第八十二話:めぐみの会わせたい人
「あの……皆様。私、ご紹介したいところあるので、ご案内しますね」
静寂に包まれたレストランに、めぐみの穏やかな声が響いた。
修羅場の余韻が残る空気など意に介さないような、あまりにも自然な微笑み。
「ここからそんなに遠くない場所に、私がいつもお世話になっている施設があるんです。皆様、ついてきてください。……いきなりで驚かせてしまったけれど、そこで紹介したい人がいるの」
具体的な行き先を告げぬまま、めぐみは軽やかな足取りで歩き出す。はじめは、その背中を見つめ、胃のあたりをぎゅっと押さえながら、重い足取りで後に続いた。
一行が天使国の整然とした街並みを歩き始めたその裏で、墨花は扇子で口元を隠し、瞳の奥に鋭い「検算」の光を宿していた。
(……さて。現在分かっているのは、ミラーのコピーが三体存在したこと。それだけですわね。そしてあの男、数は出せても、すぐには作れない……あるいは維持に制限があると見て間違いありませんわ)
カツ、カツ、と石畳を叩く自身の靴音に合わせるように、墨花は脳内の「本物リスト」を更新していく。
(確実に本物なのは、はじめ様、私、りりさん、琥珀ちゃん、そしてコインを掲げたベアトさん。……残るは、めぐみさん、アイさん、レイラさんの三名が未確定、というわけですね)
墨花の前を歩く三人の背中。
(めぐみさんに関しては、はじめ様以外に真偽を確かめる術はありませんわね。……一旦除外するとして。まずは……アイさんとレイラさん。順々に揺さぶりをかけさせていただきますわよ♪)
墨花は、すぐ隣を歩く鋼の鎧を纏った少女に、世間話でもするかのようなトーンで声をかけた。
「アイさん。……そういえば、あなたは元オクタ・エラーでしたわね。……ミラーという男について、何か私たちが知らないことをご存じではございませんか?」
「う……」
アイが、わずかに眉を寄せ、口ごもる。その反応を、墨花は見逃さない。
「実は……以前、。……ミラーが独り言のように話していたのを聞いたことがあるのですが……」
「あら。なぜ、それをすぐに教えて下さらなかったのですわ?」
墨花の冷ややかな追及に、アイははじめの背中をちらりと見て、苦渋に満ちた表情を浮かべた。
「相手は、あのミラー…… オクタ・エラーの中でも一番の性悪。……ですから、変に余計なことを今のはじめ様に伝えて、余計に混乱させたくなかったのですの……」
「……そうですか。さすがはアイさん、はじめ様のことをよくわかっておりますわね」
墨花は、満足げに一つ頷き、さらに踏み込む。
「……で、何をご存じなのですか?」
「聞こえた話では……。ミラーは同時に、五人までしか動かせない……。そのようなことを言っていました」
「貴重な情報、ありがとうございましたわ。うふふ♪」
墨花は、満足げに扇子を畳んだ。そして、再び脳内の思考回路に潜る。
(ミラーはあの時、見栄を張って『百人でも二百人でも作れる』と豪語していましたわ。もしアイさんが偽物なら、ミラーの顔色を伺って『百人でも二百人でも』と同調するか、判断ができずに黙り込むはず……。ですが、彼女は『五人』という具体的かつ不名誉な限界値を口にした)
(つまり……五人という数字の真偽はさておき、アイさんは『本物』である可能性が大ですわね)
墨花の視線の先では、はじめが何も知らずに、めぐみの隣で情けなく溜息を吐いていた。
「あー。……めぐみ。僕たち、本当にどこに向かってるんだ……?」
「ふふ、もうすぐよ、はじめ」
めぐみのその笑顔を、墨花だけは、決して見逃さなかった。
墨花は、アイから引き出した「五人」という数字を気にしつつ、すぐさま次の標的へと視線を滑らせた。
不機嫌そうに、けれどどこか落ち着かない様子で歩く女騎士。
「そういえば、レイラさん。……ルナさんはどうされましたの? あの子を一人で置いてきて、平気なのですか?」
