第97話 踏み出す者
観覧席の一角。
騎士科教官のローガンが、
腕を組んだままフィールドを眺めていた。
「……やはり、軍は予想以上に強いな」
学生たちが、一旦押しとどめた直後。
ぽつりと漏らす。
「個を、そのまま集団として使える。
あれなら、どんな地形だって、時間さえあれば突破される」
そう言って、何気なく横へ目をやる。
少し離れた席に、見慣れた姿があった。
「あれ、オルフェン先生。どうしたんです?」
ローガンは人垣を抜けて近づき、小声で声をかける。
「毎年、旗戦の時期は研究室にこもって、論文書いてたじゃないですか」
オルフェンは、面倒くさそうに眼鏡を押し上げた。
「ふん。私は今、地形研究会 の顧問だ」
わずかに語尾を強める。
「問題のある生徒も、監視せねばならん」
ローガンが、ニヤリとする。
「へえ。もしかして、例の子ですか?」
オルフェンの視線が、フィールドの一角へ落ちた。
土柵の裏で、仲間に指示を出している、小柄な一年。
「魔法もどきだ」
吐き捨てるような調子。それでも目は離さない。
「軍や戦場では、通用せん」
低く声で付け足す。
「応援しにくるなんて、先生も——」
オルフェンが横目を投げる。
「他に、用はあるか?」
そう言って口を閉ざし、再びフィールドへ視線を戻した。
◇
軍の九人隊が、再び前へ出てくる。
柵の裏で待つ学生たちの肩に、緊張が走った。
「来るぞ」
ルークが短く告げる。
「ガルドン、踏ん張れ!」
「ロイ、押し返すぞ!」
呼びかけに、二人が無言で頷く。
——来る。
次の瞬間、重たい圧を叩きつけられる。
陶板柵がきしむ。
ガルドンとロイは、体ごと後ろへ押し戻された。
「今だ!」
ルークの声が飛ぶ。
柵のわずかな隙間から、ロウガとライラが同時に飛び出した。
正面からのタックルを叩き込む。
「一人に狙いを絞れ! 散らすな!」
カイの指示が重なる。
ルークも前へ。
起き上がったガルドンとロイが、
ルークの背中を押し込むように加勢する。
——崩れた。
軍兵の一人が足をもつれる。
そのまま、退場ラインの外へ押し切る。
審判の旗が、短く上がる。
「うっ……!」
踏みとどまる足が、一人だけ滑る。
「ロイ!」
ルークが振り向く。
ロイは膝を押さえながら、苦笑を浮かべた。
「だ、大丈夫……っ」
一歩、引く。
だが、踏み直せない。
「……ここまで、だ」
それ以上は言わず、悔しそうに下がっていく。
同時に、押していた圧も、すっと引いた。
それでも揃っている。乱れはない。
柵の裏。
ロウガもライラも肩で息をしている。
ガルドンは腕を押さえ、顔をゆがめる。
◇
後方。
副団長が駆け寄ってきた。
「思ったより手強いです、団長。
あの柵が、やっぱ邪魔です」
ガライアスは、頭をガシガシとかいた。
「ああ、そうだな」
前方の土柵の列を、じっと見やる。
「かと言って、ばらけて迂回すれば……
俺たちの強さを捨てることになる」
副団長が苦笑する。
「どうします? このまま削り合いに持ち込む手もありますが……」
「しゃねえなあ」
ガライアスは、面倒くさそうにため息をついた。
「お前ら、帰ったら走り込み増やすぞ。鍛え方が足りねえ」
歩きざまに、隊へ声を飛ばす。
「勘弁してくださいよ、団長……」
一斉にぼやく声を無視する。
ガライアスは、最も厚く張られた柵の前に立つ。
わずかに、重心を沈ませた。
——ドンッ。
次の瞬間、衝撃が空気ごと叩きつける。
遅れて、重い破砕音。
中央の太い陶板柵が、粉々に砕け散っていた。
土煙の中。
落とし穴の縁ぎりぎりで、ガライアスが足を止めている。
足元を一瞥し、鼻を鳴らす。
「おっと。この先には、絶対なんかあるんだよな」
一歩で柵を砕き、二歩目を「手前」で止めていた。
◇
貴族席からは、半ば興奮した声。
「見ろ、学生たちの青い顔を」
「さすが我が軍——これが第一軍団長か」
オルフェンは、ただ見ていた。
散らばる柵の破片。
その中心にある足は、完全に止まっている。
「……ふざけた男だ」
まとわりつく魔力が、見えない。
それでも破綻がない。
「ありゃなんです? 身体強化のようでしたが……」
ローガンが、いつの間にか隣にいる。
——生身。
もはや《身体強化》と呼ぶべきかさえ怪しい。
あやつの底が見えん。
「あれは、魔法などではない」
それ以上、言葉はなかった。
◇
——消えた。
中央の、一番厚い柵。
そのぽっかり空いた穴の向こうに、軍団長の姿。
前線の足が、同時に止まる。
「なんだ、今の……」
ロウガが息を呑む。
「一瞬で、柵が——」
ライラも、言葉を失う。
「そんな……」
フィールド外。
ノエルが顔を青くし、砕けた中央ラインを見つめる。
「たった一人一撃で……?」
カイの視線が、中央に刺さる。
——崩された。
レイクは「……マジかよ」とだけ零した。
フィールドにたたずみ、視線を集めるその男——
ガライアスが振り返る。
「道は通した!」
短く、叫ぶ。
「ここを——足がかりにしろ!」
副団長がすぐさま号令を重ねる。
「全体、突撃準備!」
軍が、再び鋒矢を組む。
今度は——
穴の空いた一点に向けて。
◇
再突撃。
ロウガが吹き飛んだ。
地面に叩きつけられる。
歯を食いしばって、起き上がろうとして、
——膝が折れた。
ライラが突っ込む。
押し返され、転がる。
土を掴んでやがて止まり、顔を上げかけて
——無理やり笑った。
最後の柵がきしむ。
ガルドンが全身で受け止め、支える。
次の瞬間、
柵ごと崩れ、後方へ叩きつけられる。
ピクリとも動かない。
正面が、空く。
ルークが前に出る。
一瞬だけ、振り返る。目が合った。
——来るな。
カイも並び、二人がそこに留まる。
そのまま突き抜けていく軍の塊。
二人の身体が浮き、叩きつけられる。
地面に何度も。
手足が、変な方向に向いていた。
その向こうで——
軍側の兵士がぼやく。
「いや〜、結局こうなりましたね」
「団長のおかげですけどね」
「最後は一人。なにもできはしないだろうが——」
副団長が、前を睨んで息を吸う。
「気を抜くな!バカども!」
前進——突撃!
一斉に軍が、前へ出る。
その足音が、アレンの耳に響く。
——散った。
視界の端に、倒れたままの仲間たち。
動かない。
ロウガ、ライラ。
正面からぶつかって——
ガルドンとロイ。
怪我をしてまで柵を守ってくれた——
兄さんとカイは、
最後に希望を託してくれた——
足音が、近づく。
鼓動が、速い。
——十分、引きつけれた。
今なら……
アレンは、自陣へ走る。
旗を掴む。
サイドに視線が走る。
泥の中、崩れていない点が、線になる。
——行ける。
一歩を踏み出した。




