(3)
「おっ、なんだ嬢ちゃん、この兄さんと知り合いかい?」
葵と男のやりとりを隣で見ていた店員がしばしの沈黙から口を開いた。
店員に『嬢ちゃん』呼ばわりされた事を「またか……」と内心思いはしたが、いちいち訂正するのも面倒になり、葵はそのままスルーして答える。
「いえ、全ぜ――」
「そうそう! 実はこの子、私の知り合いが世話してる天使でねー♪」
「!!??」
店員の質問に、当然のように否で返答しようとした葵の口元は、斜め前から伸びてきた両腕に捕まり、塞がれてしまった。
言わずもがなその腕は男のものである。
そして更には、事実とは全く嘘の内容で互いの関係を説明していた。
男の意見がそのまま通ってしまうのを阻止すべく、葵は、口元を塞ぐ両腕を引き剥がして反論を試みる。
「や、違うんです! 僕は――」
「ははははは~! この子ってバ何か混乱してるみたいだから、ちょーっと失礼しちゃうよー」
「はぁ!? 何言って……」
「すぐ戻るから、しばしお待ちくだされ★」
しかし男は葵の言葉を再び遮り、店員に一言断ると、葵を軽々と小脇に担ぎ上げ、ダッシュで店員の前から離れる。
「え、ちょっ……ちょっとおおおぉぉ……」
なにがなんだか訳が分からないまま連れ去られるかたちになった葵の声が、店の並ぶ通りに虚しく響いた。
「……どういうつもりなんです?」
店から数メートル離れたところで解放された葵は、悪びれる様子もない態度の男に訊ねた。
「ん~?」
「あんな嘘ついて……本当に逃げる気だったんですか?」
「あー……いやー……そんなつもりで言ったんじゃなかったんだけどな~」
男はそう答えると、両腕を上げて伸びをしながら「それに――」と付け足す。
「キミの事を知ってる、ってのはあながち嘘じゃないし」
「えっ……それってどういう――」
知っている――
男のその言葉に、葵は驚きのあまり訊ねようとしたが、男はぶつぶつと何か呟きながら背を向けていた。
「あ、あの……」
「いやはや困ったなー。私に話を合わせてくれないと、取りに行けないんだよなー……『カネ』が」
「もしもし……?」
「うーん、それにしてもこいつぁ盲点だ。中立界では飲食に『カネ』が必要だったのかー……その辺のシステム、ちゃんと聞いておくんだったなぁ」
「……っと……」
「あー……取りに行くにしてもアイツに会ったらまぁーた文句言われそうだし、バレないように帰らないと――」
「ちょっと!! 聞いてます!?」
1人ごちる男の様子に、葵は思わず声を荒げて呼びかけた。
「うん? ああ、ゴメンね。私のセリヌンティウスになる気になってくれた~?」
「……そのセリヌンティウスがなんだかは知りませんが、人身御供案なら却下です!」
「うーん、つれないなぁ」
「つれないとか、そういう問題じゃないと思うんですけど?」
肩をすくめて頬をぷうと膨らませる男の態度に、ついつい言葉の端々が荒くなってしまう。
さてどうしよう、と思いながら、葵はふと店の方に目をやる。
さきほどと同じ場所に立ったままの店員は、不思議そうにこちらを窺っているが、2人の会話は届いていないらしい。
とにかくあちらもいい加減痺れを切らせている事だろう。
そうこうしている間にも、時間は昼間を過ぎてしまっていた。
「……わかりました。じゃあこうしましょう」
「あ、もしかして私の身ぐるみを人身御供ならぬ物身御供にするとか?」
「そんなもの誰も求めてませんから。というか、それやったら別の意味で捕まりますよ」
自分が取りに行く案しか思いつかないらしい男に脱力しながらも、葵はひと呼吸置いて提案した。
「とりあえずここは僕が代わりに支払っておきます。だから貴方は、貴方の都合のいい時でいいので後日返してください」
「え~!? そんな二度手間しなくても今から取りに行くのに!?」
「こっちにも時間の都合ってもんがあるんです! それに――」
……『それに』?
一体何を言おうとしたのか――葵は思わず言葉に詰まる。
男は無言で、葵の言葉の続きを待っている。
そうするとふと、説明のないままに終わってしまっていた、あの時の男の言葉を思い出した。
「僕は……知り合い、なんでしょ?」
「え……」
「それなら……借りっぱなしにはしないんじゃないですか?」
「…………」
葵の言葉に、男は少し驚いていたようにも見えたが、すぐいつもの笑顔に戻ると、こくりと頷く。
「うん……うん、絶対、ちゃんと返しに来る。約束するよ」
落ち着いた口調でそう約束した男の顔は、笑顔ながらも少しだけ真剣な眼差しに見えた。
葵もまた、自らの口から出た自分の言葉に驚いていた。
会った記憶のない自分からしてみれば、男は初対面の相手だ。
その相手に対して『次』などという約束を取り付けるなんて。
もしかして自分は、今目の前にいる男を信用したという事なのだろうか?
(――いや……そんな……まさか、ね)
一方的に巻き込まれたのが原因ではあるが、職種上、目の前で困っていた男を放っておけなかっただけだ。
男がちゃんと返しに来るか否かに期待などしていない。
そうだ、これはきっと、ただの気まぐれだ。
そう自分に言い聞かせながらも、不思議と嫌な気分はしなかった。




