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「んまぁ…まあ、まあ、まあ! こんな方が本当にガーランドさんの奥様になってくださるの?」


 鞄2つだけで訪れたシルフィを家に迎え入れたのは、執事夫妻だった。

 恭しく礼をしようとするハンスの隣で、妻のメアリが飛びつくような勢いで声を上げる。

 さすがのシルフィも驚いたように、目を瞠って返す言葉が出なかった。


「お嬢様、じゃないわね、奥様。私は執事のハンスの妻のメアリです。無作法はお許しくださいね。この家には奥様の部屋を調えられるような女手が他になくて、お世話をお手伝いするために来ましたの」

「い、いえ、作法なんて。どうぞお気になさらずお願いいたします」

「まあ、そうですの? もっと礼儀正しいレディメイドを雇った方がいいのか考えているところだったんですよ」

「そんな、とんでもありません。家でもメイドなど使っておりませんでしたから」

「あらまあ。ハンス、良かったわね! 余計な雇用人は要らないみたいよ!」


 バン!と背中を叩かれて、ハンスは軽く前に傾ぐ。

 言い返すことなく軽くため息を吐く様は、夫婦の力関係を見せられているような一場面だった。

 けれどそんな様子に、シルフィも肩を落として表情を緩めずにいられなかった。


「歓迎されないと思っておりましたのに…お迎えいただき、ありがとうございます」

 シルフィが二人に向けて荷物を持ったまま頭を下げると、メアリが慌てて駆け寄る。

「あら、だめよ。奥様が頭なんか下げちゃ! 荷物もほら、遠慮なく渡してくださいな!」

「いえ、あの、奥様…というのは、まだ確定ではないので。シルフィ、と呼んでいただけませんか」

「はあ? どういうこと、ハンス?!」

「シルフィ様。とりあえず部屋までご案内いたしましょう」


 メアリのペースではいつまでも玄関から離れられないと判断したハンスは、いささか強引に鞄を手に取った。

 さすがに部屋への案内が先だと感じたのかメアリもそれに素直に従う。

 「後で詳しく聞くわ」というあからさまな視線をハンスには送りながらではあったが。


 三人で静々と連なり到着したのは、二階の端の日当たりの良い部屋だった。


 華美さはないが品は良いと分かる家具が、落ち着いた色合いで配置されている。

 大きな窓に近付けば中庭が見え、季節の花や緑が午後の陽を受けて輝いていた。

 ラフェルドが成功してから建てられた邸は、全てが未だ真新しく見える。

 古ぼけたものばかりに囲まれていた男爵家と比べると、シルフィはそれだけで豊かさを感じずにいられなかった。 


「この邸は特に奥方用の部屋を考えていなかったので、とりあえず客室だったところになります。不足なものは私かメアリに申し付けください」

「その内、もっと女性らしい家具も揃えてまいりましょうね。全く、装飾にはこだわりがない人ばかりなんですもの」

「旦那様は仕事で出ていますが、夕食までには戻るそうですので、その時にはまたお呼びいたします」

「支度はお手伝いしますね。ああ、その前に家の中の案内をした方がよろしいかしら」

「ご要り用な物は、私かこのメアリに申し付けてください。扉の横の紐を引けば、使用人の部屋でベルが鳴るようになっておりますので…」


 噛み合うようで噛み合わない夫婦のそれぞれの進言に、フィリスは思わず微笑んだ。

 勤勉な執事と、世話焼きなその妻。

 どちらも身の置き所がないかもしれないと思っていた不安を、解消してくれそうな頼もしい存在だった。


 多くはない使用人との挨拶も済ませ、家の中を案内しながらこの邸の習慣を教え伝えられる。

 ハンスに詳しい経緯を聞き、共にフィリスと数時間過ごしたメアリは、夜には彼女にすっかりに心を寄せていた。

 手段だけ聞けば強引としか言えないが、実際に会って話してみれば誠実な娘だと感じられる。

 単身でやって来た様子でも芯の強さは分かるし、持ってきた荷物で分かる貧しさを恥じているようにも見えない。

 ラフェルドが言うような金目当てには見えないフィリスを、メアリはすっかり全面的に応援してやろうという心積もりになっていた。




 結局、ラフェルドと顔を合わせるのは夕食での席になった。

 フィリスは一着しか持ち合わせていない夜用のドレスに着替え、席につく。

 濃い紫色のドレスは仕立ては悪くなさそうだが、古いデザインで落ち着いた外見を更に年嵩に見せていた。

 それを髪だけでも、と花を差し、流行りのふんわりとした結い上げ方にしたのはメアリだ。

 彼女の姿を見て少しばかり目を瞠ったラフェルドを、メアリはしてやったりという気分で眺めていた。


 給仕として、見守り役として、執事夫妻は二人に食事を運び始めたが、なかなか会話は始まらない。

 フィリスも緊張しているようだが、ラフェルドはもっと緊張しているのが見て取れる。

「…お声をかけてください」

 ハンスにそっと促され、軽い咳払いと共に邸の主人が声を出したのは、最後のお茶が出る頃だった。


「――フィリス嬢。今日は、迎えに出られず申し訳なかった。部屋の方は不自由ないだろうか?」

「ええ、とても素敵なお部屋をいただいて感謝いたします。どうぞフィリスと呼んでいただけませんか、ラフェルド様」

 声をかけられたことで少し息を吐いたフィリスは、明るい声で答える。

 だがラフェルドの方は、堅い表情を崩せず、声も強張ったままだった。


「…フィリス。お一人でいらしたようだが、やはり家族の方は反対なさっているのでは?」

「まあ、とんでもありません。とても喜んで送りだしてくれましたわ。もう荷物を全部こちらへ移してしまえと言われましたけれど、さすがにそれは止めましたの」

 まるで追い出されたかのような言い方だ。

