第1話:ギルド
空を飛べば、どこへでも行けるのだろうか。
高いところでは、声はよく響くのだろうか。
どれだけ重みを削れば、浮かべるだろうか。
地を蹴ることもなく、何にも引かれずに。
そうやって最後に残ったものを自由と呼ぶのなら、
それはあまりにも軽くて、どこに向かうのかさえ、わからなかった。
ここはアニュラス大陸の北方の大国、イドリア帝国。
かつては豪雪が降り積もり、寒波が吹き荒ぶ極寒の地——およそ人の住める土地ではなかった。
だがそれも千年も前の話だ。最初の勇者の一人にして帝国の創始者、ミナ・イドリアが人工太陽〈モノ・ソル〉を創り上げて以来、首都エテル・イドリアを中心に、この地は安定した気候を手に入れた。
…とはいえ、その御業も完璧ではないようで、中心から外縁へ向かうほど〈モノ・ソル〉の恩恵は薄れ、気候は厳しさを増していく。その結果、イドリアは千年をかけて独自の生態系を育み——同時に、外縁部の厳しさが、その独自性を守る天然の壁となった。
帝国領土の端、南側に横たわるガリア山脈。
隣国ガルドア王国との国境を分かつこの山脈の一角に、ブラックロックマウンテンはある。良質な黒鉄鉱石の産地として、長く両国の係争地だった山だ。
その麓に位置する街、ファルメル。
辺境ゆえに大雪はしょっちゅう、身を切る寒さが当たり前の土地だが、黒鉄輸送のために敷かれた〈魔導列車〉の駅があることで、街はそれなりに栄えている。冒険者ギルド、商店、飯屋が軒を連ね、街外れには巨大な鉱石処理施設。その周囲には労働者たちの住居がひしめき合う。
どの建物も、降雪に備えた鋭角の屋根を戴いていた。寒冷に強い緑草が点在するほかは、僅かに残る雪と、黒い岩肌が覗く、白と黒の街。
——その街の外壁門の前に、一人の女が立っている。
ミディアムショートの銀髪は、降りしきる雪に比べればどこかくすんで見える。深紅の瞳は気だるく細められ、眉間には深い皺。
スカーフ越しに吐き出した息が、白い塊となって凍てつく空気に溶けていく。
「チッ…クソ寒い…」
思わず悪態が漏れる。祖国イドリアの寒さは、何度経験しても慣れやしない。同じ国内だってのに、外縁部に来ただけで、骨まで凍みるこの寒さ。……マジで勘弁してほしいもんだ。
「帝国ご自慢の〈モノ・ソル〉様の御威光も千年経とうが、こんな辺境までは届きやしねぇってか?」
改善するどころか、近頃は寒気が長引くらしい。気候変動だとか何だとか言われてるが、寒がりの俺にとっては迷惑以外の何物でもない。寒さに殴られるたびに、どうにかなんねぇのか、と白い息と共に愚痴が零れちまう。
……もっとも、一国丸ごと暖める装置の仕組みなんざ俺の頭じゃちんぷんかんぷんだが。
被った雪除けのフードを目深に引き下げ、赤い瞳だけを覗かせて、門を行き交う連中をジロリと観察する。分厚い上着を着込んだ連中がひっきりなしに出入りし、荷を満載した荷車の列が門前を塞いでいる。辺境の割に人の往来は多い。黒鉄の利権ってのは、こんなクソ寒い土地にまで人を集めるらしい。
(どいつもこいつも、このクソみたいな寒さの中で必死に生きているってわけか)
レンガ造りの門前には詰所があり、門番が手続きを行っている。順番待ちの列に、舌打ちしながら加わる。前のヤツらが門番と何かゴチャゴチャやり取りしているのを、腕組みしながら待つ。ようやく自分の番が来て、無言で詰所のカウンターへ進む。中年の門番が、死んだ魚みたいな目でこっちを一瞥した。
「……プレート」
腰に携えた二振りの曲剣を見て冒険者であることを察したのだろう。先の商人に対する対応に比べると幾分ぶっきらぼうな声。俺も応える気はない。手袋をはめた手で、首元からぶら下げた銀色のプレートを引っ張り出す。その拍子に、手袋越しの冷えが首筋に触れてまた小さく舌打ちする。
プレート。
冒険者ギルド発行の身分証――〈四大国〉どこでも通用する代物。
門番の眼前に突きつけ、魔力を流す。
淡い光。〈魔紋認証〉だ。
個人固有の魔力波長を読み取り、登録情報を表示する仕組み。やってることは単純だが、その分ごまかしが効かない。偽造も、貸し借りもできねぇ。
