第十四話 名前を探して
「キュイキュイ」
「次はこの本? ……わかった」
ネイチュラが触肢で運んできた絵本を、リアノンは受け取った。ネイチュラのクリっとした瞳が、本から離れない。その姿が可愛らしくて、リアノンの口元が自然と緩む。
リアノンとネイチュラは、膝と触れそうなほどに近い。
言葉を理解できているか、わからない。
でも、赤ちゃんだって笑顔で話しかければ、キャッキャッと笑うのを見たことがある。
魔物だって絵を見て、感じるものがあってもおかしくない。
「キュイ」
「それはお日様」
「キュイ」
「それは水」
絵本の一ページ。
描かれた絵を、触肢の先端で優しく触れる。
これはなに? と聞いてくるような仕草だと思った。
だから、リアノンは一つずつ丁寧に答えていた。
ネイチュラの瞳の動きが、絵本に向いたままわずかに止まる。触肢だけは、そわそわと動かしていた。
やがてその瞳は、リアノンを映した。
「キュイ」
触肢の先端をこちらに向けながら、小さく鳴いた。名前を聞かれているのだと思った。
自分の胸に手を当てて答える。
「わたしはリアノン」
「キュイ、キュキュキュ」
鳴き声を上げているネイチュラ。
何かを訴えているのか、そこに意味はないのか。
さすがにわからない。
「キュキュ?」
やがてネイチュラは、触肢を自らに向けて鳴き始める。
「え、と、名前……のこと……かな」
リアノンは答えてあげようとして、そこでふと考える。
なんて返せばいいの?
ネイチュラ? でも、それは人が考えた魔物としての名前だ。それを答えてしまっていいのだろうか?
名前。それは自分を表す素敵な言葉。
リアノン。
それはマイコールがつけてくれた名前だ。
マイコールの故郷の森に、リアノルテという植物があるらしい。月の光を受けると白銀に輝く花で、『リアノンの髪を見たときに、オイラが大好きなその花を思い出したんだ』と言っていた。
初めてマイコールにリアノンと呼ばれたとき、大地に染み込む水のように、すっと受け入れられたことを今でも覚えている。
ネイチュラと呼ぶのは、やっぱり違う。
素敵な名前を送ったら、喜んでくれないだろうか?
ふと、ネイチュラの瞳と目が合った。
窓の外から「おーい、エルーナっ!」とマイコールの声が飛び込んできた。
ネイチュラの意識も、そちらへ持っていかれてしまう。
かさかさかさ。
ネイチュラが窓から外を覗こうとしていた。後を追うと、窓越しにマイコールとバルカンの姿が見えた。
少し離れたところから、エルーナが二人に歩み寄るところだった。
そういえば先ほど「バルカンが無茶してっから、様子をみてくる」といって部屋から飛び出していったのだ。
無理な修行を止められたバルカンは地面にひっくり返って、息を整えているようだ。
「キュイ……」
何を思うのか、ネイチュラがそんな三人を眺めていた。
◇
「バルカン、頑張るのはいいことだ。でもな、やりすぎは良くねえ。死ぬぞ」
「……す、すまねえ。はぁ……はぁ……。アニキみたいになるには……、こんなんじゃ足らねえって思ったら……、つい……」
庭の地面に身体を預けたバルカンが、肩で息をする。マイコールは側に立って、しばらく黙って見下ろした。
「こんなに冷たくなって……、マナ枯渇しかけてんじゃねえか……」
しゃがみ込んでバルカンの腕に肉球を添える。ひやりとした感触。ゾンビの冷たさ、その一歩手前だ。
「しゃーねーな」
マイコールは小さくため息をついてから、彼の優しく身体を持ち上げて、日向まで移動させる。
「あとは……、おーい、エルーナっ! ……ちょっと頼めるか?」
水の精霊に頼んで、畑に恵みの雨を降らせていたエルーナが振り返る。
マイコールが、ぴょんと軽く跳ねながら手を振ると、控えめに手を振り返してくれた。
「どうしたのかしら?」
膝をわずかに曲げ、目線を合わせてくれる。
たおやかに髪をかき上げる仕草が、陽にきらめいた。
「バルカンがマナ枯渇を起こしかけてさ……。身体をあっためてやりてえんだけど……」
「マナ枯渇? どのようになってしまうの?」
エルーナは本当に知らない、という顔だった。
「にゃ……、エルーナは知らねえか。えっとだな……」
腕を組みながら、尻尾で土をトンっと叩く。
「身体の中にある魔核。そこからマナが生まれてるのは知ってるか?」
「ええ。もちろんよ」
「生きてりゃ無意識でも、自然にマナは作られるもんだ。けどな、作れる量には限りがある」
エルーナは静かに耳を傾けてくれる。
マイコールがバルカンの手をとって、試しに持ち上げた。だらりと、力が入らないバルカンの腕。
「足りなくなると、身体が動かせなくなる。これがマナ枯渇だ。さらに進むと、胸の鼓動すら止まっちまう」
「そんな危険になるまで、バルカンさんは訓練したというの?」
「作れる限界を増やすために、冒険者は鍛えたりすんだ。……でも、やりすぎたんだなあ」
マイコールはバルカンへ視線を移した。ぽん、とその額を軽く叩く。
「死んだら意味ねえぞ。強くなる前に終わりだ」
「……面目ねえ」
頭をかくことすら出来ないバルカンが、苦笑している。悔しさと、情けなさが混じった顔だった。
「そんなわけで、ちょっとあっためてやりてえんだ。火の精霊にお願い出来るか?」
「そういうことなら、任せておいて。火の精霊、バルカンさんに温もりをわけて」
声はやわらかい。命令ではなく、お願い。
空気がふわりと揺れた。
次の瞬間、陽だまりが一歩だけ近づいたみたいに、バルカンの周囲がじんわりと温かくなる。
わずかな時間で、バルカンの顔の血色が良くなってきた。
肉球越しに伝わる体温も、ゆっくりと戻ってくる。
マイコールは、安堵のため息を小さくもらした。




