メルト(思い出)
小高い丘の上に少年がひとり。
眼下に見える街並みよりもまだ遠くを見つめるその瞳をそっと閉じる。
「・・・寂しいか?」つぶやいた言葉は風に攫われ、消えて行く。
「オパール!」少年はその声に振り向く。
「ペリドット・・・」声の主はまだ年若い青年だった。少年よりわずかに年をとっている。
「サファイアを見なかったか。」薄黄緑色の髪をゆらし、青年は少年に駆け寄った。
「・・・・さぁ。」少年_オパールは気のない返事をする。
「・・・・・トパーズが恋しいか。」ペリドットは淡い白色の髪の少年の顔を覗き込む。その瞳はその名と同じ。映る世界を反射する虹色。
「・・・・今度の任務、クルセドニーが二人も派遣される理由はあるのか?」オパールは聞く。彼は不満だった。世界をまたにかけるクルセドニーたちは主君アダマスの命によって動く。それは例えば、平行世界である時さえある。
今回はそれだった。詳細は任命された者以外に知らされることはない。彼はクルセドニーに任命されてから、二年目と一番最年少で、その中でもトパーズによく懐いていた。今回の任務は長期で、自らの主君でさえ、未知なる世界だという。そこへ来て、年長組の二人が抜けるということは、このセレスティスの守護が減るということで、彼自身はあまり良く思っていなかった。
同じく、彼よりは先にクルセドニーに任命されたペリドットはその瞳の薄紅色を曇らせ、オパールの頭をなでる。彼とて、年長の二人の不在には寂しさを感じていたが、これもまた彼等の仕事なのである。
クルセドニーが過半数集るのは珍しいことだった。
「皆に集っていただいたのは他でもありません。わたくしの妹、ラズライトの事です。」アダマスは集った彼等を前にして静かに言った。
ラズライトがアダマスの妹であることは、周知の事実だがその存在の特異性から一部には伏せられ、クルセドニ-をはじめとする一部の者しかその事実を知らない。ラズライトはセレスティスではアダマスの巫女の一人であり、それ以上ではなかったからだ。
「予定より少し早まりましたが、あの子が飛ばされました。どうやら、別の世界のようです。___トパーズ。」トパーズがそれに応えて他のメンバーを見渡す。
「今度の一件、通常とは違い長期になりそうだ。私ともう一人がラズライトのサポートに付くことになる。アレク。」
「俺ですか。」アレキサンドライトはトパーズの名が出た時にわかっていたようで、驚きもせずに頷く。
「西方の守護はガーネットに任せる。不在の間、御方様をお願いする。」トパーズは赤紫色の瞳に深い葡萄色の髪の女性に言う。
「承知いたしました。ま、正念場ですしね、いってらっしゃいませお二方。」ガーネットと呼ばれた女性はひらひらと手を振る。
「失礼だが、二人派遣する意味があるのか?ラズライト様も無事なのだろう。」蒼色の瞳の男が聞く。見事な金髪は腰まである。
「予定、とおっしゃいましたが、アダマス様、ラズライト様は何故異世界へ?」アズールブルー色の瞳をした少年が聞く。
「アクアマリン言葉が過ぎるぞ。」そう言った男は深いグリーンの瞳を持っていた。
「・・・良いのです、エメラルド。新旧の差はあれど、この者たちにも話さなくてはなりません。その為に皆に集ってもらったのですから。」アダマスはそう言ってクルセドニーを見渡した。
「便利なものですね。」ルチルはつぶやいた。彼女が仕えるべき人物は、先ほどまで背丈ほどの長さの髪を持っていた。一般的に嫌われる黒という色で。ルチル自身は、そんなことを気にしたことがなかったし、館の主であるクロラストリティスのスーツの色と同じだと思えば別段珍しいことでもなかった。
「そうですか?でも、なんか気持ち悪くないですか?」ラズライトは肩につくまでの長さになった髪を編み一つにまとめると、前に垂らした。この姿になると、こういうことも自由に出来る。試したことはないが、性別も変えられるだろう。だからといって、彼女自身に何か特別な力があるというわけではない。ただ、回りのものはその存在感に圧倒される。
「こう、空を飛べたり、壁抜けができたりするんですか?」一緒にいたカーネリアンが聞く。こちらは少し興味津々な態度で。
「や、それは無理。あるとすれば、アレかなぁ。」ラズはそう言ってルチルの渡した服を着る。これから、メルトへ行くにあたって砂漠を越えなくてはならないのでその対策をしている所だ。先発隊として青騎士団から数名メルトへ向かっている。ラズがその姿を表してから今日で二日目、クロラストリティスの予定が合わないため、一緒に行くラズもまたまだ屋敷にいた。
「大丈夫かなぁ。」そうつぶやきながら、荷物の準備にとりかかる。トパーズは先発隊と共に旅立っている。
「心配ですか?」ルチルが聞く。
「大丈夫だと思うのに、見知らぬ土地だからですかね・・・なんとなく気になります。」
「それが普通ですよ。で、アレってどんな能力なんです?」カーネリアンがお茶を入れてラズに渡す。ラズはそれを受け取ると、寝台に腰掛けて、一息ついた。
「あれが6歳の時です。まだあの頃はわたくしの妹として離宮におりました。」アダマスが昔を思い出しながら話しはじめる。
「ラズ・・・?」アダマスは離宮に来ていた。神殿からそれほど離れていない小高い山に建てられていた。普段は誰が来るということもない。木々の緑が青く眩しい季節だった。
