第二章 ⑩
逃げ出そうとする阿修羅霊を真備が縛り付け、散々に梨華の神楽を浴びせる。
いつのまにか、真備の手には長い錫杖が握られ、神楽に合わせるようにフロアを打ち、涼やかなしゃんしゃんという音を一定の間隔で放っていた。
「神仏の世界は調和ある美しい世界。いいか、おまえたちがあの神楽を見て苦しむのはおまえたちの在り方が、神楽の持つ美しさとまるで違っているからだ。人々に取り憑いて苦しませるのはやめ、地獄で反省せよッ」
厳しく凜と言い放つ真備の迫力に、阿修羅霊たちがひれ伏す。
梨華の神楽舞と真備の説教で散々痛めつけて、柏手を数度。
阿修羅霊たちは真備の法力で地獄に追い返された。
「次、餓鬼霊たちよ。おまえたちは貪ることばかり考えているが、現実には食べ物は食えず、欲しいものは得られず、呻吟しているであろう」
いわゆる我利我利亡者、髪の毛はほとんどなく下腹が膨らんだ餓鬼霊がわらわらと湧いてきた。
相変わらず錫杖で地を打ち付けながら、真備が語る。
「それはおまえたちが生前、人に与えること少なく、自分だけをよしとしてきたからなのだ。いまも地上に生きている人間に取り憑いて、肉体を持ったかのように思い、食べたかった食べ物を食べ、欲しかった物を得ているようで、実際にはおまえたちの貪りの罪がますます増えているのだ」
梨華の神楽は静かに終わり、鈴の音のみを時折ならしているばかり。
「人間は何かを奪うために生まれてきたのではない。自らの創意工夫で何かを誰かに与えるために生まれてきたのだ。そして、御仏の心は与えきりの慈悲の心なのだ」
切々と諭しながら、真備は印を結ぶ。
「地蔵菩薩よ、あなたの大慈大悲の心で、餓鬼たちを導き給え――」
頭上に黄金色が差し込んでくる。
地蔵菩薩の導きの光だった。
『オオオォォォ――』と、亡者たちが声ならぬ声を上げて、光のまぶしさに立ちすくんでいた。
姉弟子のゆかりであれば、得意とする不動明王火炎呪で阿修羅霊も餓鬼霊も焼き尽くして地獄に送り返すだろう。
だが、それはかなりの力業になる可能性もある。
真備も同様の法力を持っているのだが、その魔に対して最も効果的な法力で対抗するのである。
だがそれは、火炎呪で吹き飛ばすよりも、よほど法力を必要とする技だった。
餓鬼霊たちの姿が光によって揺らいでいく。
この間も、真備は小さな声で地蔵菩薩真言を唱えていた。
そして。
「バン・ウン・タラク・キリク・アクッ」
五芒星を切り――これで了。
「真備様、相変わらずきれいな法力だよね」
「それはどうも」
「このくらいきれいに契約も取れればいいのにね」
「うるさい」
「ゆかり様が言ってたんだけどね」
軽口を叩きながらも、鈴の音を止めない。
真備も梨華も分かっているのだ。
本命がまだ控えているといるということを。
「来るぞ」
梨華が矛先鈴を構え、足元に力を入れる。
何かが揺らいだ。
「バン・ウン・タラク・キリク・アクッ」
梨華が裂帛の気合いを込めて五芒星を切る。
辺りがびりびりするような霊力のぶつかり合い。
五芒星をまともに受けても、ずるりと現れたそいつは、真備たちを見てあざ笑うような顔つきになった。巨漢である。額から一本、ねじれた角が短く生えていた。
「鬼、だな」
もはや人霊ではなく、完全なる鬼。悪霊ですらなく、完全に悪魔の領域に踏み込んでいる。
「すごいの出てきたね。ウケる」
梨華が笑う。うら若き女子高生の見た目だが、百戦錬磨の退魔師でもあるのだ。
「ご主人のほうのだ」
真備が霊符を構える。
「社長業を二十年もやっていればいろいろあるのだろう。建築関連の仕事だから荒い現場もあったかもしれない。あの奥さんと同居して平気で、しかもあの奥さんを簡単に止めることができるなりの霊的背景だな」
「久しぶりだね。鬼とか」
となれば、諭しも、慈悲の光も、猶予はない。
ただ、ふっ飛ばすのみ。
「梨華」「あいあい」
真備がその目をつり上げ、渾身の法力を練り始める。
「陰陽師・小笠原真備、神命により悪鬼を調伏いたすッ」
真備が霊符を投げつけ、全力で法力を放った――
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「あら、小笠原さん、このまえはどうも」
「お忙しいところ、ありがとうございます」
「今日は主人、急な仕事でいないんだけど、いいかしら」
「ああ、そうですか」
「今朝主人とももう一度話して、医療保険とガン保険は入ろうかって」
「ありがとうございます」
「私たちが入院しない間も、誰かのお役に立つならいいじゃないかって、主人が言うんでおかしくって」
「いえいえ」
「でもやっぱり、お金が戻ってきてくれる保険とかがあればいいわぁ」
「もちろん、そういうプランも用意してきましたよ」
……かくして、真備は悪鬼を調伏した先から契約をいただくこととなったのだった。
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「よかったわね、小笠原くん」
契約を取って書類を提出した真備に、ゆかりが笑顔を向けた。
「ありがとうございます、御子神先輩。経営者相手に医療とガンしか取れなかったのかと、前橋マネージャーには文句言われましたけど」
「あー、そう言うだろうね、マネージャーなら」
契約書類のサインをもらいに行った真備がマネージャールームから出てくるのに少し時間がかかったのはそういうことだったか。
「でも、小笠原くん、嬉しそうじゃない」
「そうですか」
「他にも何かいいことあったの?」
ゆかりが興味津々に尋ねると、真備はちょっと声を潜めてささやいた。
「あの家から悪霊がいなくなったんですよ? 最初にあったときと比べて全然奥さんも元気そうだし穏やかだし、ご主人も優しそうだったし。それが、よかったなあって」
にっこり笑った真備がゆかりにはとてもかわいく思える。こう言うところを見せられてしまうと、ゆかりとしてはいろいろお手伝いをしてあげたくなるではないか。
不意に真備がスマートフォンを取り出した。
「あ、そうだ。契約いただいたお礼を桜子さんにしないと」
「……あんたってヤツは……っ!」
何だかゆかりの顔つきが強張っていたが、なぜだろう。紹介者にはちゃんと報告をするのだと、いつもゆかりも言っているではないか。
真備はスマートフォンを取り出して桜子の家の電話を鳴らす。
ややあって、つながった。
「はい――」
「あ、桜子さんですか。メリー生命の小笠原です」
「あ、小笠原さん……」
「このまえはありがとうございました。って、何だか声の調子がおかしいですけど」
「ごめんなさい、朝から、具合が――」
受話器が激しく何かにぶつかる音がした。
「もしもし!? 桜子さん、大丈夫ですか!? もしもし、もしもし!?」
真備の呼びかけに、答えは返ってこなかった。
第二章完結。折り返し地点です。
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