クーリングオフは出来ません
私は落ち着く為に一回深呼吸して、今の気持ちを素直に言葉に紡ぐ事にする。
「清酒さん! そんなに悩んだり、苦しんだりしているのに、私にはまったくそれを見せてくれなかった。
確かに頼りないけれど、心を開いてくれてなかったのかなと」
清酒さんの顔を見るのがなんか怖くなり俯く。
私は手にもっていたマグカップを握りしめる。
「あのさ、そういう意味ではなくて。どちらも俺の個人的な問題だし……。
そんなのを彼女に晒す男って恰好悪くない? 小さい男みたいで」
慌てたような戸惑うような清酒さんの声。
私はマグカップをテーブルに置く。私はソファーの上で清酒さんと向き合うように正座して大きく一回息を吸う。
「狡いよ、清酒さんは! 私ばっかり恥ずかしい所みっともない所見せまくっているのに!
自分はひたすら格好いい! 不公平だよそんなの」
私の言葉に清酒さんは口をポカンと開ける。
「俺そんなに、格好つけている訳ではないだろ?
恰好悪い所もかなり見せちゃった気もするけど」
多分清酒さんは、あのワインソースで泥酔してしまった事を指しているのだと思う。私はそういう意味ではないと首を横にふる。
「私は、清酒さんの格好いい所、優しい所、エロい所だけじゃなくて、もっといろんな面が見たいの!
悩んでいるならばそれを隠さないで、怒りを抱えているのに平然とした顔をしないで!」
清酒さんは、ビックリしたように目を見開き私をただ見つめている。どうしてだろうか? 清酒さんに不満がある訳ではないのに、言葉が止まらなかった。
「私は清酒さんの一部だけじゃなくて、全てが見たいの!
欲しいの!
……私に清酒さんの全部、頂戴!」
言っている事が、支離滅裂だなと我ながら思う。しかし言葉を発する事でなんか見えてくる。
今日、相方くんから話を聞いた時に感じたモヤモヤの理由が今更のように。
私の見えない所でそれだけ大変な状況になっていた。しかも部署移動出来なかった事を悩んでいたというのを見せてくれてなかった事が寂しかったのだ。
清酒さんは、目を見開き私の顔をまだジッと見つめ続けているだけ。二人で黙りこんだまま向かいあってしまう。かなり長い時間を。
もしかして生意気な事を言った私に、厭きれたのだろうか? 面倒臭い女と思われたのか?
恐る恐るみている中で清酒さんはクシャっと顔を歪め、首を横に振った。泣いているような顔にも見えたけど、気のせいだったようだ。目が潤んでいる訳でもないし涙も見えない。
不安げに見上げていると清酒さんの手がコチラに伸びてきて私の頬を撫でる。さらに身体が近付いてきて抱きしめられた。
「まいった。凄い殺し文句だね。
……いいよ、俺の全部をあげる。
だから、タバさんの全部を俺に頂戴」
そう耳元で呟かれた直後にソファーに押し倒される。
結局ソファーでそのまま致してしまった……。
私はその後ソファーで清酒さんの身体に覆い被さった体制で抱きつくように身を任せている。
漸く感情の爆発も静まり少し冷静になって考える。今の状況を考えると私の言ってた言葉の意味が微妙にすり替えられた気がするのは気のせいだろうか?
