第110話:宛先
俺の声に、ガロードが即応した。
風が二つに割れる。一つはガロード自身に、もう一つは屋根から降りたばかりのジーンに――音の振動を遮断する風の膜が、二人を包み込んだ。
〈サイレス〉。
その空気の膜の内側には、外の音が一切届かない。
効果は、すぐに出た。
屋根に戻ったジーンの矢が、今度こそ淀みなく走る。一羽、二羽――引き絞りの頂点で固まることは、もうない。
無音の世界で、奴は矢継ぎ早に白い影を撃ち落としていく。
……口も、止まらない。
自分の声すら聞こえてねぇだろうに、口説き文句らしき口の動きだけは続けてやがる。
(動きだけでうるせぇ……)
〈ミラージュ〉も併用して完全に消えて欲しいところだが、そうすると、こちらからは奴の位置も射線も見えない。
こちらからの連携は完全に放棄し、ジーンからのアプローチ任せになる。
「ガロードはあっち……――っと」
言いかけて、舌打ちする。聞こえねぇんだった。
……が、当のガロードは、言うより先に地上の雑魚を薙ぎ払っていた。
ま、聞こえてなくても戦闘に関しては仕事はしやがる。
声も、悲鳴も、そして――俺の指示も。
ここから先、あの二人に新しい指示は通らない。
(ま、粗はあるが、結局のところやることは変わらねぇ。ガロードは雑魚散らし、ジーンは上の間引き。それだけやってりゃ文句はねぇんだ……)
問題は、残りだ。
俺。中央のニーコとエステル。西のフィリスたち三人。この六人は、まだハーピィの精神阻害の標的だ。
全員を〈サイレス〉で包めば、精神阻害対策はできる。
だが、五感を一つ潰して集団戦なんてのは自殺行為だ。
不意打ちにも、仲間の悲鳴にも気づけなくなる。
音を捨てられるのは、単独で戦っても対応できるガロードとジーンだけだ。
俺は雑魚を斬り払いながら、広場の中央へ寄った。
盾を構え直しているニーコに、分かったことを共有する。
「ニーコ、聞け。あのスノーハーピィの鳴き声……ありゃ、精神阻害魔法だ。不定期に、誰かの意識を一瞬だけ刈り取ってやがる。さっき盾受けが遅れたのも、それだ」
「あっ! あ、あの一瞬ふらっとするやつ、や、やっぱり攻撃だったんですかぁ……!」
「わたくしはそんな感覚ありませんわ……?」
エステルは攻撃の対象外……?
「……スノーハーピィからも、お前は脅威と思われてねぇんじゃねえか?」
「ひどいですわっ!? そもそも攻撃なんですの? 確かに先程から同じ旋律を繰り返しておりますけれど……」
ニーコの隣で、エステルがごく自然に相槌を打った。
「……ん?」
「ですから、あの鳥さんたちの『歌』ですわ。ずーっと同じ譜面の繰り返しですの」
「……やっぱりお前、魔物の言葉がわかるのか?」
「言葉ではなくて『歌』ですのよ! ほらっ! 今、あちらのリードボーカルの御方、半音上がりましたわ!」
それから、一拍の後。
――向こうで、ランサの槍が止まった。
歌……? 俺だって嗜みとしての音楽教育は受けてはいる。
確かに、そうだと言われれば一定の調子で鳴いているように聞こえなくもねぇ。
だが、魔物の鳴き声を『旋律』だとか半音がどうとか、音楽として聴く感性は持ち合わせちゃいない。
(いや、ただの喚き声にしか聞こえねぇよ……俺にはさっぱり分からん……!)
