第1話
私が10歳の時、18歳上の王弟殿下との婚約が交わされた。
彼は、冷徹だと噂され、滅多に表情を変えない方だと聞いていた。
そしてその強さに慄く者は多いという。
王族である証の金の瞳は、これ以上なく輝いていた。
父と自然と並んでいる彼は、私にはずっと大人に見えた。
父よりも少しだけ若い青年に、私は目を奪われた。
この瞬間の不思議な感情に名前を付けることはできなかった。
ただ一つ言えるのは、周囲の大人たちが恐れるという彼の金の瞳を、私は怖いとは思わなかったということ。
私はそこに陽だまりのような温かさを感じた。
あの日、私の心に小さな光が灯った。
彼もこちらを見つめていた。
とても静かに、柔らかく、穏やかに……。
噂で聞いていたほどの冷たさなど、どこにもなかった。
そしてその時、彼が何を思っていたのか。
幼い私には想像などできなかった。
あれから8年、私は成人を迎えた。
今夜は内々に誕生会が開かれることになった。それを前に応接室では、粛々と手続きが進められていた。
「準備は整っています。ルペルリエ公爵、彼女を迎え入れてもよろしいでしょうか?」
渋みも増した低い声が、胸に響く。
「はい。アングラード公爵。こちらこそ、ヴィヴィアンヌをよろしくお願いいたします」
父の声音はいつもより優しい。
娘の幸せを願ってくれている、そう思うと私の心はじんわりと温かくなった。
私はヴィヴィアンヌ。ルペルリエ公爵の長女だ。
書類に記名するペンが走る音がする。
婚約者であるレオポルド・アングラード公爵。
王太子殿下の誕生に伴い臣籍降下した元王族である。
彼がちらりと私を見た。
彼をずっと見つめていたため目が合ってしまい、私は思わず目を逸らした。
王族の証である金の瞳は、8年前と変わらず輝いていたが、その光には熱を帯びているようにも感じた。
「ヴィヴィアンヌ」
彼が私の名を呼んだ。
父の声を聞いた時とは違う温かさが胸に広がっていく。
「こちらを君に」
そう言って差し出されたのは、大きなダイヤモンドが輝く指輪だった。
私はゆっくりと左手を出す。
彼の大きな手が添えられると、私の薬指に指輪がピタリとはまった。
「きれい……」
ありきたりだが、それしか語れなかった。
ふっと小さく声が漏れるのが聞こえ顔を上げると、わずかに口角が上がった彼の顔があった。
「誕生日おめでとう」
すると、彼は私の手を持ち上げ、そこにそっと口づけを落とした。
「……っ!」
胸が一度大きく打った。
そのあとも強く拍動する鼓動はなかなか収まらない。
「あ、ありがとうございます……レオポルド様」
私は空いている右手で胸を押さえた。
緊張から口元が動かしにくく感じ、いつもより丁寧に彼の名を呼んだ。
誕生会のために、彼に支えられホールに向かった。
横に並ぶ彼を見上げる。
(お顔が近くなりました……)
私の顔は彼の肩口にある。
出会った頃は彼の胸元にも満たなかった。
少しは見栄え良く並べるようになっただろうか。
思い返せば、私にはあまり社交をする機会がなかった。
彼は社交場が好きではないと聞いていたため、私もそれでいいと思っていた。
実は、記憶に残っている囁きがある。
「あの方が王太子妃になれなかったルペルリエ公爵令嬢でしょう?」
「ええ。王太子殿下とは年齢が合わないから、王弟殿下に回されたのだとか」
(回された……)
私は選ばれなかった。王太子妃教育なるものを受けて育ったが、選ばれなかったのだ。
「公爵閣下も、あんなに歳の離れたご令嬢を婚約者に据えるなんて」
「よほどお相手がいらっしゃらなかったのね、きっと血も通わぬほどに冷徹なのよ」
私が婚約者になったことで、彼のことも揶揄されていた。
(彼も、私のことを望んではいないのかもしれない……)
15歳の私には、とても重く残り続けるものだった。
しかしいつからか、社交界では、私は『幸せの青い花』と呼ばれるようになった。
なんでも、私を見かけた後には、パートナーに愛されるというのだ。
皆、私が現れるのを待ちわびていた。しかし、いざ私が行ったとしても、話しかけられるわけでもなく、遠巻きに見られるだけだった。
私が社交をする機会は少なかったため、女性たちは私のことがすぐに見つけられるようにと、暗黙の了解で青色の衣装を選ばないようになったという。
そして、成人の誕生を祝う今日、いつものように青い衣装を纏った。
今日は特別に金糸で刺繍が施されていた。
◇◇◇
王家に生まれた以上、自分の結婚について何か思うことはなかった。
決められた道を歩み続ける。それしか選ぶことはできなかった。
私の見る景色は決められている。そこには何の彩もなかった。
王族の証である金の瞳は、否応にも自分にはその血が流れているのだと伝えている。
私は第二王子故、比較的自由にさせてもらっていただろう。
第一王子が結婚し男子が生まれれば、私が臣籍降下することは決まっていた。
王家に有力な家門であるルペルリエ公爵家とのつながりは絶対であった。
