異世界の娯楽
ある日の事。
トレーニングを終えてお風呂で汗だけ流してこようかとギルドハウスの中に戻ったところ、どこからか歌声が聞こえてきた。
これは……食堂からか。声自体は聞き覚えのある物。シードの声だ。
彼女は歌う事が好きなようで、ちょくちょく鼻歌を歌っている。ほんの数回ではあるが、皆の前で歌ってくれたこともある。
俺はそこまで普段から歌を聴くタイプではないが、彼女の歌は普通に聞き心地がよく上手いと思う。リアルやフラット達も同意見だった。そういわれたとき彼女は照れくさそうに笑っていたが。
この曲は、数ヶ月前流行った歌だったかな。
勿論、現実世界での話だ。一時期よくいろんなところで流れていた気がする。
それほど昔の曲でもないのに懐かしさを感じるのは、この世界に来てから音楽というものにあまり触れる機会がなくなったからだろうか。現実世界では意識しなくともそこかしこから流れてきて耳に入って来た音楽だが、こちらの世界ではそういった事はほとんどない。大抵は自然の音がBGMだ。
彼女の歌に耳を傾ける。
盗み聞きのようでちょっと悪い気もするが、彼女の歌を途中で止めたくなかったため、俺は食堂の扉の横の壁に背中を預けると目を瞑る。
いい声してるよな、シード。
そういえば俺の声は完全に別物になったけど、他のメンバーの声はあまりゲーム時代と変化がない気がする。別に専門家じゃないから厳密に同じかはわからないが、性別は入れ替わったプレイヤーの場合だけ”調整”が入ったのだろうか。
そういやゲームの時でもテンション高い時は鼻歌歌ってたなぁ、彼女。
歌自体は耳に覚えがある程度で思い入れがあるわけではないから、閉じた目の裏に浮かんでくるのはゲーム時代の彼女の姿だ……まぁ外見一緒だけどな。
「あれ、リセねぇ。そんなところで何やってるの?」
あ。
「……リセ?」
あー。
瞼を開いてみれば、俺と同様にトレーニングから帰って来たであろうメイがこちらへ向けて歩いてきていた。
まぁこんなところで目を瞑ってつったってれば声をかけもするか。仕方ない。
止まってしまった歌を残念に思いながら、俺はメイに手を上げて反応を返した後に隣の扉を開いた。
「やぁ、シード」
「……もしかして聞いてた?」
嘘をついても仕方ないので素直に頷いておく。
俺の問いにシードは少し顔を赤らめ
「やだもう、恥ずかしいなぁ……」
「たまに俺達の前でも歌ってくれるじゃないか」
「聞かせるつもりで歌うのと、そのつもりがなかったものを聞かれるのは違うでしょう?」
そりゃそうか。
「え、シード姉さん歌ってたの? もっかい歌わない?」
「さすがにちょっと今は勘弁してほしいかなぁ」
「そっかぁ」
いいながら彼女は簡易冷蔵庫から水のボトルを取り出し、椅子に腰を降ろした。
「シード姉さん、ほんと歌うまいよね。こないだちらっと話に出たけど、歌手としてデビューしたらやっていけるんじゃない?」
メイのその言葉に、シードは苦笑い。
「そんな簡単な話じゃないでしょう?」
「いやいや今はチャンスかもしれないよ?」
「どういうことだ?」
俺の問いにメイはボトルに一度口を付けてから話し始めた。
「実はさ、知り合いがメールマガジンみたいなのを始めたんだよね」
「メールマガジン?」
「うん。契約した相手にアルテマトゥーレの最新情報をお届け! って感じの情報誌を展開するんだって」
「文章だけでか?」
普段自分が使用しているメール機能を思い出しそう聞くと、メイは首を振った。
「リセねぇにはこないだ教えたでしょ? スクショを取るスキル。そんでさ、あれで取った画像データってメールに添付できるらしいのよね。なんで実際に記事を作ってそれを画像データとして送る形式みたい」
「へぇ、スクショスキルなんてあったんだ。……リセどうしたの、ちょっと顔が引きつってるけど」
「ナンデモナイヨ」
ちょっといらん事を思い出しただけだ。
「でもちょっと声も上ずって……」
「ナンデモナイヨ」
「あ、うん。わかった」
シードが引いてくれた。とっとと忘れたいことなのでそうしてくれると助かる……というかメイの口元が笑ってやがる畜生。
とにかく話を進めてこの話題は終わらそう。
