第九十話:ゼロです。無双です
「……あー、邪魔」
ゼロが無造作に、足元の小石を拾い上げた。
それを指先で弾くと、石は弾丸のような速度で、物言わぬ氷の彫刻――シスター・セシリアの胸元に直撃した。
パキィィィィィィィン!!
鼓膜を刺すような高い音が響き、美しくも悲しい氷像は、一瞬で無数の破片となって砕け散った。
かつて慈愛に満ちていた彼女の姿は、いまや地面に転がる、ただの冷たい結晶の塊に成り果てている。
「なっ……なんてことを……っ!!」
はじめの声が、怒りで激しく震えた。
血管が浮き出るほど握りしめた拳から、血の気が引いていく。
だが、ゼロは眉ひとつ動かさず、感情の欠片もない声で吐き捨てた。
「……もう、死んでるんだから。形があってもなくても、一緒だろ」
その言葉が、はじめの逆鱗をさらに深く抉る。
怒りが、限界を超えて脳内を白く染め上げようとしたその時、墨花がその細い肩ではじめを遮った。
「めぐみさんは、家の中へ!はじめ様は、お下がりになって……っ!」
墨花が鋭い手つきで構え、漆黒の墨をゼロに向かって、解き放つ。
「……うざい」
ゼロの指先から、赤黒い液体が詰まった小さな球体が数個、バラ撒かれる。
それは地面に触れた瞬間、爆発的な勢いで凍結の連鎖を引き起こした。
土も、草も、墨さえも……
ひだまりの家の周辺全てが、どす黒い毒の氷に飲み込まれていく。
「くっ、うかつに近づけませんわ……なんなんですの!?」
墨花が顔をしかめ、一歩後退する。
彼女の放った墨が、ゼロの周囲に漂う凍てついた空気――毒の障壁に触れただけで、漂う前から黒い氷柱となって地に落ちた。
「なら、空からならどうかしら!?」
上空から、ベアトの声が響く。
彼女は大きな羽を広げ、ゼロの死角である頭上から急降下攻撃を仕掛けようとした。
しかし、ゼロは顔を上げることさえせず、無造作に空中へ向けて『毒』を投げ上げた。
パキパキパキッ!!
空気そのものが凍りついたかのような錯覚。
ベアトの美しい羽が、……瞬時に白く、重く、硬い氷に覆われていく。
「っ!? あ、あぁっ……!!」
揚力を失ったベアトが、制御を失って地上へと墜落する。
「ベアト、大丈夫か!!」
はじめが駆け寄ろうとするが、地面の凍結がそれを阻む。
最強の護衛である墨花が近づけず、空を統べるベアトまでが落とされる。
その現実に、はじめの背中に冷たい汗が伝った。
「……直撃は、……していませんので、大丈夫ですわ。ただ、一時的に羽が凍りついてしまいました。……しばらくは、飛べません」
ベアトが苦しげに立ち上がるが、その背中の羽は痛々しく氷に閉ざされていた。
「はじめ。……そろそろ、……死ね」
ゼロが冷たく言い放ち、その指先から数個の赤黒い球体が放たれた。
空気を切り裂く、死の礫。
それは真っ直ぐに、はじめの眉間を狙って突き進む。
「危ない!!」
墨花が叫び、はじめの体を強引に突き飛ばした。
だが、……軌道を変えた毒の礫のひとつが、回避不能なタイミングではじめの胸元へと迫る。
――ガツッ!!
鈍い衝撃音と共に、はじめの目の前に銀色の壁が割り込んだ。
「うっ、……うぅぅぅっ……!!」
短い呻き声。
間一髪で間に合ったアイの肩口に、……毒の球体が直撃し、そこからどす黒い氷の結晶がバチバチと火花を散らしながら広がっていく。
「アイ……っ!? 今度は、アイが……!!」
最悪の光景が脳裏をよぎり、はじめの顔から血の気が引いた。
しかし、アイは膝をつきそうになりながらも、その瞳に宿る青い光を消してはいなかった。
「だ、大丈夫ですわ、……はじめ様。私はこれでも、オクタ・エラーの中で一番の防御力を、……誇ります。数度なら、……問題ありませんわ」
強気な言葉とは裏腹に、アイの装甲からは不気味な冷却音が漏れ出している。
鉄壁の防御を誇る、彼女の感覚すら狂わせるほどの、異様な冷気。
「ですが。……ゼロの攻撃は、トップクラスです。……そう何度も喰らえば、さすがに私でも保ちません……」
アイの声に混じるわずかなノイズ。
その事実が、はじめを戦慄させた。
あの無敵に近い防御を誇るアイが、「数回が限界」だと認めるなんて。
(あいつ、今までの敵と次元が違う……!! やばい、このままじゃ全員……!!)
絶望がはじめの思考を支配しようとしたその時、ゼロが視線を動かした。
その先には、怯える子供たちを守るように立っている、琥珀の姿。
「そっちの、……おちびちゃんたち。お菓子だ。……やるよ」
無機質な声と共に、死を孕んだ『毒』が、今度は子供たちを目掛けて投げつけられる。
「させるかぁっ!!」
琥珀が瞬時に動いた。
獣のような反射神経で周囲の子供たちを両腕に抱え込み、……間一髪、その身を捻って直撃を避ける。
彼女がいた場所の地面が、凄まじい音と共にドス黒い氷の華を咲かせた。
「今は、……アイスの気分じゃないから! いらないっ!!」
恐怖を飲み込み、精一杯の強がりでゼロを睨みつける琥珀。
だが、その小さな背中は、微かに震えていた。
「……次は、そっちだ」
ゼロの視線が、祈るように立ち尽くしていたりりを捉えた。
無造作に放たれた死の礫――毒の球体が、空気を凍らせながら彼女へと迫る。
「……っ、させるものですか!」
りりの背から、銀色に輝く細い糸が爆発的な速度で射出された。
それは自分を狙う弾丸を弾くためではなく、周囲にいた子供たちの腰を、優しく、それでいて決して解けない強固な結び目で絡め取る。
「皆さん、……捕まっていてくださいね!」
直撃の瞬間、りりは自らも糸を施設『ひだまりの家』の頑強な屋根へと放ち、自らの体を引き揚げた。
子供たちを宙に浮かせ、まるで重力を無視したかのような優雅な動きで、冷気の這いずる地上から一気に距離を取る。
「下は危ない。みんな、こっちへ!」
りりは屋根の上に着地するや否や、さらに十数本の糸を操った。
蜘蛛の巣を編むような神速の手つき。
地上に取り残され、腰を抜かしていたシスターや子供たち一人ひとりに糸を絡め、…次々と安全な高所へと引き揚げていく。
パキパキパキッ……!
間一髪。
全員が引き揚げられた直後、彼女らがさっきまでいた地面は、ゼロの毒によって黒く凍りつき、命あるものを拒絶する『死の床』へと変貌を遂げた。
「……ふぅ。もう大丈夫ですよ。 ここなら、安全です」
屋根の上で、荒い息を吐きながらも、りりは子供たちを背中に隠し、凛とした瞳で地上を見下ろした。
(……こんなの、どうすればいいんですかぁ……詰んでない?……)
弱気な発言を、必至にこらえるはじめ。そこには、態度とは裏腹に、SEとしての、冷静な分析が始まっていた……




