05
私は今日これから
全ての人類に対して
罪を犯します
私にはもう何も無いけれど
最後に残ったこの命を捧げます
だからどうか、どうかうまくいきますように
終わらせてください
それだけが私の望みです
ごめんなさい
~彼女の日記より~
魔族:ニンゲンに敵対する全ての種族。人類の扱う言葉では「恒温動物」みたいな扱いで定義が広い。
魔物:魔族の中でも獣に属するものどもの別称。魔族と呼んでも間違いではない。
魔獣とも呼ばれる。ディアは正式には獣王ではなく魔獣王。
彼らにとって、最も効果的な『エサ』とは何か。
美女?違う。
そんなものは一時凌ぎだ。
財宝?違う。
国庫全てを解放しても足りやしない。
名声?違う。
勲章なんて彼らにとっては何の価値も無いゴミクズだ。
権力?違う。
彼らはそんなもの必要としないし、対価として成立する程の権力を異邦人に与える事など出来る筈が無い。
帰還。そうそれだ。
彼らに通用する対価はつまり「家に帰れること」。
なんら対価になっていない、それは失った物を戻すだけ、補償にもならない。
つまりは脅しだ。
勇者として、魔王と戦い打ち勝たねば家に帰さぬという脅し。
望まぬ英雄たる代価として、それは余りにも安すぎた。
「なんだいこれは?」
少年の声が響く室内は、有体に言って酷い有様としか表現できない状態だった。
元は白かっただろう壁は黒く煤こけ、岩石から削り出された筈の柱は一度融解して再凝固し、床一面には幾重にも広がる皹と陥没。
まるで伝説のイフリート(火神獣)の召還に失敗したかのような部屋に響いた声は誰にも拾われる事は無かった。
少年のスーツから覗く肌は透き通るような白い肌。
ウェーブの掛かった金髪の奥では、深紅の塗れた瞳が見る者を男女関わらず欲情させる。
その瞳をよく見れば、人外の証たる逆三角形の瞳孔が見えるだろう。
彼の名はジェスターシュ・パリエラ・ノーウェン。
300年の時を生きる魔王と同じく人に最も近い容姿を持つ純魔族であった。
ジェスターシュは爪先でこんこんと床の感触を確かめると、己の足に力を集中して床板に叩きつけてみる。
バカンと軽快な音と共に2cmほど足の裏が床に食い込んだ。
祝福された天然一枚岩、それに防御結界を多重に施し、結界を維持する力を都市全体の生命から自然吸収する優れものだ。
本来なら今こめた力などでは傷ひとつつきようもない。
それが破壊される現実。
何もかもが破壊されつくし、祈りの残滓も燃え尽きていた。
「サラマンダーを中隊規模で集めたってこうはいかない……あのモノノフめ、肝心な事は報告しないんだから」
ジェスターシュはかつて『聖域結界術式の魔方陣』が設置してあった部屋を出て建物、いや城の裏手に向かう。
裏手には兵の鍛錬場がある。
目的の人物、いや人物と表現してよいのかは不明だったが、とにかくジェスターシュが会おうとしている男、獣王ディア・ナ・ファナトスはそこに居るはずであった。
聖域結界術式の魔方陣は、その効力を既に失っていた。
彼が来る前に、彼の仕事は終わっていたのだ。
此処はウーレンテ。
サエグスによって滅ぼされてから数えること4日が経過していた。
魔族の中では最も人に近い姿を持つ彼だが、周囲の魔獣どもは彼に牙を向くことは無い。
彼から香る芳しい濃密な魔族の気配がそうさせていた。
一部の知恵のあるものは一歩退いて首を垂れるほどだ。
その中にちらほらと、今までならばありえぬ光景を見つける事が出来た。
彼らの一部が物資を運んでいるのだ。
それも、主に武器と書物を。
ニンゲンが作り出す武装を流用する魔物は多数いるが、その殆どは鋼に限られる。
ニンゲンにとっての高級品であるミスリルはかえって魔族の力を打ち消してしまうのだ。
逆にアダマンと呼ばれる鉱石の粉末を鋼に溶かしこんだアダマンタイトの装備は魔族の力を伸ばしニンゲンの力を弱める。
もちろんそんな装備をニンゲンがつくるはずもなく、ドワーフの一部が極少量作り出したものを、代々継承して使っている場合が多い。
よって、本来魔族が見向きもしない武器なのだ。
ニンゲンのミスリル武器とはそういった類のもの。
それを大猿の魔物が束ねて運んでいた。
狼が書籍を咥え駆けてゆく。
その行き先は、どうやらジェスターシュと同じようであった。
「久しぶりだね坊主。ずいぶん逞しく、勇ましくなったじゃないか」
果たしてその目的地に、彼は居た。
其の姿はジェスターシュが最後に見た姿より一回り大きくなっているように見える。
また、その体からあふれ出る力の力場もまた同様だった。
「んん?ジェスターシュ?ジェスターシュ殿かっ?!クハハッこれは久しい。10年振りか。壮健そうで何より」
「5年だよ、もう。悪いね、魔獣軍団長になってから挨拶も出来ていなくて」
