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第五十話:そこに愛はあるんか?

リリの叫びで静まり返った場を、激しい怒号が切り裂いた。


「ちょっと、あんたたち! 何その物騒な針、さっさと引っ込めなさいよ!」


 一歩前に出たのはベアトだった。腕を組み、近衛兵たちが構える剣の群れを、まるで「掃除を忘れたゴミ」を見るような目で睨みつける。彼女の背後から漂うのは、恋心を原動力にした凄まじい威圧感だ。


「リリとかいう小娘の言い分は癪に障るけど、中身は正論よ。この冴えないおっさんが、そんな大それた『ウイルス』に見えるわけ? 見なさいよこの顔、今の状況だけでキャパオーバーして目が泳いでるじゃない!」


「……あー。……。……。……。……。

……ベアトさん、……。……。……褒めてます? ……それ、一応、……。……フォローしてくれてるんですよね……?」


「うるさい、はじめは黙ってなさい! ――いい、女王様。証拠がどうだか知らないけど、アタシの直感が言ってるわ。その手紙、どっかの馬の骨が書いた偽物よ。さもなきゃ、あんたの目が曇ってるかのどっちかね!」


 ドスの利いたベアトの言葉に、ヴェスパの眉がぴくりと跳ねる。場がさらに険悪な空気に包まれかけたその時、アルトが冷ややかに眼鏡を押し上げた。


「……陛下、皆様、少し落ち着かれませんか。脳のリソースを怒りに割くのは非効率です」


 アルトはヴェスパが持つ書状を、指先で器用に抜き取った。


「私が確認しましたが、確かにこれは辺境伯殿の魔力サインです。……ですが、あまりに美しすぎる。まるで、一言の淀みもなく一気に書き上げられた、定型文テンプレートのような冷たさを感じます。それに、そもそも、はじめ殿がこの城に足を踏み入れた瞬間に、正確にタイミングを合わせて届くなど、通常の郵便デリバリーではあり得ません。システム上の『先行入力』が行われていたと考えるのが妥当でしょう」


 専門的なアルトの指摘に、近衛兵たちが顔を見合わせ、ざわめきが広がる。

 そこへ、これまで静かにお茶を啜っていた墨花が、ゆったりとした動作で立ち上がった。


「あら、あら……。皆さん、そんなに熱くなって。お肌に障りますわよ?」


 彼女はふわりとした足取りで、アルトの手元にある書状を覗き込んだ。その目は笑っているが、一瞬だけ、プロの『鑑定』の光が宿る。


「私のようなただの女将には、難しい魔法のことは分かりませんけれど……。この紙、なんだか不思議ですわね。まるで、鏡に映った文字をそのまま剥がし取ったみたいに……。インクの滲みが、ほんの少しだけ『逆』を向いているような気がしますの。ふふふ、私の見間違いかしら?」


隠密としての経験が、その書状に宿る**「決定的な違和感」を捉えていた。それは、本物の魔力でありながら、どこか「現実味を欠いた」**不可解な歪み。彼女はそれを、偽造という名のバグだと仮定して、揺さぶりをかけた。


「……えっ。……。……。……逆……?」


 はじめは、その言葉を聞いてハッとした。

 バラバラだったピースが、脳内でパチリと音を立てて連結される。


(……鏡……反転……コピー……。……。……。……。

……そうか。……そういうことか。……。……。……。

このエラーを吐いているのは、……。……。……。

……辺境伯さん本人じゃない……!!)


「……。……。……。……。……。」

 アルトが、手に持った書状をまじまじと見つめたまま沈黙する。

 その沈黙は、処刑を待つはじめにとって、心臓の鼓動が耳元で鳴り響くほどに長く、重いものだった。


「……アルト、どうした? さっさとそのバグを連れて行かぬか!」

 ヴェスパが苛立ちを露わにするが、アルトは動かない。それどころか、彼は手元の書状を再び革袋にしまい、ふっと冷ややかなため息を漏らした。


「……陛下。私は、この『状況』という名のソースコードに、致命的なバグ(矛盾)を発見しました」


「……何だと?」


 アルトは眼鏡をクイッと直し、冷徹な口調で指を折る。


「第一に、この書状が届くタイミングです。偵察隊が城を出てすぐに、辺境伯殿からの伝令に遭遇する。……広大な街道筋で、狙いすましたかのように出くわすなど、天文学的な確率です。まるで、はじめ殿の到着に合わせたかのような、精緻すぎるスケジュールです」


 はじめは、唾を飲み込んでアルトを見つめる。


「第二に、内容です。辺境伯殿は、この男を『はじめ』と名指しで呼んでいます。これは、彼がはじめ殿を友人として深く認識している証拠です。それほどの絆を築いた相手に対し、これほど冷酷な処刑命令を下す……。論理的整合性が取れません。何より、辺境伯殿は恩を仇で返すような無礼な方ではない」


