強い思いって素敵やん
軽い食事を取りながら俺たちは図書館で得た情報を共有する。
まずは、シエンちゃんから。
シエンちゃんは詩人ヴェルトセンについて気になったことを調べたのだと言う。
ヴェルトセンは詩人であり学者であり作家でもあった、多才な人物だったそうだ。
彼は裕福な家庭で育ち、高い教育を受け将来を嘱望されたのだが学生時代に流行り病に罹り失意のうちに実家に戻され、国の要職に就くという夢を断念したそうだ。
その後、父親がつけてくれた家庭教師の影響で詩や劇に興味を持ち、創作活動を始めた。
学者としても名声を得ながら劇作家や詩人としても名が売れだしたヴェルトセンにも、ひとつだけ心に残るものがあった。
それは、国の要職に就けなかったという事で、彼はこれをずっと胸に抱えていた。
彼はその思いをどうやって解消したのか。
それが、あの祈りの壁に刻まれていた詩の生まれた背景なのだとシエンちゃんは言う。
そもそも、花屋の奥さんに抱いていた思いを隠して有力者の娘に渡した詩なのだとは、本人が晩年になって言っていた事であり現在はそれが定説になっているが、有力者の娘にその詩を送り見事その心を射止め結婚するに至ったヴェルトセンは酒に酔って仲の良い友人にこう言っていたそうだ。
自分は国の要職に就くことはできなかったが、国の要職に就く者の娘を娶ることができた、と。
彼はずっと抱えていた思いを、そうした形で成就させたのだ。
これは屈折しているが情熱と呼べるのではないか?
セイテニア・グロウメンがゴゼファード夫人から見える壁に、こうした背景のある詩を刻んだのはどんな感情があっての事なのだろうか?
とこれがシエンちゃんの調べた事だった。
次はキーケちゃん。
キーケちゃんは画家アルービンについて調べてみたようだ。
存命中から大きな評価を受け、権力者から仕事の依頼が引きも切らなかったアルービンは、仕事として数多くの宗教画を描いたが自身はそれほど熱心なモミバトス教信者ではなかった。
それ故に依頼されれば聖典外の出典からも絵を描いたそうだ。
そうした仕事は、権力者や宗教家から目を付けられ、絵を焼かれたり暴力を受けることもあった。
しかし、アルービンはそうした事には屈せず、焼かれた絵は新たに描き直すこともあったのだと言う。
そうして権力者の目を逃れた作品の中には目が飛び出るような価値が付けられたものもあり、好事家の間で秘かに所有され中々お目にかかれないのだとか。
キーケちゃんは、あの絵もそういった類のものではないかと考察した。
そして俺も、外典に書かれていた内弟子の兄弟の話をした。
キーケちゃんはそれを聞いて、やはりなと笑った。
最後にアルスちゃんの話し。
彼女が調べたのはセイテニア・グロウメンの出生についてだった。
グロウメン家は現在で言うプテターン領を治める領主であった。
当時の呼び名はもちろんグロウメン領だったわけだが領主の長男として生まれたセイテニアには幼い頃より結婚を誓い合った女性がいた。
隣領の領主の娘としか記述がなかったようだが、まあ、そうした相手がおり相手も彼の事を好いていたようで相思相愛だったわけだ。
そんな彼が十代半ばの頃、グロウメン領内を干ばつが襲いその上、飛蝗の大量発生も重なり作物は壊滅的なダメージを負う事となった。
悪い事は重なるもので、セイテニアは流行り病に罹り生死の境をさまよう事となった。
そんな状況下で将来を誓い合った隣領の娘は、父親の意向により他所の有力領主の息子の元に嫁がされてしまう。何とか病が癒えたセイテニアではあったが、その事実を聞きショックのあまり一時的に喋ることができなくなったと言う。
彼はそうした事があったからか、20代半ばまで独身であった。
領主の息子にしては異例なほどの晩婚であった。
セイテニアより一回り以上年下だった夫人は、非常に嫉妬深く女性をセイテニアの側付きにすることは許さなかったそうだ。
そして、アルスちゃんが調べた、もうひとりの人物。
塔に幽閉されたゴゼファード夫人だ。
ゴゼファード夫人は現在のダスドラック領、当時の呼び名でラゴービ領の領主の娘だった。
ラゴービ領時代の彼女について書かれた記述は見つからなかったそうだが、ダスドラック領とプテターン領は隣り合って接している、つまり隣領だ。
将来を誓い合った隣領の娘がゴゼファード夫人である可能性は少なくない。
さて、ここまでみんなが集めた情報を総合すると、まずは、刻まれた詩にはヴェルトセンの果たせなかった夢を屈折した形で叶えた思いが込められていた事、モミバトス教外典の存在とアルービンの絵は外典からの引用もあったが権力者から目を付けられがちで表に出ることはなかった事。