王家に男子、ルペルリエ公爵家に女子が生まれれば婚約させる取り決めだったのだが、第一王子夫妻のもとに、なかなかコウノトリは現れなかった。
先に女子が生まれていたルペルリエ公爵家は取り決めを守るため、律義に待ち続けていた。
国王が逝去し第一王子が国王となった。
私は第二王子という立場から王弟となり、政務に勤しんでいた。
そして、ようやく国王夫妻に男子が生まれた。
このときすでに、ルペルリエ公爵令嬢は10歳になっていた。
同じ年、ルペルリエ公爵家同様、王家にとって有力な家門であるセスブロン侯爵家に女子が生まれた。
王太子と婚約したのは、セスブロン侯爵令嬢だった。
理由は、年齢だった。女子が年上の婚約は、世継ぎが絶対条件である王太子との結婚には不利であった。
そこで、ここまで待たせることになってしまったルペルリエ公爵令嬢には私が宛がわれることになった。
同じく王家の人間、こちらは年齢の差の問題も王太子ほど影響はない。
初めて顔を合わせたあの日、目の前には幼い少女がいた。
少女と言っては失礼だな、年相応とは思えない凛とした姿が美しいお嬢さんがいた。
王太子妃教育を受けていたのだろう。
その所作は美しかった。
(たった10歳だ。どれほどの努力を要したか……)
同じように、生まれにより運命を背負わされた彼女を想った。
互いに婚約者だと紹介される。
もういい大人の私が、こんなに幼い少女と婚約をする。
私たちは好奇心の渦で囲まれるだろう。
私は、この先の未来を案じた。
「レオポルド様」
名を呼ばれ彼女を見る。
真っ直ぐに私と視線を交わす彼女に、そしてその純粋さに、私は心を奪われた。
私のこの瞳を、恐怖心なしに見つめられたことはあっただろうか……。
「これからよろしくお願いします」
丁寧にお辞儀をする彼女。
(あっ……)
視線は外れてしまった。
それを残念に思っていると、再び顔が上げられ視線が交わる。
すると、彼女が柔らかく微笑んだ。
可愛らしかった。まるで一面に花が咲き誇ったようだった。
景色に色があると知ったのは、この日からだったと思う。
貴族に社交は付きものだ。
特に王族である私にとっては公務の一つでもある。
婚約したものの、社交のパートナーとしては、まだ彼女を連れ歩けなかった。
二人でのはじめての社交は、彼女のデビュタントだった。
私は、15歳を迎えた彼女のパートナーを務めた。
今まで一人で社交をしていた私の横にいるまだ幼さの残る令嬢に、周囲の何事かといった目が突き刺さった。
「閣下のお隣にいらっしゃるってことは、あの方がルペルリエ公爵令嬢かしら。なんて可憐なんでしょう」
「あれが噂のアングラード公爵閣下の婚約者か」
「ずいぶんと幼い……。これでは閣下も大変だろう」
「王太子妃には選ばれなかったが、王弟殿下に拾われるとはな」
「だとしても、何も冷徹殿下がお相手だなんて、あの令嬢もお気の毒ね」
「もっといいお相手がいたでしょうに。閣下もお気の毒に」
婚約していることは知られていた。しかし、彼女が公に立ったのは、この日が初めてだったのだ。
(私がいることで余計に目立ってしまったな)
満を持しての登場に、勝手に周りが囃し立てた。
(穏やかなデビュタントを迎えさせてあげたかったのだが……)
私は、この日のために、彼女の瞳の色で作った衣装を贈った。彼女は美しく着こなしてくれた。
(選び間違ったか……似合い過ぎだ……)
男たちの視線が痛い。どこかの貴族令息も、紳士までもが彼女を見ていた。
私はできる限り寄り添った。できる限り目を配った。
まだエスコート以上に触れることは憚られた。
だからこそ、彼女から離れないよう努めた。
(あと3年か……)
ここまで5年も見守ってきたのだから、残りの時間の方が短い。
しかし、ここからの3年が辛かった。
どんどん成熟度を増していく彼女に、早く大人になってほしい気持ちと、まだ隠されていて欲しい気持ちが葛藤する。
彼女は今でも私を純粋に見つめてくる。
それが私を煽っているとも知らずに。
彼女が、周囲の毒からも、私からも汚されぬよう、守り抜くのに必死だった。
彼女が社交をするようになると、『幸せの青い花』と呼ばれるようになった。
彼女の地位や美しさから、妬みややっかみなどあるかと思ったが、逆に神格化していく。
後になって知った話だが、彼女が現れると、その後パートナーから愛されるようになったと婦人らの中で噂になっているという。
男たちの話では、どうやら私の姿がそうさせたらしい。
自分もあのように相手を大切にしたいと思うようになるのだという。
愛の表現方法は一つではないと知ったというではないか。
私の愛は駄々洩れらしい。
周囲の評価に安堵した。
幸いにも気持ち悪がられはしていなかった。
私の奥底の熱情までは知られていなかったようだ。
お読みいただきありがとうございます。
よろしければ、ぜひ続きもお付き合いください。




