エピローグ
――十五年後の八月、鶴島。
「春臣、道子さん。それに千里ちゃん、いらっしゃい」
「こんにちは! お義父さん、ご無沙汰してます」
「父さん、ただいま。千里、じいじにご挨拶」
「じいじ! お帰りなさい!」
「はははっ! ただいま」
「千里! ただいまでしょ!」
「えへへ」
「父さん、これから母さん達の墓参り?」
「あぁ、今から行こうと思って用意してたんや」
「僕達も一緒に行くよ、荷物だけ置かせて」
「じいじ! 絵本読んで! 絵本!」
「はははっ! 千里ちゃんは元気いっぱいだのう。お墓参りから帰ったら読んであげるけんねぇ」
八月になり、お盆が近付く頃……正月以来半年ぶりに実家へと顔を出す。
「春臣、明日は午後から寺井さんが来る予定やけん」
「分かった。寺井さんって母さんの葬儀に来てたお坊さん?」
「そうそう。父さんと寺井と瀬戸は大学の同期でな――」
「へぇ」
「あなた! 千里、トイレ行ってからって!」
「分かった」
「漏れる! 漏れる! 漏れる!」
「あぁ! もう!もっと早く言わんけん! お義父さん、お邪魔します!」
「はいはい」
道子が千里を連れて家へと入って行く。
「父さん先にお墓行ってて」
「あぁ、先に行っとるわ。線香とお花と……春臣、水バケツだけ持って来てや、納屋の入り口にあるけん」
「分かった」
お墓は鶴島の町外れの丘の上にあり、歩いても五分程で着く。人口五十人にも満たないこの島も、いつかは過疎化で誰もいなくなるのかもしれない。
「お待たせしまうま」
「千里、手洗った?」
「あっ……洗った様な洗ってない様な……」
「様な、じゃないでしょ! 洗って来なさい」
「へいへい」
「へいは一回! じゃなくて、はいでしょ!」
「はぁい」
「もう!誰に似たんだか」
道子だよ、と言おうとして言葉を飲み込む。
あれからもう十五年。僕は道子と結婚し、そして千里が産まれた。千里は今年六歳になり、初めての夏休みだった。
時々、凛や桃太とも連絡は取っている。不思議な事に、御朱印巡りで知り合った記憶はあるが、なぜそうなったのかは誰も覚えていなかった。ただ御朱印巡りをしてから色々な事が好転した様な思い出がある。
一番覚えているのは、電車で岡山からの帰路に就いた際に、道子と話した蟹の話だ。そしていまだにその話をすると、あの日の瀬戸内海の景色と電車に吹き込む風が心地良かったのを思い出す。
「あなたっ! 水バケツは?」
「あぁ、納屋の……ちょっと見てくるわ」
家の裏に回ると、納屋の横に水バケツはあった。そして奇妙な事に、そこには僕の背丈と変わらない真っ白な狐がちょこんと座っており、そのただならぬ気配に足が止まり、じっと狐の出方を窺う。
「あの……」
声をかけた瞬間、狐は驚いた様に走って行く。
『チリーン』
「えっ!?」
空耳だろうか?今、鈴の音が聞こえた気がした。
「さっきの狐って……?」
「あなた! バケツあった?」
「道子……いや、今、白い狐がおって……」
「白い狐?何もいないわよ」
「向こうに逃げて行ったんだけど、何だか見覚えがあるというか……」
「白い狐ねぇ……。それよりお父さんが待ってるわ、バケツ持って行くんでしょ?」
「そうやった。バケツバケツ……」
バケツを持ち、お墓へと向かう。
鶴島は小さい島だ。周りを瀬戸内海に囲まれ、小高い丘が点在する。鶴島の西の小高い丘にある墓地は、この区画一カ所のみだ。
お墓に着くと、線香を上げ、水を入れ替え、母親とご先祖様に手を合わせる。
「父さん、千鶴ねぇのお墓にもお参りして行くから先に帰ってて」
「あぁ、分かった」
すぐ側に瀬戸家のお墓もあり、道子と千里を連れて瀬戸家のお墓へと向かう。
風が吹くと、潮の匂いが体を通り抜けていく。
「千鶴ねぇ、僕達を見守っていて下さい……」
お墓に手を合わせた後、眼下に広がる海を眺めながら道子が口を開く。
「ねぇ、あなた」
「ん?」
「昔みたいに御朱印巡りをしない?千里も夏休みだし、これといって出かける予定もないし」
「ん……そうだなぁ……。僕も道子も仕事があるから、休みを取れればなぁ……お盆も仕事になりそうだし……」
「そうよねぇ。なかなか難しいよね――」
「いきたい! いきたい! ちさともいく!『あきらめんのはやってからにしいや!』 ねぇ!」
「え? 千里?」
今、千里が一瞬、別人の声で話をした気がした。
「うん? なあに? パパ」
「いや……何でもない……」
それは記憶の片隅にずっとある千鶴の声……。
「どうしたの? あなた」
「いや……今、千鶴ねぇの声が聞こえた気がして――」
「ふふ。千鶴ねぇと言えば、あのフレーズを思い出すわね。確か『諦めんのはやってからにしいや』だったかしら?」
「そうだな……。よし、御朱印巡り行くか!」
「え? どうしたの? 急に」
「今、行かないと後悔する様な気がしただけや! さっ! 帰って準備しようや!」
「えぇ! 今から行くの!? それはちょっと……」
「どこいくの! ちさともいく!」
「もちろん! 三人で白石島からスタートだ!」
「んもう! あなた! そういうとこよ! いつまで子供なの! まったくぅ……」
「何だ? 道子は留守番か?」
「行きますよ、行きます!」
「あはは! よし、千里に生まれ変わった蟹の話をしてやろう!」
「なあに! カニさんがどうしたの! ねぇ! ママ! カニさんエビさんこっかく――」
「やめなさい! こら! あなたっ!千里に余計な事言わないの!」
「千里! じいじの家まで競争だ! ママが蟹の役な!」
「あははっ! 蟹の役って何よ! それを言うなら鬼でしょうが! って誰が蟹じゃい! こらぁ! 待てっ!」
「きゃはは! カニが来るぅ! パパっ!」
走りながら、小高い丘の上に先程の白い狐の姿が見えていた。それは僕達をずっと、陰から見守っていてくれたのだと思う。たぶん、これからもずっと……。
「ありがとう、千鶴ねぇ」
『――チリーン』
―完―