「クハ、戦線は押されていたではないですか。仕方の無いこと……最も、それも今日まででしょうがな」
「結界の部屋を見てきたよ……ずいぶんと派手にやったようじゃないか。優秀な部下でも持ったかい?軍師も持ったね。是非にでも紹介して欲しいな」
「ふむ、部下ですか。最初はそう思っていたのですが何とも、世界は広い」
「うん?」
「実は代替わりがありましてな。クハ、新しい長はそう、その新人なのです」
「ハァ?!」
随分と会っていない知己が一角の軍団長になったと思ったら、就任祝いをする前に其の座からケリ落とされていた。
つまり下克上である。
ジェスターシュはディアの頭から爪先までをまじまじと眺めてみる。
おかしい。
下克上ということはつまり、新人がディアに対して決闘を挑んだのだろう。
ディアは軍団長の座を、新人は命を賭けて。
ならばその戦いは壮絶なものとなるのが当たり前であり、少なくとも敗者は死ぬか、それに等しい負傷を負っているはずだった。
それが全くの無傷。
「聞きたいね、詳しく」
どの道これから出会う事になるのだが、予備知識を得ようとジェスターシュは動く。
しかし結局得られた知識は「ファイアフォックスの末裔」「炎を使う」「見た目に反してディア程のパワーを持つ」「回復もできる」といった物だけ。
サエグス・ジェローの人物像はいまいち見えてこなかった。
其の者はニンゲンの都市を弱体化させる程度の知恵を持ち
其の者は封鎖して皆殺しを行う程冷酷であり
そして聖域結界の魔方陣を正面から破壊できる力を持つ
「恐らく、彼もまた『持つ者』なのでしょう。ま、『シングル』が妥当な所かと」
「どうだかね。『ダブル』って事は無いだろうけど」
彼らは一定以上の力を持つものに対して『持つ者』という言い回しを使い、その中のランク付けで『シングル』、『ダブル』、『トリプル』という表現を使う。
それ以下は『持たざる者』と表現しているのだが……さて、この持つ者は『何を持っているか』である。
彼らの中でも明確な定義があるわけではない。
しいて言うならば、ニンゲンと魔族に共通した、唯の生物から一線を画す要因となる『何か』の強さだ。
例えば勇者、例えば魔族の軍団長。
彼らは同じ種族の中でも特に強いその『何か』を持っている。
それがシングル。
つまりダブルとトリプルは、その『何か』を2つ3つ持っている事になる。
このランク、基本的に絶対的な物であり、正面から戦う限りまず絶対に戦闘結果はこの序列に順ずる。
ネズミが不意打ちで虎に傷をつけることがあろうとも、正面からの殺し合いでは絶対に勝てぬように。
しかし、この何かを持つにはあるルールがある。
魔族であろうと、勇者であろうと、この世界に産まれ、あるいは出現した時に持てる数は1つのみ。
有史以来これに違反した者は居ない。
そして、この何かは殺して奪っても増えることは無い。
取り込んで成長する事は在っても、絶対にシングルがダブルに届くことは無い。
そして、この何かを取り出すと死ぬ。
つまり誰かが命を捨ててでも自身の何かを託さない限り、絶対にダブルは生まれない。
さらにいうならば、この何かを受け入れる許容量は人によって上限があり、大多数の者がダブルを受け入れる余裕を持たない。
というか現在この世界において、魔族が知覚している範囲にダブルは存在しない。
居ないのだ。
しかしである。
「まさか……ね」
聖域結界、この世界の覇権を掛けて尖兵を争わせる神2柱。
其のうちニンゲンを使役している女神とやらの寄り代が存在する聖域。
それを守る世界各国の王城に存在する聖域結界の魔方陣。
シングルとて簡単に崩せる物ではない。
魔術魔法に精通し、魔法寄りにシングルの力を傾けたジェスターシュ程の者が一週間掛けてようやく解除できる、そういった代物なのだ。
断じてパワータイプがどうこうできる代物ではなかった。
ディアの話を聞く限りサエグスはスピードとパワーに力を傾けたパワータイプの筈だ。
炎は力の顕現の余波のようなもので、恐らく直接的な戦闘能力には関わらないだろう。
ならば何故?
例えば、何かの力への振り方を切り替える能力を持つものが稀に居る。
必要に応じて肉体を強化したり魔法を強化したり。
そんな者が稀に居ない訳ではない。
例えば、ニンゲンどもが呼ぶ勇者とやらに、そういった能力者はたまに居る。
だが、勇者が都市ひとつのニンゲンを独り残らず殺してみせるだろうか。
聖域結界を破壊して見せるだろうか。
あるわけが無い。
サエグス・ジェローは心強い味方である。
しかし……本当に――――?
「ま、とにかく会って見ないとね」
「ご案内します」
この時ジェスターシュが抱いた疑問は、ある意味正しい。
サエグスは彼なりの目的に沿って動いている。
例えば魔王が彼の目的の前に立ちはだかった場合、サエグスはその炎を今度は魔族に向ける事になるだろう。