい、ついには民族の壁を打ち壊し、かつて『黒い民』と呼ばれ恐れられていたエランクルの民と共に、ノチウの民やこの大地に多くの希望と恵みをもたらしたことを――。


―終―

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