第88話 着地点
「——決勝戦、トラル寮対ルザア寮」
中央演習場が一瞬だけ静まる。
「開始!」
旗が振り下ろされた。
◇
号令と同時に、両寮の前列が前へと出る。
トラル側の中央には、陶板土壁。
「うおっ!」
ルザア寮前列の一人が、その手前で足が落ちた。
「平気だ!」
「踏め。そこは遅れる」
カイが短く笑う。
「やっぱりルザア、ちゃんと見てきてる……」
「バルケ戦の再現はもう効かねえな」
トラル寮席で、ざわめきも起きる。
「慌てるな! 最初の一発で崩れる壁じゃない!」
土壁にぶつかる鈍い衝撃音。
「今だ、アレン!」
ルークの声が飛んだ。
ルザアの一角に、一瞬のくぼみ。
踏み出しかけた瞬間——
「させるか!」
左から大きな影が突っ込んできた。
ルザア前衛のランだ。
「っと——」
半身で避ける。
右側からディルが肩を突き出す。
「潰す!」
つま先が、土の上を滑った。
体が、前へ持っていかれる。
「アレン!!」
誰かの叫びが、遠くで弾ける。
次いで、右足首の奥で、「キリッ」と音がしたような痛み。
「っあ……」
肺から息が全部抜けた。
「よし、あの一年一回転んだ!」
「大したことないぞ!」
ルザア席から歓声。
「……」
「アレン、立て!」
ルークは、痛む右腕をぐっと握り直す。
前に意識を戻す。
◇
ルザアの波が、一気に押し込む。
左が抜かれる。
壁が鳴る。
旗の目前まで、何度も迫られた。
「もらった——っ!?」
足が、一瞬だけ空を踏む。
体勢が崩れたところへ、渾身のタックルが刺さる。
「後ろにも仕込んでやがったのかよ!」
——止まった、その背中へ。
次の影が、そのまま旗前へ突っ込む。
——ゴンッ。
鈍い音だけが響いた。
「おい審判! あれ本当に土壁かよ!」
怒号。
審判が、安全担当と視線を交わす。
一瞬。
「問題なし」
ノエルは、胸の奥で小さく息を吐いた。
(持った……仕込みは)
◇
ロイが声を飛ばす。
「ルーク! このまま守りきるのか!」
フィールドを一瞥した。
前列も中列も、息が荒い。
それでも——
「行くぞ!」
ルークは声を張り上げた。
トラル前列が、一斉に前へ出る。
「ついてこい、アレン」
短く言う。
「ひっくり返す」
◇
ルークは右へ——。
アレンは、わずかに左へ。
「来るぞ!」
カイの声が飛ぶ。
ランとディルが同時に踏み込む。
その瞬間——
アレンは半歩だけ後ろへ引く。
突っ込んだ二つの影が、空を切る。
重心が前へ流れる。
「そこだ」
ルークが、斜め前へ躍り出る。
自分の身体を、無理やりねじ込む。
「来い、カイ!」
真正面からぶつかる。
カイも、ためらわず踏み込んだ。
だが、進路が一瞬だけ詰まる。
「っ——」
遅れは、本当にわずか。
けれど、それで十分だった。
アレンがルークの肩先をかすめるように、逆側へ。
空いたラインを、一気に駆け抜けた。
「——!」
ランとディルが、はっと振り向く。
だが、その背中は、もう届かない。
前に二つの影。その先に旗。
足首が、焼けるように熱い。
——下は、もう通らない。
それでも、アレンは右足を静かに沈める。
——瞬間。
砂が弾けた。
身体が、ふっと軽くなる。
人の肩の高さを、すっと越える。
クラリスは、立ち上がっていた。
兄とルークがぶつかった、その先。
ひとりだけ影が、越えていく。
「……綺麗」
誰も押さず。
ただ、前に出るだけの一歩。
土が、鋭くえぐれた。
倒れ込む勢いのまま、アレンは最後の一歩をひねり出す。
指先が、青い布を——
「トラル寮、旗タッチ!!」
◇
「やったあああああ!!」
「トラルが勝ったぁぁ!!」
誰かが叫び、誰かが泣いた。
ルザア寮席は、一瞬だけ静まり返り——
やがて、ぽつぽつと拍手が広がる。
「……負けた、のか」
選手たちが一列に並ぶ。
ルークとカイも、互いに手を差し出しす。
「いいタックルだった、カイ」
「そっちこそ。右腕、戻ってないのだろう」
「……優勝の痛みなら安い」
カイは、わずかに笑う。
すれ違う、その先に——
「……次は、正面から来い」
「はい」
熱気が、まだ場を包んでいる。
◇
観覧席の空気は、少し違っていた。
「トラルが……優勝?」
「正面からやってたら、絶対負けてたろ」
「騎士の戦いじゃねえよ……」
まばらな歓声。続かない拍手。
審判席。教員たちが紙をめくる。
「攻撃魔法なし。地形加工のみ」
「危険行為なし。規定内」
誰かが、息を吐く。
「……問題なし、か」
◇
貴賓席。
王アルディオンは、フィールドを見ていた。
倒れたまま笑っている者。
肩を貸し合って立ち上がる者。
泥だらけのまま、互いの背を叩く者。
その中に、小柄な一人の姿が混じっている。
「……よく、やった」
宰相ヴァルドが応じる。
「確かに見応えはありました。
ただ、避けているだけとも言えますが——」
「穴に落ちる。足を取られる。潰される」
騎士団長ガライアスが、口元だけで笑っている。
「戦場じゃ、全部よくある死に方」
視線が、ゆっくりとヴァルドへ向く。
「真正面に立ってくれる敵なんていませんよ、宰相」
短い沈黙。
観覧席のざわめきが、かすかに届く。
「……軍の理屈ですな」
「ええ。生き残ったやつの理屈です」
王が、ふっと笑った。
「ならば」
視線が、ゆっくりと二人の間を渡る。
「確かめてみるか?」
ガライアスの口元が緩む。
「おや。そいつは面白い」
間を置かず、ヴァルドが口を開く。
「では——王都駐屯軍との御前試合を」
言葉は、もはや提案ではない。
「学園の上位者と、実戦部隊。
同じ土の上に立たせれば、答えは明らかになります」
学園長ゼフィラムが、穏やかに頷く。
「安全面の取り決めをお任せいただけるなら、学園として異論はありません」
「俺も構いません」
ガライアスが肩をすくめた。
「うちの連中にも、いい薬になる」
王が、静かに頷いた。
◇
その日のうちに、学園中へ通達が貼り出された。
> 四寮旗戦 上位者による学生代表
> 対
> 王都駐屯軍 第一軍団
> ——御前試合を行う
掲示板の前。
ロイが貼り出された紙を指で叩く。
「……なあ、アレン」
声が少しだけ乾いていた。
「学生代表って——これ、俺たちのことか?」
返事はない。
フィールドでは、土壁が崩れていく。
アレンは、割れた陶板を眺めているだけだった。