 いや確かにあの時の家族達は、結婚で家を出てくれる娘を押しつけたい様子に見えなくもなかったが。

 だが、仲の悪い家族にも見えなかったが…


 ラフェルドがそんなことを考えていると、フィリスの方から探るような問いがそっと出された。

「…ラフェルド様は、この度のこと、未だお怒りでいらっしゃるのでしょうか?」

「い、いや、驚きはしたが、怒ってはいない。だが…」

 言葉が詰まる。

 当たり障りのない会話をしても、彼女の考えは掴めそうになかった。

 じとり、と見つめ続ける女性の視線に耐えられず、ラフェルドは大きく息を吐いて降参するように手を挙げた。


「…すまないが、意図が掴めずに困惑している。頼むから、金が必要だと言うのなら、正直にそう言ってくれないだろうか。そうすれば男爵家への援助の仕方も考えられる。今回の君の行動力には本当に感服したからこそ、結婚せずとも援助はさせていただこうと思っている。だからそんな若い身で進んでこんな男と無理に結婚をする必要性は…」

「それは、ありません」

「は?」

 話の腰を折るように声を上げたフィリスに、ラフェルドだけではなくハンスとメアリも目を瞠った。

 静かに怒りを潜ませている様子が伝わり、三人ともが言葉を失う。


「ラフェルド様。私が ‘家に援助して欲しい’ とひと言でも言いましたでしょうか?」

「言っては…いないようだが…」

「手紙は読んでいただけたのですよね?」

「読んだが…」

 読んだからこそ、分からなくなった。

 女性からそれらしい誘いを受けたこともないラフェルドにとっては、あのような文面を信じられず、からかわれているとしか思えないかった。

 「金が目的」だとはっきりしてくれる方が理解でき、対応も考えることもできるというのに。


「私はラフェルド様の奥方になりたいから、このような行動を起こしたのです。お金のことはどうか忘れて考えてくださいませんか」

 きっぱりと言いきる様子に、迷いはない。

 眉間のシワを深めたまま、ラフェルドは唸るように間抜けに聞き返すしかなかった。

「…だが、それなら、なぜ…どうして ‘私’ にそんな事を言うんだ? まるで君は私を知っているようだが…以前に逢っている、のか?」


 にこり、とフィリスが微笑み返す。

 肯定とも否定ともとれない表情に、ラフェルドは思わず身体を堅くして答えを待ち構える。

 だが次に出された言葉は、身体の力が抜けるような内容だった。


「ラフェルド様。私、らくだが好きですのよ」

「は…ぁ?」

 突然の話の転換に、頓狂な声を出してしまう。

 らくだ?

 らくだ……ラクダ――彼女は、駱駝、と言ったのか?

「らくだ、とは…あの砂漠にいる…?」

「ええ」

 更に含みのあるような笑みが乗せられ、決定的な言葉が発せられる。


「だから、ラフェルド様のことが好きなんです」



 『好きなんです』



 それは、手紙にも書かれていなかった告白だった。

 ラフェルドが初めて女性からもらった告白でもある。

 だが何が「だから」なのだろう。

 何が。

 どうして。

 らくだと繋がるのだ…?




 ――初の告白に、感動よりも激しい困惑で呆然としている間に、フィリスは自室に下がっていた。

「旦那様、お茶を入れ直しましょうか? それとも部屋の方で用意しますか?」

 冷めきった茶を片づけようとするハンスに問われ、ようやく瞬きをして意識を戻す。

 いつもと変わらぬ執事の様子に、ラフェルドは知らずに詰めていた息を吐きだした。


「…ハンス。彼女はらくだ、と…言っていたか?」

「おっしゃっていましたね」

「らくだを知っているか?」

「実物は見たことありませんが絵姿などは見たことがあります」

「私は――らくだに似ている、のか?」


 動揺を見せない執事に縋るように、ラフェルドは恐る恐る問うた。

 すぅっと目を細めて見据える視線に耐えていると、静かに答えは出された。


「そうですね、似ているかもしれません。髪の色とか」

「色、か?」

「ひょろりとした首とか」

「首…」

「何を考えているか分からない顔とか」

「……」

「それから…」

「ああ、いや。いい。もういい」


 冷静にあっさりといくつもの共通点らしきものを指摘されてしまうと、いくら見目のよくない中年だと自覚していようと心は傷つく。

 可愛らしい動物に例えられても困るが、せめて身近な犬や馬なら納得できた。

 らくだ、とは。

 普段見ることができない、得体の知れない珍獣の類ではないか。

 

「…つまり彼女は珍獣好きで…故に私を好いた…という訳か…?」

「そうかもしれません。ですが、旦那様の見た目が好きなどという女性など、大変に貴重ですよ」

 励ましになるような、ならないような言葉に、ラフェルドはがくりと首を落とした。


 フィリスの発言を聞いてから、忍び笑いを消せないメアリが熱いポットとブランデーを持ってくる。

 それをハンスが受け取ると、ぱちんと意味ありげなウィンクが送られてきた。

 そこに言葉はない。

 だが、長年の適応で言いたいことは分かった。


『あの子を逃さないように、旦那をちゃんと見てるのよ!』


 メアリが思った以上に心酔している様子に、ハンスも少々驚いていた。

 単純でおおらかなただの世話焼きのように見えるが、彼女の人を見る目は確かなのだ。

 今日からの手伝いを頼んだのもシルフィを見定めて欲しかった部分が大きい。


 冷めた茶器を交換に渡しながら、ハンスは静かに目でメアリに頷いた。

 ラフェルドはまだ納得できないことに縛られているようだが、もう家に招き入れたことで、戻れない道は着々と敷かれていた。

 


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