 アルトの言葉に、周囲の近衛兵たちの剣先がさらに低くなる。


「そして第三に……」

 アルトは、墨花が指摘した「インクの滲み」を指でなぞった。


「……この書状は、**『我々の知る形』**で書かれたものではありません。……鏡合わせの、実体のない残像コピーに等しいものです。


 私は、自分の論理において、不可能な選択肢を一つずつデリートしていきました。

 ――辺境伯が本心でこれを書いた。――あり得ません。

 ――偶然、このタイミングで届いた。――あり得ません。

 ならば、残った事実は……たとえどれほど信じがたくても、それが『真実』です」


 アルトは、はじめの喉元に突きつけられていた剣を、自らの手でゆっくりと押し下げた。


「……何者かが、この城の『外部』から、我々の認識を上書きしようとしています。……陛下、このはじめはウイルスではありません。……我々が今まさに直面している『攻撃』を防ぐための、唯一のアンチウイルスソフト……。……いいえ、……一人の、不器用なエンジニアです」


「……あー。……。……。……。……。

……アルトさん、……。……。……。

……カッコよすぎませんか。……。……。……。

……僕の代わりに……、……有給休暇を……全部あげたいくらいですよ……!!」


 はじめは、情けなく膝をついたまま、それでも心底ホッとしたようにボヤいた。


アルトが論理の刃で、辺境伯の書状を「あり得ないバグ」として切り捨てると、場に重苦しい沈黙が降りた。近衛兵たちは戸惑い、ヴェスパは唇を噛み、白銀色の羽を震わせている。


 そこに、ゆったりとした、それでいて耳の奥までとろけるような甘い声が入り込んだ。


「あらあら、あらぁ~……。ふふふ、なんだか見ていられませんわねぇ」


 墨花が、手にしていた茶器をソーサーに置いた。カチャリ、という小さな音が、張り詰めた空気を不思議と和らげ……いや、別の質の緊張感へと変える。彼女は十本の触手をゆらりと揺らしながら、ヴェスパへと歩み寄った。


「虫国っていうのは、意外と薄情なのねぇ~……。ふふ。私なら、たとえ愛する人が本当に犯人だったとしても、全力でかばっちゃいますし。たとえ真っ赤な嘘を吐いていたとしても、最後まで信じてあげちゃいますけどぉ~……ねぇ? ヴェスパ女王さまぁ~?」


 その声は、春の陽だまりのような温かさでありながら、ヴェスパの胸元に鋭い「針」を突き刺すような残酷な響きを帯びていた。


「なっ……貴様、何を……!」


「あら、ごめんなさい。ただの独り言ですわ。でも……大切な人の『言葉』よりも、どこから届いたかも分からない『紙切れ』を信じてしまうなんて。女王様のお心は、そんなにカサカサに乾いてしまわれたのかしら?」


 墨花が首をかしげ、目を細めて微笑む。その瞬間、ヴェスパは雷に打たれたような衝撃を受けた。


「…………っ!」


(わらわは……何をしていたのだ?)


 はじめと食べた翠玉干しの甘さ。

 彼が語る、聞いたこともない「デバッグ」という名の献身。

 不器用な彼の手が、自分の羽に触れそうになった時の、あの高鳴り。

 それらすべてを「公務」という名のプログラムで上書きし、消去デリートしようとしていた自分。


 ヴェスパの羽が、白銀色から、激しく脈打つような……これまでで最も濃い、情熱的な深紅へと染まっていく。


「……アルト! 全兵に告ぐ! 剣を収めよ! この書状は……偽りだ。断じて辺境伯が書いたものではない!」


 ヴェスパは一歩、はじめへと踏み出し、その震える手を、はじめの頬に……添えようとして、寸前で恥ずかしそうに引っ込めた。


「はじめ、すまぬ……。わらわともあろうものが、……外部からのノイズに惑わされた。貴様が……貴様のような男が、わらわを裏切るはずがないのにな」


「……あー。……。……。……。……。

……あー、……女王様。……。……。……。

……信じてくれるのは……嬉しいんですけど、……。……。

……今の墨花さんの発言、……。……。……。

……めちゃくちゃコンプライアンス的に、……アウトな教育してる気がするんですけど……。……。……。

……えっ、……愛してれば……。……犯罪も見逃すんですか、……。……この国、……。……。……法務部、……。……仕事してます……?」


 はじめは、冷や汗を拭いながらも、いつもの調子で精一杯のボヤキを返した。しかし、その瞳は、自分を信じてくれたリリと、そしてヴェスパへの感謝で、少しだけ潤んでいた。


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