夕_場外
その日の夕方。
最後の講義が終わった後、碧流たちは校舎の外にある運動場へと集まっていた。
紅兎あたりがサボることもなく、六人全員が静かにその時を待つ。
程なく、四神を先頭に、対戦相手である央香国のメンバーも現れた。どうやら、めでたく剛力も選出されたらしい。血走った視線をこちらへと向けてきている。
「……えっと。どう数えても、六人にしか見えないんだけど、それで正解?」
こちらの、とても戦力とは思えない雪祈や紅兎を見やりながら。橙琳の問いかけは、ただ確認か、それとも挑発か。
しかしこちらも朱真がニヤリと笑って。
「十人揃わなければ不戦敗、というルールなら仕方ないが。でなければ、これで十分だ」
自信に溢れたその様子に、橙琳も苦笑しながら頷いた。
対する央国側は、四神の三人を筆頭に、体格も立派な男ばかりが七人並ぶ。
相手にとって不足はない、とは口が裂けても言えない。はっきりとこちらが役者不足。人数も不足。チームワークだって不足。なにせほぼ初対面だらけだ。
だとしても、ケンカを売ったのは、形としてはこちらの方。尻をまくって逃げるわけにはいかないのだ。
「申し訳ないのだけれど、審判は私でよろしいかしら? もちろん贔屓をするつもりはないから」
開始に先立って、間に立った杏怜が、主にこちら側へ向けて確認した。
杏怜とて央香国出身で四神の一人。立場的には向こうに近いが、むしろその四神という肩書きが不正な判定を許さないだろう。
朱真が無言で頷きを返す。あまり興味もないのかもしれない。杏怜がくすりと微笑んだ。
「では、審判を拝命します。まず、大将の方、こちらへ来てください。大将の印をお渡しします」
そこまで作ってくるとはずいぶんと凝っている。
感心しながら、杏怜の元へと赴く。
「あら、碧流が大将なのね」
「ほう、朱真か青華かと思っていたが」
杏怜と、相手方の大将である黄希に、揃って驚かれた。
「祭り上げられたんです」
嘘をついてみても格好はつかない。俯きながら、正直に告白する碧流。
昼休みの作戦会議でも、真っ先に議題に挙がったのは、もちろん大将の件で。
「オレはそういう柄ではない」
という朱真と。
「私は先頭で戦わねばならない」
という青華と。
「私たちを連れてきたのは碧流くんだし」
という紫絡の意見に押され、自身を除く満場一致で碧流が大将に選出されたのだった。
「身長は関係ないしね」
「むしろ、的にならなくていいかもよ」
紫絡どころか、紅兎にまでいじられたけど。
渡された鉢巻を巻いて、自分の陣地に戻る。陣地と言っても、幕が引いてあるわけでもなければ、椅子一つあるでもない。大将碧流は、なるべく目立たないように、一番後ろに控えた。
「陣形を整えてください」
杏怜の声に従って、朱真と青華が、左右に分かれて前へ出る。
こちらでまともに戦えるのはこの二人だけ。この前線を突破されれば、すべては終わる。それを正直に表すように、碧流を含めた他四人は後ろでごちゃっとまとまった。
「――――誰も、手出しはしないように」
周りに釘を刺して、蒲星が朱真の正面に立つ。彼の目は朱真しか見ていない。やはり一騎打ちがお望みか。
反対側、青華の正面には剛力が立った。その後ろに男が二人。一対三の形だ。
他の四人は中陣に広がった。どう動いてくるのか、始まらないとわからない。
本陣中央では、黄希が腕を組んで全軍を見据え、その脇には橙琳が控えている。
これが央軍の布陣。
杏怜の目が、両軍を見渡した。そして。
「始め!」
戦が、始まった。
「さぁ、行くぞ!」
正々堂々と。
いざ一騎打ち、とばかりに、蒲星が槍を振りかざす。
迎える朱真は無言で剣を右手に構えた。
互いに、腕が立つ相手だということは知っている。しかし刃を交わすのはこれが初めてだ。
精神が、神経が集中する。
戦さ場とはいえ、こうなると視野は狭まり、互いしか見えない。
二人の気が高まり、合わさり、目の前の好敵手へと、踏み出さん――――
――――トン、と。
蒲星の左肩に、黒々と墨が打たれた。