「それで? そのメールマガジンの話とシードのデビューがどうつながるんだ?」
「いやデビューしないわよ?」
「サンプルで第一回の記事もらったんだけどさ、そこで特集してたのよね。今アルテマトゥーレは娯楽に飢えている!って」
「……確かにな」
元からこの世界の住人であるNPCにとってはそんなことはないだろうが、娯楽の満ち溢れていた現実社会の出身であるプレイヤーにとってはこの世界は娯楽なんてなきに等しいようなものだろう。俺達がこの世界に来てからすでに一か月以上、最初の内はこの世界になじむことに必死でそんなことを考える余裕もなかっただろうが、落ち着いて来たら確実に物足りなさを感じるはずだ。
「それでさ、その辺りを狙ってビジネスとか始める人たちが出てきてるらしいのよね」
「例えば?」
「このメールマガジンもそうだけど他にも演劇団や歌手を始めてすでにいくらかファンが付き始めてるんだって。シード姉さんの声と上手さなら同じようにいけそうな気がするけど」
「歌うのは好きだけど商売にするようなレベルじゃないわよ。ボイトレとかしてたわけでもないしね」
「そっかー、残念」
「ちなみに他にも何かあるのか?」
「あとは出版系だねぇ。マンガとか小説書いてメール配信する人達もいるみたい」
成程、確かにアルテマトゥーレのプレイヤーの中にはマンガや小説を書いてSNS等に上げているのもたくさんいた。そういった人間が出てくるのもおかしくないか。ただ思うのは、
「メール配信だとパイが少なくてビジネスには微妙じゃないか?」
メール機能はスキルと共にユグドラシルから与えられている機能だ。ようするにスキルを使えるプレイヤー……協会の登録者だけが使える機能であって一般人には使えない。この世界に来ているプレイヤーはかなりの数に上るだろうが全体としてはごく一部なわけで、NPCでの登録者も当然いるだろうがそれでもどこまで数が稼げるかという話だ。情報誌であれば今情報に飢えているであろうこの世界のプレイヤー達は求めるかもしれないが、マンガや小説はそれより割合が低くなるだろう。
「うん、だからさ。NPC達にも配れる用に大量印刷用の機械を作ってる人たちがいるみたい」
「成程。そっち系の技術や知識を持っている人間がいてもおかしくないか」
正確な数は不明だが、数千、或いは万単位のプレイヤーがこちらに来ているのだ。
現代レベルのものは様々な問題から再現は難しいだろうが、時代レベルを落とせば可能なものもあるだろう。ついでにいえば簡易冷蔵庫のように一部はスキルで代用できるものもある。そもそも元のゲームでそれなりに書物があることが設定されているので、この世界にはそれなりの印刷技術がもともと存在することになっているはずだ。
「しかしまぁ……みんなこの世界に腰を据える事を覚悟しているんだね」
メイの話を聞き終えて、シードが言う。
俺達がユグドラシルへたどり着いてからまだ十数日、それ以降にそれほど多くの人間がたどり着けたとは思えないのでこの世界の真実を知る人間はまだ極々少数だろう。にも拘わらずこういったことを始めるということは、知らずともこの世界で生きていくことを決めたということに近い。
まぁでもこれは俺達にとってはありがたいことだ。
「この世界に来たのが俺達だけじゃなくて良かったな。将来もそこまで退屈しないで済みそうだ」
数多のプレイヤー達の手によって、この世界は俺達の住みやすいように変化していくだろう。元の住人達には申し訳ないがな。
俺の言葉にメイも深く頷き
「そうだね。そして印刷技術が発展したらいずれリセねぇのグラビア写真集とかも発売できるね!」
「グラッ……!?」
「あはは冗談だよ! 汗流してくるね~」
一瞬言われた事が理解できなくて動きが止まった俺を尻目に、メイは席を立つと瞬く前に食堂の外へと出て行ってしまった。
その機敏さに、俺はため息を吐く。
「アイツは本当に……」
そんな俺を見てシードが笑う。
「あはは……でも本当に、いい感じに変わっていってくれるといいね」
「そうだな……本当に」
俺達は死ぬまでこの世界で生きていく。その人生が豊かなものになるように願うばかりだ。当然自分達でもその努力はしていくけどな。