清酒さんの腰に回された手の指が私の肌をサワサワとまだ撫でている。
「あのさ、別に誤解がないように言わせてもらうけど」
抱きついていた清酒さんの胸が、話す事で震える感覚を楽しむ。
「この二ヶ月の色々な事、言わなかったんじゃなくて、言う必要がないと思ってたんだ。個人的な事だし」
私は顔を上げ清酒さんと顔を見合わせる。
それもそうなんだろうなと思う。会社での事って外部でベラベラ話して良い事ではないだろう。
でも、落ちこんでいる。ストレス溜めている。というのにそれを隠して、まったく頼ってもらえなかったのが悲しかった。
その事を言うと清酒さんはクククと笑う。
「半分は悪かったと思う。
異動がなくてむかついていたのは本当。それを君に話をした所で何の意味もないし、会社で気分を入れ替えてまた頑張れば良いと考えていた。
君に関係ない苛立ちをぶつけても不毛だろ? だったら君と楽しい時間を過ごした方が有意義だと思っていたんだ」
私はそう言われると何も言い返せない。
確かに私に話しをした所で何の解決にもならない。役立たずである。
「それにね。君にはもう助けられていたんだ。十分この二ヶ月の俺を癒してくれていた」
私は「え?」と思わず言葉を出し首を傾げる。
「君と話しているとなんかホッとしたんだ。
むかついている事も、苛立っている事も馬鹿みたいになって穏やかでいられた。
だから君の前であえて怒りとかむかつきを見せる必要もなかった。暖かい幸せな気分をただ楽しむ事が出来た」
清酒さんは私を抱き寄せ背中をゆっくりと撫でる。私はそのまま清酒さんの胸に耳を当て心音を聞く。
「私は少しは清酒さんにとって役にたっていた?」
「もちろん。グジグジ悩んでいる俺を、君がいつも救ってくれた」
胸から直接私の耳に清酒さんの声が響いた。その言葉にじわ~と喜びと嬉しさが染み出してきて心を暖かくする。暫くソファーで抱き合ったまま、その感覚に浸る事にした。
「……ところでさ、タバさん」
清酒さんの問いかけに私は顔を上げる。
「ん?」
私は顎を清酒さんの胸に載せる
「もう、お試し期間はとっくに終わっているけど、大丈夫?」
私は首を傾げる、顎がくすぐったかったのか清酒さんが笑い、私の顎と胸の間に自分の手を挟む。
「残念な事に、もうクーリングオフの行使出来る時期は過ぎちゃっている。それで後悔していないのかなと」
確かにいつのまにか、お試し期間ではなくなっていた。私は大丈夫と顎をグイっと清酒さんの手に押しつけ頷く仕草を見せた。
「それは、清酒さんも同じ事ですよ。もう返品不可です」
清酒さんはフッと笑う。
「俺は一向に構わないけれど、タバさんはいいのかなと思って。このままいけば、別の意味で珍名ライフ続行になりかねないよ」
私はそこで、幼い頃からずっと見続けていた夢を改めて思い出す。
『日本人苗字ランキング上位の人と結婚する』
身体を一旦起こし、腕を組み改めてその事を考えてみる。
清酒さんはニヤニヤ笑い腰を撫でていた手が今度揉むような動きに変わっていた。
私がその動きを腕を掴み止める。清酒さんも起き上がり、顔を近づけ私の顔を瞳を細め覗き込んでくる。
キスされるのかと思ってドキリとしたけれど、答えを待っているだけのようだ。
「まあそれでも、良いような気がする」
私の言葉を静かに聞いている清酒さんを見て、改めて恰好良いなと思う。
切れ長の瞳は優しく私を見守るように暖かく幸せな気持ちになる。そして私も清酒さんの事が心底好きなんだなと実感する。
もはや珍名である事は些細な問題である。
「清酒さんの事が大好きだから、それ以上の、そしてそれ意外の理由もいらない。
私は清酒さんが、ただただ欲しいし、ズッと一緒にいたい」
清酒さんはフフッと吹き出す。しかしすぐに顔を引き締める。
「俺もだよ。君を堪らなく愛している。
……熱烈な求婚の言葉は嬉しいけど、プロポーズの言葉は、俺からしたい。
今度改めてちゃんとした形でプロポーズさせて」
私はアレ? と顔を傾けてしまう。
私ってそんな突っ込んだ話までしたのだろうか? そして想像してみる。そういう風に二人で過ごす未来を。
清酒さんは私の左手を取って薬指にキスをして、私の顔を真っ直ぐ見つめてきた。
ドキドキするのと、どこかホッとして暖かくなる気持ちが同時に湧き起こる。
私は、清酒さんの目を真っ直ぐ見つめ返しハッキリと頷いた。
私の珍名ライフは終わらないようだが、【煙草】を辞める日は、そう遠くはないようだ。
私も清酒さんの男らしい左手をとり、その薬指にキスを返した。
~~終~~
長くお付き合い頂きまして誠にありがとうございました。
コレにて「私はコレで煙草を辞めました?終了いたします。
清酒さんが主人公の物語「スモークキャットは懐かない?」があります。この物語の裏側というより、恋に仕事に奮闘する二十代後半の清酒さんの姿を楽しめます。
もし、この後の二人の様子を見てみたい方は、同じシリーズ内にある「相方募集中!」にて描かれます。もしご興味のある方はそちらもご覧になってみてください。
また結婚後のエピソードについては『零距離恋愛』という作品内で描かれています。その後ラブラブと過ごしている二人を楽しんでもらえれば嬉しいです。