「蒲星、死亡。」
杏怜が蒲星の脱落を宣言する。
蒲星は何が起こったのかも理解できずに、己の肩を、そして地面を見下ろして。
「――――矢?」
そこに、一本の矢を発見する。当然、鏃は外してあり、黒く染まった布が巻かれてあった。
「ひ、卑怯なっ!」
歯ぎしりをせんばかりに、好敵手となるはずだった朱真を見やる。だがその朱真も、驚いたように後ろを振り返っていて。
はるか後方、弓を構えていたのは紅兎だった。
狩猟民族である孔族は、幼い頃からの訓練により男女を問わず射術に長けている。だがこの作戦、朱真は聞かされていない。
この騙し討ちのような作戦を朱真が知っていては、必勝の気が弱まり、蒲星にバレる。そう考えた碧流が、あえて紅兎にだけ伝えていた作戦だった。もちろん紅兎は、朱真を出し抜ける、ということだけで、喜んで従った。
朱真と一騎打ち中の蒲星を紅兎が遠距離から射抜けるか、というところは、はっきり言って賭けだったのだけれど、紅兎の腕前は碧流の想像を簡単に超えていた。
「……こう来たか」
朱真が、肩をすくめてため息をつく。
いずれにせよ、央軍は早々に最強の戦力を失った。
ほぼ同時に、青華の槍も剛力を捉えた。後ろの二人が手を出す隙も与えない。
これで六人対八人。個の戦力差を考慮するまでもなく、まだこちらが不利だ。
橙琳の指揮が飛び、中陣の四人が朱真と青華の前に立つ。一対三が二組できた。
本人からの申告によれば、二人とも、同時に三人までならなんとかなる、らしい。それが本当ならば、このまま押し切れるのかもしれないが、長丁場になると、こちらの方が不安要素は多い。
――――先手を打つ。
合図の指笛を、碧流が強く吹き鳴らした。
それに応じて、朱真と青華が同時に大きく武器を振るう。狙いはそれぞれ対峙する三人のうち、中央側に立つ一人。
狙われた男が身をかわす。合わせて、朱真と青華が素早く立ち位置を変えた。横に並ぶ形から、お互いに背を向け合う形へ。
その二人の間。
戦場の中央に、道が開けた。
「行きます!」
雪祈が走る。
二人が身体で作ってくれた道を通り、六人の敵がひしめく主戦場を駆け抜ける。
「構うな! 本陣を目指せ!!」
真っ先に反応したのは橙琳。
朱真と青華が中央に寄った分、縦の道が開いた。
一気に、戦況が動く。
中距離から連続して襲い来る三つの穂先。
それらを朱真は完全に見切り、右手の剣一本で弾き返していく。
朱真の相手は、全員が長物を使っていた。対する朱真の得物は剣。当然間合いでは劣るが、小回りでは勝る。
三人がかりで、全力で突き、払っても、朱真の身体にはかすりもしない。
橙琳の指示は聞こえたが、本陣を目指そうにも、前進ができなかった。これ以上距離を詰めると、剣の間合いになってしまう。むしろ朱真の方が徐々に圧力を増して、後ろに下がらないでいるのが精一杯。
傍目には膠着状態。しかしその実、央軍の三人は朱真への攻め手を失っている。
「させるかっ!」
駆け抜けようとする雪祈へ、青華の相手の一人が棍を伸ばした。
とっさの反応で、それを青華の槍が叩き落とす。
それで、わずかに青華の正面が空いた。
次の一人が、青華に身体ごとぶつかっていく。
槍が中程でぶつかり、一瞬の押し合い。力勝負なら分があると踏んだか。しかし。
鋭く青華が脚を飛ばした。胴当てなど着けていない腹に膝がめり込む。
「ぐふっ」
膝に墨はないから脱落はしないが、腹から空気を吐き出して男の動きが止まる。
青華がとどめと槍を引いた。――――その一瞬の隙。
「もらったぁっ!!」
最後の一人が、青華の脇を抜けた。
「――――!」
青華が後ろを振り返る。すでに男は青華の射程を抜けていた。
駆け戻ろうとする脚は、迫り来る棍に止められる。
この距離では、青華に相手を止める術は、ない。
手にした剣を振りかざし、男が走る。
目の前には、本陣で縮こまっている大将らしきチビ一人。
大将首、さらには、皇太子さまからのお褒めの言葉を目指して。
遮るものは、何もない――――!!