分からんが――最後の、突き抜けるような高音だけは、俺の耳にも聞き取れた。
……そういうことか。
譜面をなぞるように歌い上げて、最後の特定の高音キーを『誰にぶつけるか』で、意識を刈り取ってやがるんだ。
つまり、この譜面がアイツらにとっての詠唱。
それをエステルは、謎の感性とお嬢様教育の一環で聞き取れる、と。
(なるほどな……)
だったら、やりようはある。
「ニーコ。あの注意を引き寄せるやつ、俺に使えるか?」
「ふぇ!? 引き寄せ……? あっ、はい」
「……っ」
ほんの一瞬、自分の意思とは無関係に、ニーコから目が離せなくなった。
視線だけじゃない。意識そのものが、糸で引かれるみたいにニーコへ吸い寄せられる。
「……っぷはぁ! ど、どうでしょうか?」
「……これだ。おい、エステル。次にあの歌がはじまったらニーコに伝えろ。ニーコ、エステルの指示に合わせて、高音キーのタイミングで今のを俺にかけろ」
歌が意識を『刈り取る』なら、刈り取られるその瞬間、意識がニーコに『引かれて』いればいい。
相手の精神阻害を、別の精神阻害で奪い取るってわけだ。
「ふぇ、ええ? せ、戦闘中に……!? だ、大丈夫ですか?」
「来るのがわかってれば、なんとかなる……はずだ」
「わかりましたわっ! お任せくださいま……あっ、来ますわよ」
「ふぇ!? そ、急に……! 間に合いませぇん!」
……こいつらを『信頼』して『来る前提』で動くのが、無性に恐ろしくなってきた。
幸い――と言っていいのか、今のは俺じゃなかった。
あの〈赤っ鼻〉が、いつの間にか〈暁の剣〉の戦線に踏み込んでいた。正面で受け持つのはフィリス。既に何合か打ち合ったらしい。
その拳が、たるんだ腹に突き刺さる。灰色の皮膚が波打って、衝撃を丸ごと呑み込んだ。
効いてないわけじゃない。だが、浅い。
あの皮と脂肪だ。たるんで、柔らかくて、打撃の衝撃を殺す。おまけに裂いた端から傷が塞がっていく再生持ち。
そこに、歌が来る。
振りかぶった構えのまま、フィリスが半拍、止まる。
再開された一撃は、芯を外れて皮膚の上を滑った。ただでさえ通りにくい相手に、打点をずらされる。相性最悪だ。
お返しとばかりに、丸太のような腕が横薙ぎに来る。フィリスは咄嗟にガントレットを盾にしたが、勢いを殺しきれず吹き飛ばされ、瓦礫の山に突っ込んだ。
「フィリス!」
ランサは心配そうに声をかけながらも、すかさず前衛のリカバリーに入る。
「……っ、平気よ! この程度!」
瓦礫を蹴散らして立ち上がる。頑丈な奴め。
魔物と真正面から殴り合えるなんて、あの黒鉄重装は伊達じゃないらしい。
だが、このままじゃ分が悪い。
俺は立ち上がったフィリスの横を駆け抜けながら声をかける。
「加勢するぞ! 文句言うなよ?」
「~~っ、勝手にすれば!?」
俺はそのまま滑り込むように距離を潰し、〈赤っ鼻〉の脇腹を擦れ違いざまに掻っ捌いた。
手応えはあった。しかし、贅肉の壁が刃の勢いを往なすかのように波打ち、致命傷を避ける。
そして、裂け目は見ている端から泡立つように塞がっていく。
「チッ……〈ファイアボルト〉!」
至近から炎の矢を叩き込む。焼けた箇所の再生が、目に見えて鈍った。
「やっぱりな、火が弱点だ! 〈エンチャント・フレイム〉」
二刀に炎が逆巻き煌々と光る。
「言われなくても! リンベル!」
「はいよ~っ……!」
赤熱した拳が唸る。焼く、裂く、焼く。
二人がかりで削り始めて、ようやく削れる速度が再生を上回り始めた。
〈赤っ鼻〉の動きが変わる。緩慢だった腕の振りに、苛立ちと恐怖が乗っている。
だが、こちらとしてもデカいだけの雑な薙ぎ払いでも、当たればただじゃ済まねぇ。躱して、裂いて、焼いて――。
このまま押しきれる――!!
「――アリア様~フィリス様~っ! 来ますわ~っ! 今度はデュエットですわ!!」
エステルの声。
二人同時――かよ……!!
先程の作戦。
ハーピィの歌をエステルが聞き取り、タイミングを測る。
そして、歌によって意識が刈られる直前に、ニーコに意識を集中することで停止のロスを減らす。
問題は……その歌が、誰に向けてか。
そこが判別つかないところだ。
だが、スノーハーピィ共を観察してわかった。
アイツらはジーンへの反撃を除いて、ほとんど直接的に攻撃を仕掛けて来ない。
歌を歌いながら、戦況を見渡すように頭上を飛び回るだけ。
エステルはハナから攻撃対象にすらなっていない。
では、アイツらは何をしているのか。
アイツらにとってここは狩り場だ。
争ってる者同士の戦いに歌で横槍を入れて、戦況を引っ掻き回す。
あるいは優勢な方を妨害し、戦いを長引かせる。
共倒れしたところを掠め取ろうってのが連中の魂胆だ。
つまり――――!