部屋にいないのをいぶかしんで_おそらくまた庭にいるのだろう、アダマスは少し目を細めラズライトの気配を追った。案の定、『冬の庭』の先から妹の気配を感じる。彼女はこの時人間にして15歳だったが、年離れた妹が自分と腹違いであっても愛おしみ、またラズライトもアダマスを慕っていた。忙しい合間をぬって、お互いに共に過ごせる時間をかけてきたのだ。
『冬の庭』は離宮でも宮殿よりさらに高い高度にあって、ラズライトの一番気に入っている場所だった。この宮殿には『春夏秋冬』の名がつく庭があり、それぞれに動物も存在した。そんな季節が混在することからこの山は恐れられ、誰も近寄らない。だからこそ離宮として使ったのだ。
「ラズライト・・・?」アダマスが『冬の庭』に入ると、小さな笑い声と話し声が聞こえてくる。きっとラズライトのものだろう。こぼれ落ちる笑みを押さえることもせずにアダマスはその奥へ歩いて行った。
「では、おまえの名前はなんというの?」後ろ姿のラズは懸命に何かに声をかけていた。
『さて、お教えするような名ではござりませぬ。我は審判なれば。』そう言ったのはカラスだった。一羽だけ白く、左の頬にも白い線が入っている。
「だって、お前、カラスではないもの。カラスと呼ぶのは相応しくないよ。」そう言いながらラズは奇妙に思った。いつもならいるはずの白い鳥や他の動物の姿が見えないのだ。
『ほう、おわかりになるか。いかにも、我は審判なれば、存在の在処を探しに参った。』そう言ってカラスは首をかしげる。
「審判てなあに?」ラズは首をかしげたカラスと同じように首をかしげると聞く。
『ふむ。むつかしいか。見定める者だ。』
「何を見に来たの?」
『それは___』そこでカラスの声が途絶えた。
「え・・・?」ラズライトは小さな音をたて倒れた物体を見下ろす。それは先ほどまで自分が話していたものだった。
「ラズライト、無事か!?」その鋭いが美しい声は自分がよく知ったものだった。
「姉さまっ・・・!?ひどい、どうして!?」振りかえったラズは目の前のカラスが既に命を失い、またそうさせたのがアダマスであることに気づいた。触れずにこんな真似をできるのはアダマス以外にいない。
「ラズライト、放しなさい、汚れるから。」そういってアダマスはラズが抱えたカラスを落とそうとしたがラズはそこから走り出す。
「ラズ!!」
ラズは走った。
悲しくて、悲しくて、命が失われることで残される自分が悲しくて、泣きながら走った。
アダマスはこの庭のことを詳しくは知らない。いつもならすぐに追いつかれるけれど、ラズは自分しか知らない抜け穴を通って、がむしゃらに走った。
冷たい風に切られる思いだったがそれでもカラスを落とさないように抱えて走った。ようやくついた場所は木々に囲まれた寂しい場所だったが、ここだけは日がよくあたることを知っていた。そっと足下にカラスをおろし、近くにあった石で地面を掘りはじめた。アダマスはラズの気配を視ることができるので、見つかるのも時間の問題だった。だから必死でラズは願った。
(来ないで・・・来ないで・・・!!)
その願いがまさか自分の気配を消すことをしていたとはこの時のラズにはわからなかった。
ようやく、小さな穴をあけるとその中にカラスだったものを横たえて、ハンカチをかぶせた。ラズが持っていたものは絹でできており、大判だったのでちょうどカラスを覆うかたちになった。
「ごめんね・・・寒いでしょう。ごめんね。他のお庭ならもっとあったかいけど。ごめんね・・・」動物はこういう風に土葬する。だけど人は火葬が一般的だった。何故かと聞いたら、人は土に還るには罪深すぎて、一度動物になってから還るのだと。
そこで風が吹いた。
小さな落ち葉がいく枚も、カラスの上だけに舞落ちる。ラズはびっくりして空を見上げた。
いつの間にか木々にはカラスが鈴なりになっていた。まるで仲間を殺したラズを獲物と定めるかのように。ラズは怖くなって手を握りしめた。けれど、それも一瞬だけでそれでもいいかと思った。
『審判は帰った。泣くことはない。』一羽のカラスが言った。そのカラスは正反対の真っ白なカラスだった。
「死んでしまったの」ラズは驚いてそのカラスを見た。
『明の女神が奪ったのだ。おそろしいことだ。』カラスはそう言ったがちっとも恐ろしいと感じているようには見えなかった。
「カラスさんはどこへ行ったの?」ラズはそのカラスに聞く。
『ここではない場所。』カラスは言う。
「どこ?」
『お前の知らないところ。お前は何も知らない。何もわからない。』
「わからないから、聞いてる。そこへラズも行ける?どうしてカラスさんはここへ来たの?」
『お前次第。審判はお前を見極めにきた。』
「どうして?」
そこで甲高い笑い声が聞こえた。周りのカラスが鳴いているのだ。それも、一斉に。
『明の女神はおそろしい。お前に閉じ込めた我等が主、封印は堅固、もはや分離もできまいて・・・』そう言う声が遠ざかる。カラスたちは一羽一羽と飛び立ち始めた。
「・・待って!どういうこと・・・!?ねぇ、待って!」ラズは声を上げたがカラスたちは飛び去っていく。落ちて来た羽根を拾うと、背後に見知った気配を感じた。
「ラズライト・・・」アダマスの顔色は青白かった。
ラズはそのままカラスを埋め始めた。アダマスはそれが終わるまで待っていた。
小説ってむつかしいですね。。。