☽第1話 終わりと始まり
しきたりだと言われ、王女セルランティアはたった一人で祭場へと続く回廊を歩いていた。
そんなことがあることなど今日初めて聞いたが、式の時刻が迫っていた。セルランティア――ティアは「そういうものなのだろう」と無理やり己を納得させた。
今日は婚姻式。
隣国の王子、ヴィソルとの新しい日々が始まるのだ。
その矢先に悲劇は起こった。
胸に強い衝撃が走り、鋭い痛みに視線を落とすと、漆黒のローブを纏った何者かが短剣を己の胸深く突き立てていた。
(な……ぜ……)
理由も、目の前の人物が誰なのかすらわからない。
口中に広がる鉄の味。とっさに口元を押さえると、指の間から鮮やかな赤が溢れ出た。
それが血だと認識した瞬間、焼けつくような痛みに襲われる。
ふらりと足が揺れた、その時。どこからか鋭い風切り音が聞こえた。
「ぐぁっ!」
眼前から短い叫び声が上がり、黒いローブの人物が仰向けに倒れ込む。
己の胸に刺さった短剣から目をそらし、彼女が視線を足元に移したとたん、赤く染まった何者かの胸元が視界に入ってきた。
(この方も……胸を?)
彼女は謎の人物の顔に目をやった。
目深に被っていたフードが肩に落ち、顔があらわになっている。彼女とそれほど変わらない歳に見える少年だった。
短めの、手入れの行き届いていない栗色の髪。瞳も髪と同色だが、その目がカッと見開かれていた。
まるで『何故、俺が――?』と問いかけているようだった。
はだけたフードから、歪だが綺麗な色の石がキラキラと小さく輝いていた。布で何度も拭いて艶を出した、宝石の原石のように思われた。
そのペンダントのようなものは、少年には似つかわしくない気がしたが、誰かからの贈りものだろうかと、ふと思った。
「は……あっ」
息ができなくなり、ティアは少年から目をそらした。
視界がぐらりと揺れる。体がどんどん凍えていくようで心細くなった。
何故、こんなことになってしまったのだろう?
ふらつく視界の端に、回廊の壁と石畳の一面が映り込む。そこには血脈のように張り巡らされた銀色の装飾が施されていた。
銀脈と呼ばれる、細長い銀の薄板を敷き詰めたものだ。
冷たく光る銀脈に己の姿が無数に映し出されていく様が、何故かティアには恐ろしく感じられた。
ふいに、銀脈が生き物のように躍動し始め、聞いたこともないような轟音が地の底から響いてきた。
(地……震……?)
ティアは朦朧とする頭でそう感じながら、ゆっくりと顔を上に向けた。
天窓から差し込む僅かな光が銀脈まで届き、それぞれが反射し合って、足元で水面のように揺らめいている。
普段なら、ただ美しいと感じるだけだったはずの銀脈の大回廊。
そこで今、ティアは豪華な婚姻用のドレスを鮮血で染め、ゆらゆらとおぼつかない足取りで歩いていた。
(行か……なくては……。ヴィソル様が……お待ちに、なって……)
右に、左に、体が大きく揺れる。こんな時だと言うのに、ティアは〝滑稽なダンスでも踊っているよう〟だと笑いたくなった。
観客は、周囲に張り巡らされた銀脈のみ。
そのはずなのに――彼女は透明な誰かに見られているような薄ら寒さを感じていた。
「あっ」
石畳の僅かな窪みにつまずき、ティアは床へと倒れ込んだ。
その拍子に胸に刺さったままの短剣がさらに深く食い込み、緋色の液体が大量に溢れ出す。
それによって石畳と銀脈がじわりじわりと染められてゆく様を、ティアはひとごとのように眺めていた。
息を吸おうとしても、胸の奥がひゅうひゅうと鳴るだけ。もう痛みも感じなかった。
そこに、ようやくティアの従者たちの足音が響いてきた。
あちらこちらから大きな悲鳴が上がったが、すでにティアの耳には届いていなかった。視界も徐々に狭くなっていき、その時が近いことを嫌でも感じさせた。
最後の力を振り絞り、ティアは横たわったまま首を僅かに動かした。
ふらつく足でかなり前まで進んだつもりだったが、そこにはまだ少年の姿が見えた。
(な……ぜ……)
唇を動かしてみたが、もう声にはならなかった。
(どうして、わたくしを……?)
どんなに問おうが、もう答えは返ってこない。
それがわかっていても、思わずにはいられなかった。
(ヴィソル様、申し訳ございません……。わたくし、もう……)
視界がゆっくりと暗くなり、少年の顔も映らなくなった。
……そうして、王女セルランティアの命は尽きた。
*****
次に目を開けた時、ティアの眼前には天井があった。
いや。はたして天井と呼べるのかどうかすらわからないものが、そこにあった。
剥がれかけた木の板のところどころに隙間ができていて、微かに朝日が差し込んでいる。
ティアはのろのろと身を起こして周囲を見回した。
(……え?)
どう見ても自分の部屋ではなかった。
薄汚れた肌触りの悪い毛布に、ギシギシと軋む木の寝台。ひび割れた壁。
床に転がった古ぼけた丸椅子。ボロボロの木箱――。
今まで目にしたことがないほど粗末な部屋だった。
(ここは……どこ? わたくし、助かったの……?)
両手に目を落としたティアは、「えっ?」と驚きの声を上げた。
見慣れない、日焼けしたゴツゴツと骨ばった手がそこにあったからだ。
どう見ても、白く、傷ひとつなかったはずの自分の手ではない。
「あ……。この、声……」
声を出してみて初めて気づく。
やや低めながらも、まだ幼さすら感じさせる少年の声だった。
「い……や……。そんな……」
恐怖に震え、胸元に手を当てる。
ティアの顔は恐怖に歪んだ。それなりに豊かだったはずの膨らみが消えていたのだ。しかも、短剣が貫いたはずのその箇所に、少しも痛みは感じられなかった。
ツギハギだらけの服の胸元をつまみ、そっと傷口を確かめてみる。
瞬間、ティアの背に悪寒が走った。傷が跡形もなく消えていた。
(な……何故……? わたくしの胸も、傷も……いったいどこに……)
混乱したティアは、平らになった胸の前でギュッと両手を握り締めた。
ティアがあまりの気味悪さに震え出した、その時。
唐突に部屋の扉が開き、ティアと同い年、もしくは少し年下に見える少女が入ってきた。
鎖骨にかかるほどの長さの栗色の髪を、左右でゆるく束ねている。やはりツギハギだらけの服を着てはいるが、瞳は活き活きと輝いていた。
少女はティアと目が合ったとたん、パアッと顔を輝かせた。
「お兄ちゃん! よかった、目が覚めたんだね」
少女は嬉しそうに駆け寄ってきて、ティアの手をギュッと握った。
(『お兄ちゃん』?)
少女の発した言葉に戸惑い、ティアは微かに首を傾げた。
自分の身に何が起こっているのか。
少女はいったい誰なのか。
彼女はまだ、完全に把握できてはいなかった。
第1話をお読みくださりありがとうございました!
このお話はW主人公ですので視点がしょっちゅう入れ替わりますが、エピソードタイトルの頭に「☽」と「☀」マークを付け、どちら側のお話かひと目でおわかりいただけるようにしています。
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