そして、セイテニアとゴゼファード夫人は若かりし頃に結婚を誓った仲であった可能性がある事。
更にあの絵の題材になった規範の源泉に集まった内弟子の間で女性トラブルがあった事が判明した。
しかし、これだけではまだセイテニアとゴゼファード夫人がお互いをどう思っていたのか、推測するにしてもパズルのピースが少な過ぎる。
勿論、これだけの情報が集まったのだから何も思っていなかったという事はあるまい。
ヴェルトセンの詩をその背景込みで刻んだのであれば、屈折した形でもゴゼファード夫人との仲を元に戻したいという思いがあったのかも知れない。
また、あの絵を表に出さなかったのは、外典に準拠して兄弟を揃って描いた物であったため、と言う理由もあろうが、その兄弟が争った原因がセイテニアとゴゼファード夫人の関係に重なったからなのかも知れない。
しかし、どちらも憶測の域を出ない。
そうした事を俺は皆に話してみた。
「まあ、確かに憶測にすぎぬ。だが、な。」
そう言ってキーケちゃんは何かを考え込むように黙った。
「空は?空はどうした?。」
シエンちゃんが言う。
「そうだ、空について、それが何を意味するのかが残ってたね!。」
俺はシエンちゃんの意見に続いた。
「ここから先は、当時の人間の思いの話になってくるな。直接聞く事もできぬしな。」
キーケちゃんが言う。
「そうですね、今からお会いできる方からどんな話が聞けるのか。その辺りのお話を伺うことができればよいのですけれどねえ。さて、それでは指定された場所へ向かうとしましょうか。」
軽食を取り情報のすり合わせを終えた俺たちは、祈りの壁へと向かうのだった。
祈りの壁の前に立ち、改めて壁を眺める俺たち4人。
「しかし、普段からこんなに多くの人々が訪れるって事は、この壁が多くの人に愛されているって事かね。」
「うふふ、そうですね。ゴゼファード領主都の観光地でもありますけど、近隣の人たちにとっては憩いの場になっているようですね。ゴゼファード家もグロウメン家も領民にとっては良い領主でしたから、みなさん、特に悪い感情は持っていないですしね。」
「人ってのは、詩や絵や果ては場所にまで愛着を持ったり特別な感情を抱いたりする。なんとも、感情の忙しいことだ。」
シエンちゃんがしみじみと言う。面白い表現だが、君はもう、それがわかってきているのではないか。
「お客さんの到着だ。」
キーケちゃんが言う。
壁の後ろから、ふたりの中年男性が出てくる。
「失礼。先日手紙を出させて頂いた者です。話がしたいのですが、ご一緒に来て頂けますか?。」
「はい。そのために来ましたので。」
アルスちゃんが答える。
中年男性は互いにうなづき合い、それではついて来て下さい、と言って歩き出した。
祈りの壁公園のすぐ近くにある小さな家の中に男たちは入って行く。
俺たちも続いて中に入ると、身なりの良い中年男性がひとりイスに座っている。
「2人共、ありがとう。皆さんどうぞお座り下さい。」
身なりの良い男性は、俺たちを案内した男たちに感謝の言葉をかけてから俺たちに着席を促した。
俺たちは、その男が座っているイスを挟んだテーブル周りに置かれたイスにそれぞれ腰を掛けた。
「ご挨拶が遅れました。私、オッドウェイの文化財管理委員をしております、メイグルと申します。皆さんの事は調べさせて頂きました。最近売り出し中の特別依頼受託資格を持った冒険者パーティーであなたがリーダーのクルースさんですね。そして、アルスさん、シエンさん、ミキイケさんですね。」
「はい。」
別にリーダーではないんですけど、と言いたかったが話がややこしくなるので呑み込んだ。
「失礼ですが、あなた方の行動を見張らせて頂きました。アルスさん、祈りの壁での説明、お見事でした。観光者向けに、ああした説明をしながら案内する人間を用意しようかと本気で思いましたよ。真似させて頂いてもよろしいですか?。」
「ええ、勿論構わないですが、本日、こうしてお会いしてお聞かせ願える話とは、それではないですよね。」
アルスちゃんが笑顔で言う。
「はい、すいません横道にそれました。とは言えそれほど大きくはそれていないのです。私共はお察しの通りグロウメン家の関係者です。」
俺たちは予想していた事だったので驚くことはなかった。
「やはり、驚かれませんね。結構です。私共はグロウメン家に代々お仕えしていた者の末裔になります。我々は普段はそれぞれ仕事を持ち生活をしておりますが、ひとつの目的を持ちこうして集まり力を合わせることがございます。その目的と言うのは、セイテニア・グロウメンについて誤った悪評を立てられないようにする事です。我々の活動の目的はそれ以上でもそれ以下でもありません。」