「〈赤っ鼻〉をこのまま押し切っちまいそうな俺達を放ってはおけないよなぁ!?」
――高音。
直後、ニーコの牽引が俺の意識を掴んだ。
視界の端に、盾を抱えて必死にこっちを見ている情けないニーコの顔。意識の端が、そっちに引かれる。
世界は、跳ばなかった。
微かに霞んだ。それだけだ。
振り下ろされる〈赤っ鼻〉の右腕の気配は、ちゃんと見えている。
半身で流す。丸太が地面を砕く。俺はその腕を足場に駆け上がった。
フィリスは――止まっていた。
エステルの声は届いていたはずだ。
停止が来る、と。
だが、届くことと、体を預けることは別の話だ。
今日組んだばかりの余所のパーティの、あの調子の警報に、反射を明け渡せる方がどうかしてる。
棒立ちの獲物へ、〈赤っ鼻〉の左腕が上がる。
(――遅ぇよ、デカブツ!)
駆け上がった勢いのまま、俺は燃え盛る二刀を、眼窩へ叩き込んだ。
「グ、ギガアアアアア!!」
絶叫。巨体が仰け反り、振り上げた左腕が空を掻いた。
怯んだ。ブスブスと焼け焦げ、再生も遅い。
トドメは刺せなかったが数秒稼げれば――十分だ。
二刀を引き抜き、仰け反る巨体から飛び退く。
「フィリス!!」
「――ッ、分かってるわよ!!」
意識の戻ったフィリスが、地を蹴った。
「ありったけ!!」
黒鉄のガントレットが軋むほどの〈闘気〉、これまでの比じゃない熱量で燃え上がった。
腰だめに、深く引き絞られる右拳。
相性差など無視した単純な暴力。
「いくわよっ! 〈超究極……ジャスティス☆パンチ〉!!!!」
ドガァァ!!
もはや打撃音というよりは発破だった。
風圧が厚い脂肪と余った皮膚を掻き分ける。
「オオオオオオッ!!」
解き放たれた一撃が、たるんだ腹の芯を――今度こそ正確に、撃ち抜いた。
燃える拳が皮膚を焼き破り、贅肉の壁を貫通する。焼き切られた大穴は、もう再生しない。
「ゴ……」
巨体がゆっくりと傾いで――地響きを立てて、崩れ、弛んだ皮膚はカーテンのように垂れさがる。
……気づけば、歌が止んでいた。
見上げると、白い群れが散り散りに飛び去っていくところだった。深追いするでもなく、未練もなく、ただ淡々と。
「……なんだ、ありゃ」
(……大勢が決した戦場に、もう用はないってか?)
連中は、トロルの味方ですらなかったわけだ。この村の惨状に集った有象無象が削り合うのを待っていたら、俺たちが来たもんだから、俺たちごと引っ掻き回してただけ。
最後まで、胸糞の悪い連中だ。
だが、ひとまず……。
「カーテンコールはないらしいな」
「……ちょっと」
フィリスが、拳の煤を払いながら近づいてきた。
「さっきの……頭のやつ。……別に、頼んでないから」
「ああん? 言ってる場合じゃねぇだろ」
「……ふん」
フィリスはそっぽを向いて、それから、ぼそりと付け足した。
「…………悪くなかったわ」
「あ? 聞こえねぇな」
「二度は言わないわよ!?」
……ま、俺も言わねぇでおく。
最後のあの一撃――怯ませた、たった数秒で、態勢を立て直して、必要な火力を全部束ねて、寸分違わず貫いた。あれはただの腕力のだけの話じゃねぇ。積んできた場数が見えた。
悔しいが、大したもんだった。
「……技名はクソダサかったけどな」
「あんですって!?」
――静かになった村に、燻りの煙だけが細く上っている。
剣を納めると、戦っている間だけ忘れていられた光景が、嫌でも戻ってきた。
「……手分けして、生存者を探すぞ」
そこからは誰も、軽口を叩かなかった。




