新しい制服
4月。
高校三年生の、最初の朝。
春休みが終わった翌朝。
廊下の空気は、どこか違う。
騒がしくはない。
でも整ってもいない。
ゆるい。
それが最初の印象だった。
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廊下を歩く生徒たちは、こちらを見ない。
視線を合わせない。
でも、知らない顔には必ず、
一瞬の間がある。
キキはそれを、皮膚で感じた。
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担任が先に入る。
「今日から2人、編入生がいます。」
扉が開く。
キキとサキは廊下に立っていた。
サキが小声で言う。
「先行く?」
「……一緒に」
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教室に入る。
一斉に視線が動く。
声にはならない。
でも確かに、空気が揺れる。
「自己紹介、お願いします」
サキが先に立つ。
「深町佐紀です。よろしくお願いします」
笑う。よどみなく。いつものように。
次にキキが立つ。
「深町希々です」
それだけ。
短すぎたかもしれない。
でも、それ以上は出なかった。
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沈黙が一秒、ある。
「……ほんとに双子だ」
誰かがそう言った。
視線が、キキの方に集まる。
サキはその空気を読んで、
すっと前に出た。一歩だけ。
「仲良くしてください」
笑顔で、全員に向けて言う。
視線が、サキに戻る。
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「どこからきたの?」
「イギリス?? じゃあ英語話せる?」
サキが笑って答えていく。
「お仕事してるの?」
「まあね。これからちょっとずつ」
「お姉さんは?」
キキへの問いだと気づくのに、
少し間がかかった。
「……同じく」
「そっか」
声は明るい。
悪意はない。
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芸能科には、空気の層がある。
雑誌の表紙に出ている子。
CMに出ている子。
ドラマの端に映る子。
まだ何もしていない子。
その区別を、誰も口にしない。
でも全員が知っている。
値踏みの言葉は、声にならない。
目でする。
キキには、分かった。
自分が今、どこに置かれたか。
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担任が言う。
「席はそこ、後ろから二番目の窓際ね」
二人分の席を指す。
「隣の席は、久世葵くん。今日は午後から来ます」
教室の中で、その言葉は特に波を立てずに溶けた。
それがこの場所の普通なのだと、
キキは静かに理解した。
サキが先に座る。
キキはその隣に座る。
一番窓際の席が、空いている。
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昼休みが始まった瞬間、
サキはいくつかの声に囲まれた。
朝よりも、距離が近い。
サキは笑って答えていた。
でもキキは見ていた。
サキの目が、ときどきこちらを確認しているのを。
五分も経たないうちに、サキが立ち上がった。
「ごめん、キキとランチするから」
当然のように。迷いなく。
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廊下に出る。
「どこがいい?」
「……外がいい」
「だよな。探そ」
日の当たらない場所を、二人で探した。
渡り廊下の端に、中庭に面した日陰がある。
風が通る。人が少ない。
「ここでいいか」
「うん」
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弁当を広げようとしたとき、足音がした。
「そこ、風強くない?」
振り返る。
同じ制服。
でも、まとっている空気が違う。
「中庭の東側の軒下の方が静かだよ」
一言だけ言って、そちらへ歩いていく。
サキがキキを見る。
キキは少しだけ頷く。
二人は、後をついた。
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軒下。
備え付けのベンチ。
木の影が、地面に薄く落ちている。
その生徒が先に座って、コンビニの袋を出した。
サキがその隣に座る。
キキは、サキの隣に。
三人が並ぶ。
誰も何も言わない。
袋の音と、弁当を開く音がした。
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最初に口を開いたのはサキだった。
「ありがとう。助かった」
「別に」
「俺、サキ。こっちがキキ」
「……久世」
サキが少し笑う。
「あ、久世くんか。午後から来るって聞いてた」
久世は頷く。それ以上は説明しない。
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「仕事、朝から?」
「うん」
「何時から?」
「五時」
「早」
久世が少しだけ笑った。目だけで、笑った。
「慣れると平気」
「オレ絶対無理だ」
「そう言ってたのに慣れてくる」
「経験談?」
「そう」
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サキと久世は、静かに言葉を交わしていた。
大げさではない。声も大きくない。
でも、ふたりの間に、もうそういう空気があった。
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キキは弁当を食べていた。
会話には入っていない。
久世は、キキに話しかけない。
急がない。探らない。
ただ、そこにいる。
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風が少し動いた。
木の葉が揺れる。
キキは、無意識に顔を上げた。
久世も、同じ瞬間に顔を上げていた。
二人は、目を合わせない。
ただ、同じものを見ていた。
サキだけが、それに気づいた。
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しばらくして、サキがキキに言った。
「キキ、これ美味しい」
「……良かった」
久世が少し間を置いてから、
「キキちゃんが作ってるの?」
その呼び方に、キキは少しだけ止まった。
久世が気づく。
「ごめん、名字知らなくて」
少し間がある。
「馴れ馴れしかった」
キキは首を振る。
「……いい」
少し考えてから、
「久世くんのことは、なんて呼べばいい?」
久世は少し考えるでもなく、答えた。
「葵で。みんなそう呼ぶから」
「……分かった」
久世がサキの方を向く。
「サキも」
サキがくすっと笑う。
「おう」
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笑いながら、サキは思った。
キキが、自分から聞いた
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教室に戻る。
一番後ろの窓際。
久世、サキ、キキ。
三つの席が、並んでいる。
まだ何も起きていない。
ただ並んでいる。
でも、この並びには、何か、ある。
サキだけが、
うっすらとそれを感じていた。




