第12話(最終回)『5年後──それぞれの“味”を守るき』
5年後の高知市。
街の中心部に、白い外観の小さな店がある。
《Cafe Lumière》
扉を開けると、木の香りとバターの甘い匂いがふわっと広がる。
カウンターの奥で、白いコックコートを着たリンネが、真剣な目で厨房を見渡していた。
髪は後ろでひとつに束ね、以前より少し大人びた表情。
でも、あの丁寧で落ち着いた雰囲気は変わらない。
「佐伯さん、火強いです。焦げます。弱火に落として」
「はいっ!」
スタッフの青年が慌てて火を弱める。
リンネは続ける。
「ソースは“煮詰めすぎる前”が一番香りが立ちます。目じゃなくて、匂いで判断してください」
「す、すみません……!」
リンネは厳しい。
でも声は優しい。
怒鳴らない。
ただ、正確に、的確に、料理の本質を伝える。
(……5年前、アリスさんと一緒に作った照り焼き……あの時の“味が混ざる瞬間”が忘れられなくて……私も、自分の店でそれをやりたいと思ったんです)
リンネは鍋の前に立ち、スタッフの手元を見ながら言う。
「佐伯さん。あなたの味は優しいです。だから、焦らないで。ゆっくり煮詰めれば、ちゃんと“あなたの味”になります」
青年は顔を赤くした。
「……はい!」
リンネは少し微笑んだ。
(アリスさん……あなたが言ってくれた“優しい味”という言葉、今でも私の支えになっています)
店内には、リンネが5年かけて育てた“硬派で丁寧な空気”が満ちていた。
夕方のこはる。
暖簾は少し色あせているけれど、店内は相変わらず温かい。
厨房では、アリスがエプロンをつけて立っていた。
髪は肩まで伸び、ギャル感は少し落ち着いたけれど、明るい目と元気な声は昔のまま。
「壮真、これ味見してみて!」
壮真は腕を組んだまま、アリスの作った肉じゃがをひと口食べた。
そして──
「……薄い」
アリスは叫んだ。
「えぇぇぇぇぇぇ!?うち、ちゃんと砂糖も醤油も入れたき!昨日も練習したし!」
壮真はため息をついた。
「入れた量の問題やない。火の通りがまだ甘い。じゃがいもが“芯残り寸前”や」
アリスは頭を抱えた。
「うち、5年経ってもまだ怒られゆう……!」
壮真は呆れたように言った。
「当たり前や。料理は一生勉強や」
アリスはむくれながら鍋を覗き込む。
「でも……おばあちゃんの味、ちゃんと守りたいき……うち、頑張りゆうがよ……」
壮真は少しだけ優しい声で言った。
「知っちゅう。お前が一番頑張りゆうの、俺が一番知っちゅう」
アリスは照れたように笑った。
「……ありがと」
店内には、常連客の笑い声、煮物の甘い匂い、アリスの明るい声が響いていた。
(リンネちゃん……うち、まだまだやけど……こはるの味、ちゃんと守りゆうき)
夜。こはるの扉が開いた。
「こんばんは。久しぶりです、アリスさん」
アリスは振り返った。
「リンネちゃん!?え、なんで!?」
リンネは微笑んだ。
「今日、店が早く終わったので……アリスさんの肉じゃがが食べたくなって」
アリスは顔を真っ赤にした。
「そ、そんなこと言われたら……なんか……嬉しいき……!」
壮真が奥から出てきた。
「お、リンネか。ほんならアリスの“今日の出来”食べてみいや」
アリスは慌てた。
「ちょ、ちょっと待って!今日のはまだ完璧やないき!」
リンネは優しく言った。
「完璧じゃなくていいんです。アリスさんの味が食べたいんです」
アリスは胸が熱くなった。
(リンネちゃん……5年経っても……うちの味、覚えちゅう……)
リンネは肉じゃがをひと口食べた。
そして──静かに微笑んだ。
「……やっぱり優しい味ですね。アリスさんらしいです」
アリスは涙を浮かべた。
「うち……まだまだやけど……こはるの味、守りゆうき……リンネちゃんに食べてもらえて……ほんま嬉しい……」
リンネは頷いた。
「私も嬉しいです。アリスさんの味は、変わっていませんね」
壮真は腕を組んで言った。
「ほんなら二人とも、これからも自分の味を守れよ」
アリスとリンネは顔を見合わせて笑った。
こはるの夜は、5年前と同じように温かかった。
二人はそれぞれの場所で、それぞれの“味”を守りながら、同じ空の下で料理を続けていた。