迫り来る敵に、凍りつく碧流。考えるまでもなく、打つ手はない。
大将としては、わずかな望みにかけても逃げ回るべきか。いや、いっそ潔く。
そんな逡巡を切り裂いたのは、ただ一筋の風切り音。
直後、快走する男の首が、突如として後ろにのけぞった。
その額には、やはり墨が黒々と。
「はい、残念でした!」
どこかで聞いたような文句とともに。
「矢が一本だと誰が言った! これが最後だけどね!!」
……それは言わんでいい。
碧流すら忘れてた二の矢によって、戦いはまだ続いていく。
本陣の危機には目もくれず、雪祈は中陣を走り抜けた。
今、雪祈の胸にあるのは、味方への信頼と、自らの役割を全うする使命感だけ。
彼女の目標、央軍の本陣はもう目前。だが。
「中央突破とはいい作戦だ。でもそれも、私に勝てれば、だけどね」
雪祈の前に立ち塞がるのは、ついに自ら刀を取った橙琳。
文武両道の誉れに恥じず、刀の構えは堂に入り、気迫も十分。
対する雪祈は、わずかに護身術をかじっただけ。まともに打ち合えば、勝つどころか、初太刀を受けることすら望めない。
それでも、いやならばこそ、小細工は無用。
雪祈は死力を絞って、さらに速度を上げた。
橙琳もそれは承知の上。かわされるか、仕留めるか。
雪祈が間合いに入った瞬間に、最速の挙動をもってその胴を薙ぐのみ!
「――――それが、勝てなくてもよかったりして」
橙琳の意識が一点に集中したその時に。
突如として背後から掛けられた声に、思わず橙琳の身体が反応した。
「いつの間に!」
声とともに、振り向きざまの一撃。
それは寸分の乱れもなく、背後に立った紫絡の胴を薙ぎ払った。
「あらあら」
ほぼ未使用の鍛錬着に見事に描かれた一本線に、肩をすくめて苦笑する。
「紫絡、死亡」
紫絡は、何もしていない。
戦力としてみなされていなかったから、誰にも注目されなかっただけ。
紫絡の得手は、紛れること。誰にも気付かれないように気配を消すのではなく、意識されないよう周囲に紛れる。
碧流の指示に従って、紫絡は誰もが注視する主戦場を大きく迂回して本陣へと近づき、戦場すべてを把握していた橙琳の意識が雪祈に集中したこの一時に、そっと背後から声をかけただけ。
おそらく彼女の動きに気付いていたのは、審判である杏怜だけだっただろう。
「紫絡さんの命、無駄にはしません!」
橙琳の二の太刀が飛ぶより早く、雪祈は宙を舞った。その一跳びで、彼女の身体は必殺の剣の間合いの外へ。
残るは大将、皇太子黄希のみ。
「お覚悟!」
「黄希!」
雪祈と橙琳の声が重なる。
しかし、未来の皇はなおも悠然と。
「すまんな。オレの剣は味方を動かすためのもの。刺客に向けるような駄剣は持っておらぬわ」
組んでいた腕を解き、ただ平然と、雪祈の短剣をその胸に受けた。
王者の胸に、黒い染みが小さく広がった。
「大将黄希、死亡! 勝者、連合隊!!」
終わった途端に腰が抜け、碧流はその場にへたり込んだ。
「ちょっと、ちょっと〜。何もしてないアンタが、なんでへろへろになってんのよ。ほらほら、アタシに、感謝の言葉は〜?」
紅兎に弓でつつかれる。しかし、碧流にはろくに口を開くこともできず。
ただ立って見ているだけで、こんなに緊張するとは思いもしなかった。
橙琳が完璧な勝利を求めることも、蒲星が一騎打ちを望むこともわかっていたが、相手の陣形を一つ読み間違えただけでも、きっとこうはいかなかったはず。
