第六十三話 人猫一体
「このあたりのはずだっ! 探せっ!」
屋根の煙突の陰に身を潜め、どうするか相談していたマイコールたちの耳に、そんな声が届く。
次いで馬の駆け抜ける音、金属の重なり合う音が少しずつ集まってくる。
それは風貌からするに王国の騎士団のようであった。
「さすが王都だ。やるなー」
「皆がモフモフのマイコーを求めてる」
「今夜はちょっと勘弁だなあ」
今夜だけで何度目かの隠れ場所特定である。
マイコールは感心するばかりだ。
マイコールの足は速い。
この暗闇なら誰もにも認知させず、移動が出来る自信がある。
さらに王都の影の者やら、暗殺者ギルドやらとも邂逅したが、それでも影すら踏ませず、瞬時に振り切ってきた。
だが、数の力と、王都の優れた防衛機構は侮れない。
逃げても隠れても、勘にしては正確すぎる精度で、居場所を把握されてしまうのだ。
そうして人の波が押し寄せてくる。その繰り返しだ。
「今回の首謀者は、すっげえあちこちに顔が利くなあ」
「でも、皆が友達ってわけでもなさそう」
「そうだな。集まってる奴ら、全員オイラを追ってる理由は違いそうだもんな。おっ、バレたか」
足音や気配を上手く殺そうが、マイコールの鼻は上回れない。
死角から迫る身軽な者たち。即座にマイコールは屋根から身を躍らせた。
真下にいる数十人の群れが視界に映る。
マイコールが屋根の縁をわずかに蹴り飛ばす。
リアノンが背中にいることで、重量は増している。
だから動きが制限される。追ってくるやつらは、そんな風に思っているのだろう。
だがその重量は、足枷ではない。
背中にあるのは、頼れる相棒だ。
重さというマイコールだけでは得られないもの。
マイコールだけならば、わずかに膝を沈ませ、溜める。それが加速には必要だ。
しかし、リアノンがいれば、その過程は不要となる。
重さと強化した肉球の弾力が加速を生む。
溜めに使っていた膝を、すべて姿勢制御へ回す。そうして生まれるものは――。
速度を殺さず、より軌道の鋭い、夜を切り裂く雷だ。
「なんだ、なんだ!?」
「何か通り抜けなかったか!?」
街を利用した跳躍は、惑わすための動きすらなく、直線的だ。 本来単純なはずのそれは、高低と角度を刻みながら、軌道そのものを捉えさせない。
だから、影を追うことすら許さない。
だから誰も、次の着地点を言い当てられない。
右往左往する数十の目。
追う者たちは、時折鳴る壁の軋みに反応しても、常に数手遅れている。
そうして騎士団を、遥か背後へ取り残す。
未だに彼らは、宙に視線を彷徨わせていた。完全に視界から切るために、マイコールは路地に入って、ようやく普段の駆け足に戻った。
「おつかれ、マイコー」
「いやあ、これぐらいなんともねえけど。流石に朝まで逃げるのは面倒だなあ」
「どっかに隠れてジッとしても、またやってくるもんね」
こんなに追いかけてくるなんて、どんな指示に従ったら、こうなるのだろう。
ちょっと知りたい気もする。
「騎士団が探知して、騒ぎを聞きつけて他も集まってくる。これの繰り返しだもんなあ」
「今は見なかったけど。その前のどっかで、槍とか斧の人もいた」
「ギルドにいた連中だよな。あいつら、オイラを潰したいから必死だなあ」
マイコールは苦笑する。
「さて、問題はここからどうすっかだな」
「隠れる、プニる、逃げる……。そんなとこ?」
「だな。……まず、プニるのはなしだ。相手がどう考えようが、オイラたちは悪いことはしてねえ。だけど、返り討ちにでもしたら、追いかけられる理由が、ホントに生まれちまう」
ギルドとか賞金稼ぎ的な奴らは構わないが、騎士団は不味い。
下手すると国に喧嘩を売ることになる。
「隠れるのもダメ。意味がない」
「そもそも隠れられないもんな。そりゃ朝まで鬼ごっこすんのと同じだ」
「じゃあ、逃げる?」
「オイラは正直、それがいいとは思ってる」
今回の首謀者はわざわざ王都に呼び込んで、閉じ込めようとしている。
リアノンには話してないが、これだけの手間や仕掛けを作る相手が、エルーナたちの方に手を出さない。そんなこと、あるのだろうか?