「誤った悪評とは?。」
アルスちゃんが聞く。
「セイテニア・グロウメンの生涯について関心を持ち調査をしようとする人は少なくありません。皆さんが疑問に思われたように領を取り戻した後のゴゼファード公は、グロウメン家の名残の多くををそのままにされています。そして、先ほどの祈りの壁についての逸話から、セイテニア様はゴゼファード夫人に恋し、ただならぬ仲になった、ゴゼファード公は夫人とセイテニア様が本来婚約関係にあり思い合っていた事を知っていたため、夫人の気持ちを思いセイテニア様の残された物をそのままにされた、と言うものです。皆さんも近い所まで辿り着いたのではないですか?。」
「はい、でも、それは事実と異なるんですね?。」
アルスちゃんが答える。
「はい、そうです。結論から申し上げますと、セイテニア様の本当の思い人は、ゴゼファード公だったのです。」
「セイテニア公は男性がお好きだったのですか?。」
アルスちゃんが尋ねる。
「はい、そうだったようです。しかし、領主の長男として必ず子供は残さなくてはなりません。それは長男としての義務であり周囲の期待はとても大きいものです。セイテニア様もその心の内は誰にも言えなかったようで、隣領の領主の娘と婚約が決まった時もかなり悩んだそうです。そして悩みのあまり病に臥せったそうです。」
「流行り病に罹ったってのは?。」
「はい、表向きにはそう発表したのだそうです。しかし、干ばつと飛蝗により農作物に大きな害を受け、領の経営状態が悪化した事がセイテニア様にとっては幸いでした、隣領の娘はゴゼファード家に嫁ぐ事になりました。セイテニア様はたいそう喜ばれ、ゴゼファード家の結婚パーティーに招待された時も祝いの品を沢山、持って行かれたそうです。それは、セイテニア様の思いを知らない夫人の実家、ラゴービ領の人間にとって得体の知れない圧力として映り、強い負い目になるのですがそれはセイテニア様の人生を後々翻弄するものとなります。」
俺たちは黙って話を聞いた。
「そんなラゴービ家の思いなど知らないセイテニア様は、あろうことか新郎であるゴゼファード公に心魅かれてしまうのです。真っ直ぐな正確であったゴゼファード公は、元々自分の婚約者であったにもかかわらず心からの祝福をしてくれたセイテニア様の漢気に感銘し、それ以降、友情を深める事になります。それからしばらくしてセイテニア様は周囲の勧めで一回り以上年下の妻を迎え領主になられました。年下のグロウメン夫人は奔放な方でしたが、セイテニア様にとっては丁度良い事でした。その代わりと言っては何ですが、毎夜遊び歩く奥様を持つご領主として憐れまれたのか妾の座を狙ってか、お付きの女性達から頻繁に誘惑を受けることになり、奥様の強い希望という理由で身辺の世話をする者を全て男性にされましたが、手を付けられることはされず、ゴゼファード公への思いを秘めたまま詩や絵画の世界に没頭されたようです。しかし、時は王国統一前の戦乱の世の中、グロウメン家もそうした世の中の流れには逆らえませんでした。周辺領との力関係からゴゼファード領へ攻め入らざるを得ない事になります。強い負い目のあったラゴービ家が、嫁がせた娘の無事と引き換えに手引きしたと言うのも大きな要因でした。いかに領主とは言え、セイテニア様ひとりの意見でその戦争を止めることはできませんでした。詩や絵画の世界に没頭し、政治的実権をほぼ家臣の者に任せっぱなしだったのもいけませんでした。結局、グロウメン家はゴゼファード領を占領しました。ゴゼファード公や重臣達は、ラゴービ家の手引きで辺境の地へ逃れ力を蓄えます。ラゴービ家はそうしたどっちつかずの曖昧な姿勢から周辺領主の信用を失い没落して行くのですが、それはまた別の話です。さて、ご自分の意志とは関係なく、それどころかまったく正反対に、自分の思い人の領土に攻め入り逐電させてしまう事になってしまったセイテニア様は非常に心を痛められました。セイテニア様の本当の望みは、ゴゼファード公との友情をいつまでも大切にする事でした。ゴゼファード公のその真っすぐで素直な性格をセイテニア様は常日頃、青空のような方だと言って賞賛していました。それは、周囲も認めることとなり親しい人の間でゴゼファード公は青空公と呼ばれるようになりました。」
ここで、メイグル氏は深く息をついた。
「さて、いかがでしょうか。皆さまの疑問は解けましたでしょうか?。」
