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第三章 ①

 受話器が何かに激しくぶつかり、通話が切れることもなく、そのままの状態が続いていた。


「桜子さん! 桜子さん!」


 真備の呼びかけに答えがない。


「どうしたの、小笠原くん。電話の相手、紹介をくれた子よね」


 ゆかりが怪訝な顔をした。


「分かりません。朝から具合が悪いって言って、そのまま――」


 どうしようかと考え出すと、すぐに真備はノートパソコンをたたんで鞄に入れた。


「小笠原くん?」


「ご両親も不在で一人きりなんです。万が一があるといけない」


「ちょっと、小笠原くん!?」


 真備が席を立ち、フロアを出て行こうとする。


 ゆかりが慌てて後を追った。


 真備はエレベーターフロアを横切って、通路奥へ急いでいた。


「真備くんっ」


 ゆかりがとうとう声をかけた。


「ここから禹歩をするの?」


「小平まで電車で行ってたら、二時間はかかりますから」


「だからって、人目につくでしょ」


「姉弟子ならきっと俺を追っかけてきてくれと思ってました。隠行しますけど、周り、誰もいないですよね」


「え? そうね、大丈夫みたい――」


 ゆかりが九字結界を張るのももどかしく、真備が人のよい営業の顔を捨て、熟達した陰陽師の顔になった。


「小平のあの辺はそんなに人がいないだろうし。あとで連絡します」


 スーツ姿の真備が複雑な禹歩の足運びをして、地脈に吸い込まれていった。


 つい今し方まで弟弟子のいた場所を見ながら、ゆかりは思わず苦笑した。


「直前まで話していていきなり禹歩って。しかも、ビルの六階からきれいに地脈に入り込めるなんて――」


 とんでもない陰陽師だ。


 ゆかりは真備が万一助けを求めてきたときのために、自分の荷物もまとめることにした。





 禹歩で地脈を駆け抜けた真備は、鷹の台駅近く、玉川上水沿いの木立の間に出現した。


 散歩をしていたおじいさんと目が合ったが、軽く会釈してやり過ごす。


 こういうときは押し切った者勝ちなのだ。


 日本橋から小平までとなると、かなり疲れるし、周囲の目を配慮して桜子の家から少し離れたところに出たのだった。


 ちょうど、そばに小さな神社があった。稲荷神社らしい。


(そう言えばこの辺りでは有名だと桜子さんが言ってたな)


 真備は神社に詣でると、本社の裏に回り込み、再度、禹歩。


(有名とは言え、しっかりした地脈が通っていて霊的に安定していたから助かった)


 今度は一気に桜子の家の前に出る。


 幸い、誰もいなかった。


 人間は――


「なんだ、これは?」


 思わず声に出てしまった。


 真備が出現した桜子の家の前が、低級な蛇の霊のたまり場になっていたからだ。


 霊視の効く真備の目には、入り口から玄関まで、のたうち合い、絡み合いながら無数の蛇が絨毯を作ったように続いていた。


「前に来たときにはこんなことはなかったのに」


 まず疑ったのは先日の自分の調伏だ。


 調伏に反発した悪霊が、陰陽師に告発したとも言える桜子のところへ復讐に来た線を疑ったのである。


 しかし、真備の調伏の方に出てきたのは阿修羅と餓鬼、それに鬼。蛇のたぐいはなかった。


(では、姉弟子のほうか)


 ゆかりの担当した方には蛇の霊がいたのは知っている。しかし、こんなに大量にいたとは聞いていないし、自分でもそんなに存在を感得していない。


(では何だ)


 思考する時間を与えさせまいとでもするかのごとく、蛇の群れが真備に鎌首をもたげた。


 何百何千という蛇の霊が一斉に真備をねめつける。


「意外と気持ち悪いな、これ」


 霊符を取り出して、鞄を敷地の安全そうな所に置くと、両手で印を結び、呼びかける。


「梨華、梨華、聞こえるか」


 真備の法力と直につながっている式神の梨華からは、すぐさま反応があった。


『聞こえてるよ』


「いまどこだ」


『買い物に行こうとしてたところ。「いなげや」で卵とトイレットペーパーがタイムセール』


「そちらは中止だ。いますぐ俺の所に来てくれ」


『あいあい』


 意識の交流がふっと途切れる。


 九字結界を切ると、すでに横に梨華が出現していた。


 どこかの学校の制服を模した純然たる女子高生スタイルの美少女が突如として出現したのだが、幸い、壁の陰で誰にも見えなかったようだ。


「真備様、蛇多すぎ。さすがにヤバくね?」


「梨華、何だと思う?」


「呪詛返しでこういうパターンはあるけど、この家の人間は呪術者?」


「たぶんだけど、違うね」


「だろーねー。それとも、真備様が集めた? 真備様、ヘンタイ?」


「何でそうなるんだよ」


「大量の蛇でどんなプレイするの?」


「しねえよ」


 何だって式神のくせに、それに女子高生の格好のくせに、保険営業のおっさんみたいな下ネタを言うのだろう。


 この間、大量すぎる蛇霊が二人をにらみつけているままである。


 軽口を叩きながらも、蛇霊に攻撃させる隙は一切与えていないのは、さすがに熟練の業であった。


「真備様、たぶんあの蛇どもはただの眷属で。本命は家の中にいるんじゃないの」


 梨華の見立てを聞いて、真備が小さくうなずく。彼も同意見だった。


 蝉の声がわんわんと響き、方向感覚が麻痺するようだ。


「では、急がないと。梨華、押し切るぞ」


「あいあい」


 真備が戦闘命令を下し、梨華が拳を握りしめて飛びかかる。


 蛇霊の群れが一斉に梨華に襲いかかる。


「エエエイッ」


 気合いの声を上げて、ミニスカ女子高生が蛇霊の大軍を拳一つで粉砕する。


 たった一撃で二割くらいの蛇どもがズタズタに裂かれて消えた。


 蛇どもは真備にも襲いかかる。


「バン・ウン・タラク・キリク・アクッ」


 霊符を五枚放ち、法力を流し込む。五芒星の五つの頂点に霊符が配され、その霊符が「木・火・土・金・水」の五行の力を含む。


「エイッ!」


 真備の気合い。五芒星の中心から法力の奔流が蛇どもを押し流さんとする。


 その横で梨華が蛇の群れの中に躍り込み、殴り、蹴り、呪を叩きつける。


 真備が押し流し、梨華が粉砕し、玄関まで埋め尽くしていた蛇霊を地獄に叩き返した。


「桜子さん!」


 真備が玄関を開ける。


 探すまでもなく、玄関先に桜子が倒れていた。


「これは――」


「ひどい……」


 真備やゆかりと共にいくつもの邪霊悪鬼の類と戦ってきた梨華でさえ、思わずそうつぶやかずにはいられない状態だった。

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