ここから出られないだろう?
そういう狙いが臭うなら、やはり乗り越えてこそ裏をかけるのではないか。
「逃げる……。わたしも、そうしたい」
「リアも、そう思うのかあ」
マイコールの身体を掴むリアノンの手。わずかに力がこもる。
「ルナとバルバル、ユキマルが心配」
「そうだよな」
似たような思いを共有しているのがわかって、マイコールは顔をほころばせた。
「だけど……、どうしよう? マイコールのジャンプと、おっきい白い壁……。乗り越えられる?」
出来るの? と言いたげにリアノンが首をわずかに傾げた。
マイコールは思い出す。
壁の構造や高さ、そして自分の跳躍力……。
「流石に届かねえなあ」
森にある成長した木よりも、遥かに高い城壁。
さらには台になりそうな建物は、壁際にないという徹底ぶり。
「入り口近くに、おっきい建物あったよ? 使っても、ダメ?」
「監視塔だよな。あれを踏み台にしても、足らねえ。……たぶん、もう少しって感じだな」
「もう少し?」
「監視塔から跳んで、勢いがなくなる頂点で、リアだけぶん投げたら、たぶん壁の上には届く」
「それじゃマイコーがいない。一緒じゃないと、意味ない」
「にゃははっ。わかってるよ、リア」
ちょっとだけムクれたリアノンの声。
マイコールは、尻尾で彼女の背中を撫でておく。
爪を壁にぶっ刺して登るか?
……いや、面倒な場所特定までする力のある連中だ。
あの壁にも、なんか仕掛けがあると考えなきゃいけない。
仮にやってみて、自分が動けなくなったら、それこそリアノンが危険だ。
「でかい木でも、城壁近くにあればなあ」
「木? ……あ、いつもマイコーは森で、枝を使ってる」
リアノンが思い出しように言った。
「そーなんだ。いい感じにしなる枝があると、跳ぶのに勢いがつくんだ」
その言葉を遮るように、後ろの方から金属の触れ合う音が聞こえるようになる。
重い足音。数はそれなり。
「少しバラけてるな。路地と通りにわけてる。完全にわかって、追ってるわけじゃねえ」
屋根の上に移動……。
いや、上にもなんとなく集まってる臭いがする。
それより前の方が、数が少なそうだ。しかも、この嗅ぎ慣れた臭いの集まり。誰と出くわすか、わかりやすい。
「進むぞ」
「うん」
「前にも少しいる。さっと抜けるぞ」
「わかった」
路地の終わりが見えてきた。
マイコールは勢いを直前までそのままに、通りへと滑り出る。
マイコールはわずかに足を止め、周囲を油断なく見回した。
正面は行き止まり。左右に道が伸びている。
選択肢は三つ。
上か、右か、左か。
人の影はないが、粗暴なやりとりが左から聞こえてくる。
すんすんと鼻をならす。こりゃあ――と相手の顔を思い浮かべると、丁度姿を現した。
斧使いと、その連れだ。
「いったい、どこに……、ああっ!」
「なんだ! 見つけたのかっ!」
偶然に振り向いたら、目が合った。
そんな感じで、一人が指を差してくる。斧使いの視線が方向を変え、マイコールを捉えた。
「うるせえのがいるなあ。逆に行くぞ」
「この野郎! 待ちやがれっ!」
そう言われて従うわけもない。マイコールはわずかに跳躍。重さへの反発で、一気に加速しようとして。
「うにゃっ!?」
他の路地からするりと姿を見せた男。
槍使いだ。
肉球が床に触れそうなタイミングで、思わず動きの起こりを止めてしまう。
槍使いは臭いと気配が、どこか希薄だ。斧使いの主張する臭いに、気を向けすぎていた。
「はっはっはっ! 囲い込んでやったぜ。リュレン、やっちまえ!」
斧使いの賑やかな声を始まりとして、槍使いが先端をマイコールへと向けた。
距離は相手の歩幅で大きく二歩踏み込めば届くくらいか。
槍の末端を両手で持つリュレンという男。
槍の方向はそのままに、先端だけを回し始める。持ち手は、ほとんど動かしていない。
槍の真ん中から穂先までが、生き物のようにしなる。先端の軌跡は、ほぼ正確な円を描いていた。
相手の槍は、マイコールにとっての爪みたいに馴染んでる。
「リア……、頭、下げとけ」
「うん」
リアノンがモフモフに身体をうずめた。
まだ予測すら出来ない一撃から、リアノンを少しでも隠すためだ。
加速に乗ってしまえば、リュレンも視線で追いきれはしない。それはすでに証明されている。
だが、それを起こす前ならば、捉えてやる。リュレンの瞳が、そう物語っていた。
その場でのわずかな跳躍からの急加速。
この敵は、その『わずか』を正確に狙える。そう考えなければならない。
ならばここは、相手の間合い。
一息ほどの隙でも見せれば、そこを狙ってくる。
マイコールは、動かない。
リュレンは、穂先で円を描き続ける。
お互い何をしているのか?