各局面を見ても、蒲星への射撃、朱真と青華による戦況の構築、雪祈の正面突破と紫絡の遊撃、果ては想定外だった紅兎によるフォローまで。一体、いくつの賭けを突破したのだろうか。
最後だってそうだ。『個人を相手にする武術に興味はない』と四神録に書いてあっただけで、黄希の戦闘力が雪祈より低いとは思えない。雪祈は最初から相討ち狙いだったようだが、黄希が本気で応戦したなら、それでもどうだったか。
と、終わってみても、やっぱりここまで上手くいったことが信じられない。ただ一つ言えることは、こんなに疲れることはもう二度としたくない、ということだ。
歓声どころか、言葉もない本陣に、勝利者となったメンバーが戻ってくる。
どうやら彼らも、心の底から大喜び、とはいかないようで。
「……どうにも、事前に抱いた興味とは違うのだがな」
朱真は、不満げにぼやきつつ。
「勝てばいい、のだろう?」
そう言う青華も、最大の危機を作ったことで責任を感じているのは明らかで。
「う〜ん、上手くいった、んだよね? 何て言うか、いまだに良くわかってないんだけど。ひょっとして私、死に損?」
戦場の機微とかには縁のない紫絡は、最後まで首をひねりながら。
それでも。
「やりました! 碧流さんのおかげで、大将首が取れましたよ! 大勝利です!!」
本日の殊勲者が、誰よりも元気に全速力で帰ってくると、つられたように、ようやくみんなも笑顔になった。
「まぁ、いいか。どうあれ、四神に勝ったんだしな」
「そうよね。四神に勝ったんだよね。ふふ〜ん」
「何、四神? 何、それ、自慢できるの?」
「できると思いますよ、たぶん! 学院中の噂になるかもしれません!」
「逆に、叱られるかも」
それぞれが、口々に、勝利の味を噛み締め始める。
へたり込んだまま見上げていた碧流も、ようやく重たい腰を上げた。
「おお、我らが御大将を忘れていた」
からかい半分の朱真が、こちらへと手を伸ばして。
「そうだよ。碧流くんの作戦あっての勝利だもんね。きっと」
紫絡に肩を抱えられて。
「ほんとに碧流さんの指示通りでしたよ! 完璧に!」
雪祈には尊敬の眼差しで見つめられ。
「だから、感謝の言葉は!?」
紅兎には謝礼を強要されて。
青華は、静かに微笑んでいて。
碧流にも、やっと勝利の喜びが湧いてきた。
自分の拙い作戦が功を奏したのも、きっと、このメンバーだったから。
「鬨の声でもあげるか」
「えいえいおー、ですか?」
「いや、それはさすがに、、、」
「四神に勝ったぞ〜! は? すごいんでしょ?」
その仲間たちが、なおも調子に乗って盛り上がっていると。
「あの」
そっと声を掛けてきたのは、審判を務めていた杏怜だった。
全員の視線を受けた杏怜は、いつも通りの柔らかな口調で。
「本日は、勝利おめでとうございました」
と、頭を下げた上で。
「ただ、念のために言っておきますが、今回私はあちらには参加していませんので、負けてはいません。なので、四神に勝った、というのは不適切かと」
にっこり笑顔でそれだけを伝えると、彼女はくるりと踵を返して、黄希たちの元へと戻っていった。
案外、負けず嫌いなのね、あの方。
かくして、央香国軍皇太子隊 vs 東西南北孔流連合隊の戦いは、連合隊の勝利で幕を下ろしたのであった。