プレートの表面に文字が浮かび上がる。
『アリア・ロアン』
『女』
『人間族』
『銀等級冒険者』
『適性属性――』
門番の仏頂面が引っ込んでいき、代わりに引きつった愛想笑いが貼り付く。
「ど、どうぞ……!」
(ケッ。現金な野郎だ。銀等級サマってか)
内心で毒づきながら、プレートを回収する。
……こんなクソみたいな札っ切れでも、一流の証ってやつはそれなりに役に立つらしい。
今の俺には、これしかない。
元の自分は、もういないのだから。
今の俺はれっきとした――ただの冒険者、アリアだ。
門をくぐると、中は思ったより広々としていた。雪がうっすら積もった地面には、荷馬車の通った痕かゴツい轍が何本も刻まれている。荷物の積み下ろしには怒号が飛び交い、寒さの中でも妙な活気があった。石畳の道を進むと、両脇には鋭角屋根の宿屋や飯屋、武具屋なんかがずらりと並んでいる。煙突からは白い煙がモクモクと立ち上り、焼き立てのパンか何かの匂いが鼻をかすめた。
(…鉱山の街ってだけあって、人は多いな。ゴロツキも多そうだが)
すれ違う連中の顔を、フードの下から観察する。見るからに屈強な鉱夫、抜け目のなさそうな商人、そして、俺と同じように武器を身につけた冒険者たち。無意識のうちに、相手の力量や敵意を探ってしまうのは、染み付いたクセみたいなもんだ。
やがて、ひときわ大きな木造の建物が見えてきた。入口の上に交差した剣と盾の紋章。冒険者ギルドだ。人の出入りが激しく、中からは騒がしい声が漏れ聞こえてくる。
厚い木の扉を押し開けると、むわっとした熱気と、人の汗、酒、そして埃の混じったような匂いが襲ってきた。外の寒さが嘘のように、中はしっかり暖房が効いている。
「うわっ…相変わらず、どこもかしこも…」
思わず顔をしかめる。広いホールの中は、人でごった返していた。壁際には、依頼書がびっしり貼り付けられたデカい〈大看板〉が三つ。中央のテーブル席では、冒険者のグループが大声で話し込んでいる。地図を広げたり、酒を酌み交わしたり、今にも殴り合いを始めそうな雰囲気のヤツらもいる。ホールの隅っこでは、フードを目深にかぶった怪しげな情報屋が、小声で何かを売り込んでいるようだ。
奥のカウンターには、揃いの制服を着た受付嬢が数人、テキパキと仕事をこなしている。書類の山、インクの匂い、ひっきりなしに訪れる冒険者への対応。
そして、ホールの左右にある階段の上からは、さらに輪をかけて騒々しい声が響いてくる。がなり声、嬌声、グラスのぶつかる音…どうやら上が酒場になっているらしい。戦果を自慢するヤツ、酔ってクダを巻くヤツ、噂話に花を咲かせるヤツ、そして、いつものように始まる取っ組み合いの喧嘩。ギルドってのは、本当にどこも変わらねぇ。
ギルドの受付でもプレートをかざして認証し、活動登録を行う。
…これでこの街の掲示依頼を受けることができる。
(…さて、どうするか)
チラリと二階を見上げる。
(…あの喧騒に混じって一杯引っ掛けながら、何か面白い情報でも拾うってのも悪くねぇな。腹も減ってるし…)
一瞬迷ったが、懐の心許なさを思い出し、思いとどまる。酒を飲んだら今日の依頼は受けられない。
何日か滞在するくらいは捻出できるが……冒険者なんてのは動ける内に稼がねぇといつ何が起きるかわからねぇ。
この街である程度、旅費を稼いだらこんなクソ寒いド田舎からはとっととおさらばだ。
南に下ってガルドア王国か。
それとも魔導列車で西へ回ってアイラン皇国か。
(どっちだっていい、なんてったって冒険者は"自由"なんだからよ)
自由のための節制。
そのための仕事だ。
結局、冒険者として食っていく方法は一つだからな。
受付カウンターに背を向け、依頼が貼り出されている一番手前の〈大看板〉へと、人混みをかき分けながら向かった。
さてと。
旨い依頼が――残ってりゃいいんだが。
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