早く動け。観衆からすれば、そう思うだろう。
だが、戦いは、すでに起こっている。
マイコールは見極めたい。
筋肉か、視線か、呼吸か。
未だ見えない動きの始点を、見極めたい。
リュレンは制したい。
相手から起こる初動。それを読み解き、致命を刺す。
不動の獣が秘める動きを利用し、制したい。
その場の誰もが動けなかった。マイコールも、シュレンも、部下たちも。わずかな間に、呼吸すら許されない雰囲気だけが、膨れ上がっていく。
瞬間――。
「なに見つめあってんだ、馬鹿野郎っ!」
溜め込まれていた空気が、一斉に吐き出される。
円が、ほどけた。
回転していたはずの槍が、ふっと細く伸びる。
真っ直ぐではない。しなりを孕んだまま、先だけが――滑る。
「……っ」
弾くか、避けるか。
槍は疾く、歪んだ軌道を描く。
意志を持ち、自由な蛇のように迫る。
マイコールは半身を引こうとした。
右足を後ろへ下げ、接地した際に起こる、わずかな強化肉球の反発。それを利用しようとしたのだが。
マイコールが挙動する直前。槍が鋭く引いていき、また即座に放たれた。
避ける瞬間を逸し、次に迫る一撃を弾こうとした。
だが槍は、肉球に触れさせることすら許さず、一瞬で間合いを離れる。
厄介なのは蛇行する軌跡だけではない。
穂先をこちらの視界へ向けることで、柄の長さを惑わしてくる。
さらに腕や身体の伸縮を混ぜることで、間合いを正確に悟らせない。
それらは殺気を乗せた、幻惑の刺突。
しなりながら迫る高速の槍。
虚にまみれた連撃に、実を混ぜ込む瞬間を計っているようだった。
凄まじい技量は、マイコールの一歩を封じた。
その場に張り付けたまま、両手だけの対処へ追い込むのに、十分であった。
穂先が掠り、毛の一部が宙に舞う。
だが、マイコールとて負けてはいない。
リュレンが高度に積み上げた理屈を、観察し続ける。
初見は読めなかった縦横無尽な軌道。
目にも留まらぬ槍術。だが、それも徐々に分かり始める。
突き出す直前に、重心が右へと微かにずれた。
ゆえに繰り出される次撃は、右から左へと鋭くしなる。
槍を引く時に、腕の寄せがわずかに強い。
ならば、次の刺突は半歩分、間合いを貫いてくる。
経験の蓄積が加速度的に増していき、たどり着くのは――。
思考すら不要。反射で動ける世界だ。
「……っ」
驚愕が、穂先をわずかにブレさせる。
マイコールの肉球が、槍の柄に掠った。
半瞬、遅れていれば捕らえていた。
隙のなかったはずの刺突。だが、徐々にその優位性がはぎ取られつつある。
お互いの視線が交わる。
拮抗していた天秤が、傾きつつあると、どちらもが理解した。時間を掛けるほどに、どうなるのかも。
だからこそだろう。
リュレンは、放った。
これまでと同じように槍を引き、
突き出す直前、右へ重心が微かにずれ、
穂先が鋭く走る。
それは何度も見た、至高であったはずの一閃。
軌道と速度は見切っている。だからこそ捉えられると、肉球が即座に反応する。
いや……、違う。
これまでに蓄積された情報が、警鐘のように違和感を鳴らした。どこが、なんてわからない。だが、何かが起こる。
始まりは槍使いの足だった。
気のせい、そう思う程度。