墨花の問いかけに、レイラは一瞬、歩調を乱した。
「……ルナか。あいつなら、この間助けた『あの婆さん』がいただろ。あの婆さんに、妙に懐いちまってな。……で、私に、二人して『行ってこい、誰かに取られるぞ』……とか何とか言って、無理やり追い出されたんだ」
レイラはプイと横を向き、耳の付け根まで赤くしながら吐き捨てる。
その様子は、いつもの勝気な彼女そのものに見えた。
「あらあらあらぁ♪ まあ、それはそれは……」
墨花は扇子を広げ、艶やかな笑みを浮かべる。
だが、その背後で動く思考回路は、氷のような冷徹さを帯びていた。
(……このお話。あり得る設定ではありますけれど……。なんとなく、……ひっかかるのよね。確証はありませんけれど……)
墨花は、レイラの横顔を観察し続ける。
(あそこまで人間嫌いだったルナさん。しかもあのお婆さんとは、洞窟でわずかな時間過ごしただけのはず。……なのに、そんなに簡単に、独り立ちするほど懐くかしら? ……いえ、あり得ない話ではありませんわ。あのお婆様には不思議な包容力がありましたもの。ですが……)
墨花は、確信を持てない自分に、わずかな苛立ちを覚える。
(嘘……とも言い切れない。けれど、真実だと断定するにはピースが足りませんわね。……レイラさんは、完全に『保留』ですわ)
墨花の視線が、再びハジメの隣を歩く「めぐみ」へと戻る。
(一番の難問は、やはり『あの女』ですわね)
「はじめ様! 見てください、あの建物の屋根! 天使国らしい、綺麗な色ですわね!」
ベアトが、無邪気にはじめの腕を掴んで燥いでいる。
はじめは「あー、そうだね。綺麗だね……」と生返事をしながら、めぐみが指差す「目的地」の門へと、一歩、また一歩と近づいていく。
めぐみの後に続いて門をくぐると、そこにははじめの予想を裏切る、穏やかな光に満ちた光景が広がっていた。
「めぐみ先生!」
「めぐみさーん、待ってたよ!」
建物の影から飛び出してきた数人の子供たちが、めぐみの裾に縋り付く。めぐみはそれを受け止めるように膝をつき、はじめがかつて一度も見たことがないほど、心の底から慈しむような笑顔を浮かべた。
「ふふ、ごめんなさいね。今日は大切なお客様を連れてきたのよ」
子供たちを優しく宥めるめぐみの姿に、奥から出てきた一人の老シスターが目を細めて近づいてきた。
「まあ、めぐみさん。今日はお早いお着きですね。……そちらの方が、例の?」
「はい。……私の、……大切な友人なんです。シスター・テレーズ」
シスターは穏やかな眼差しをはじめに向け、深く一礼した。
「はじめ様、とお呼びすればよろしいかしら。めぐみさんには、いつもボランティアでこの『ひだまりの家』を支えていただいているのですよ。彼女がここに来てから、子供たちの笑顔がどれほど増えたことか。……神の御加護が、あなた方にもありますように」
シスターの言葉には、一ミリの作為も、一滴の濁りもなかった。
はじめは、その「善意」という名の重圧に押し潰されそうになりながら、ただ立ち尽くすことしかできない。
園庭を走り回る子供たち。それを見つめながら、時折楽しそうに笑い声を上げ、一緒に泥だらけになって遊ぶめぐみの姿。
やがて、ひとしきり子供たちと触れ合っためぐみが、少し息を切らせながらはじめの元へ戻ってきた。夕陽を背負った彼女の瞳は、これ以上ないほど澄み渡っている。
「はじめ……。私、ずっとこれをあなたに見せたかったの」
めぐみははじめの手を、そっと、温かく包み込んだ。
「二十年前、私たちは、……子供を授かることができなかったけれど」
「今はね、この子たちが私の誇りなの。……私、今、本当に幸せなのよ」
はじめの喉の奥が、熱く焼けるような痛みを発した。
その言葉は、どんな罵倒よりも深く、鋭く、デバッガーとしての彼の心を貫いた。