「なるほど、ある程度の理解はできた。しかし肝心な問題がまだだ。」
シエンちゃんが言う。
「それは、規範の源泉の事ですね?。」
メイグル氏が言う。
「そうだ、そもそもはその謎を解く事が我々の目的だったのだ。」
「はい、存じております。ここまでお話しさせて頂いたのも、皆さんがゴゼファード公から直接依頼を受けた方だからです。ここまでの話しは、グロウメン家の侍従であった我々の先祖が代々伝えた事です。我々はこのことを世に広く示したいわけではないのです、それでもこうして語り継ぎそれを消してしまわなかったのは、ひとつにはあまりに報われなかったセイテニア様の思いを消してしまうのがしのびなかったからですが、もうひとつは、いつか、ゴゼファード公と我々のうちの誰かが、こうした話を誤解なく出来る間柄になったのならば、伝えて差し上げたかったからです。その際に、形のある物として我々が提示できるものがその絵画だったのです。元々、アルービンの規範の源泉をゴゼファード公に送ったのはセイテニア様でした。セイテニア様は表に出せない外典を範にした連作を、表に出せないご自身の気持ちのように大切に保管されていました。そして、いつかゴゼファード公にご自分の思いを伝えることができたならば、その連作もゴゼファード公に差し上げようと、そう思っていたのです。セイテニア様はそれをゴゼファード城の奥深くにおしまいになられたそうです。ここからは、我々から皆さんへの依頼になります。ゴゼファード公がこの話しを御不快にならずに耳を傾けて下さるような方でしたら、包み隠さずお伝え願いたい。もしも、そうでないようならば、ただ、グロウメン家の残した外典準拠の連作であったとお伝え願いたいのです。」
「それならば、心配ない。キワサカは真っ直ぐな男よ。そうした事に不快を表すような奴ではない、寧ろ心を痛めよう。きっと、お前たちの望み通りに伝わるだろうよ。」
キーケちゃんがゆっくりと、そう言った。
「そうですか。ありがとうございます。我々も肩の荷が下りた思いです。本当に長い長い間の宿願でしたから。」
メイグル氏が言う。
「セイテニア公は、セイテニア公はその後どうされたのですか?。」
アルスちゃんが尋ねた。
「これも、運命なのでしょうか、ラゴービ家の手引きで逃げたのですがその先と言うのがゴゼファード公が隠れ住んだ場所でした。ラゴービ家は何を考えていたのでしょうかね。セイテニア様はその家で詩や絵画や花を愛し、生涯独身で過ごされました。それまでと打って変わって明るくなったセイテニア様は、侍従としてついて行った我々のご先祖とも友人のようにして付き合われたという事です。」
「そうでしたか。きっと、セイテニア公にとって不幸な晩年ではなかったのでしょうね。良かったです。」
アルスちゃんの声は心なしか少し震えているようだった。
「きっとセイテニア公も、喜ばれることだろう。こんなに代々思ってくれる従者がいるなんて、大した人物だよセイテニア公は。」
シエンちゃんが言う。
「お話し聞かせて頂き、ありがとうございました。つかぬことをお尋ねしますが、悪評になるような解釈をしている人が現れた時はどうされていたのですか?。」
「こうした簡単な小冊子をお渡ししていました。」
そう言って見せてくれた小ぶりなパンフレットには、囚われのゴゼファード夫人とゴゼファード公のイラストが表紙に描かれており、タイトルに、強い絆強い思い、と書かれていた。
「内容はゴゼファード夫妻の強い絆を示す幾つかの、短い話が書かれています。実際にセイテニア様がゴゼファード夫妻の強い絆に感銘を受けられその情熱を表す赤い花を植えた事も書かれています。そうして、セイテニア様とゴゼファード夫人の間には何もなかった事を理解して貰っています。」
「なんと、あの赤い花にはそうした意味があったのか。」
シエンちゃんが驚く。
「はい、因みにですが壁の手前の色とりどりな花ですが、様々な人々の相互理解を望んだものです。セイテニア様ご自身が許容され理解される、そんな世の中を。」
「なるほどな。」
シエンちゃんがポツリと言った。
「もし、先ほどおっしゃられた説明案内をされるようでしたら、そうした冊子を作って渡して、それを見てもらいながらされたらよろしいと思いますよ。事実をすべて明らかにはできませんが、セイテニア公やゴゼファード夫妻の思いに嘘はなかった、そうした事は伝えていきたいですものね。」
「はい、ありがとうございます。そうしたいと思います。」
アルスちゃんの言葉にメイグル氏は笑顔でそう答えたのだった。