捻り方向の力を加えて、地面を押し返す。そうして生まれた力を、膝で、腰で、右肩、右腕で――。各部を連動させ、一拍もしないうちに回旋力を、連鎖的に増幅させていく。
リュレンは、あえて左手を槍から離した。
同時に溜められたそれを解き放つように、右手首を強く捻じる。
ただ、速いだけではない。読まれたことを逆手にとった、殺すための一手を重ねた刺突。
まさしく必殺。
マイコールは理解していない。だが、考えるより早く、身体は動く。
両手の肉球が、穂先を挟み込んだ。
両足指を強く握り、地面へ爪を食い込ませる。
止めたのではない。逃がさなかったのだ。
回転する槍の力が、行き場を失う。
しなりに蓄えられたエネルギーは、殺すための軌道を失い、次の瞬間――逆流する。
「……っ!」
弾かれたのは、マイコールではなかった。
足が浮く。視界が跳ねる。
自分が、弾かれたのだと理解したときには、もう遅い。
あまりの遠心力にリュレンの手が、槍から離れ、真上に舞った。やがて受け身も取れず、身体を地面へ打ちつけた。
「ぐ……、見事なり……、雷虎殿」
リュレンが首だけで見上げ、初めて言葉を交わしてくる。
獲物を失い、もはや敵意はないようだった。
「オイラのこと、知ってるのか?」
「これほどの虎猫族が、他にいるはずもない」
なるほど。リュレンは追跡者たちの中でも、戦いだけを望んでいたタイプらしい。
「おめえもな。リアを狙おうと思えば出来たのに、しなかったもんな」
マイコールは槍の向きを変え、柄を地面に立てた。
過ぎ去った嵐のような攻防。
マイコールが前面で受ける体勢だったが、背負われたリアノンの足や手は、どうしても無防備だった。そこを狙えば、もっとやりにくかったのは間違いない。
だが、リュレンという男は決してリアノンに、殺気を向けなかった。
「狙ってたら、もう少しきつかったかもなあ」
一瞬の沈黙。
「笑止。それでは早々に喉元を食い破られ、終わっていただろうよ」
リュレンはあぐらをかき、小さく笑みをこぼした。
「そんじゃ、オイラたちいくぞ」
「いずれまた、相まみえたいものだ」
遠くで斧使いがぎゃんぎゃんと、騒ぎ始めている。
槍を返して、マイコールは颯爽と立ち去ろうとしたのだが。
ぎゅむっと毛をつかまれる感覚に、マイコールは驚いた。
「んにゃ!? どーした、リア?」
「いいこと思いついた」
閃きの輝きを瞳に浮かべて、リアノンは言った。
「それ……、きっと枝になる」
槍を指差して、リアノンはどうかな? と首を傾げた。
「それがしの愛槍が……枝、とな?」
リュレンが顎を撫でながら、ピンとこない様子で呟いた。
「ああっ! にゃるほど! そりゃあ、名案だぞ、リアっ!」
「えっへん」
マイコールはリアノンの言いたいことにたどり着く。
背中ではリアノンが、誇らしげに胸を反らしていた。
「リュレン! 大事な相棒だと思うんだけど、ちょっと借りていいか? 枝みたいに、使いたいことがあんだ!」
「それがしは敗北者ゆえ、如何様に扱ってもらっても、構わないが……、枝……」
「助かるぞっ!」
「リュリュ、いい人だね。ありがと」
リュレンは最後まで「愛槍が、枝……」と呟いていた。




