誘拐事件
なんだかな、とアンバーは思った。
ジィナの右腕の修繕は順調で、あとは各部位が滑らかに動くように細かな調律をするだけとなった。相変わらず、腕がいい。
アンバーはグンドウの腕を信頼している。
けれど、彼の技術以上に、彼の乾いた性質が気に入っていたのだ。
感傷の少ない、付き合いやすい類いの人間だった。
けれど、今の彼は少し様子が違うようだ。『娘』に対して、あんなふうに声を荒らげるなんて。
すっかり冷めてしまったお茶を啜って、今晩の宿──グンドウの住む地下室の片隅のスペースでアンバーは膝を抱える。
ジィナは調律のために、グンドウの作業台に寝かされている。
いくつものコードに繋がれた相棒を、戸棚の陰から覗き見る。静かな横顔と、平坦なまま上下することのない薄い胸板──魔女とはいえ、呼吸もするし腹も減るアンバーにとっては、いささか不安な光景だ。
グンドウの見立てでは、明日にはジィナの右腕は元通りになるそうだ。
人型自律キカイが搭載している疑似人格なるものと、各部品がうまく連結するかどうかで動きのなめらかさが変わるらしい。イカイの技術はアンバーにはわからないが、あのヤミ医者が言うのならば、そういうことなのだろう。
「しかし、ずいぶん雑然としてるなぁ……っていうか、ゴミ箱かここは?」
一応は客であるアンバーにあてがわれた一角は、実に様々な物品で埋め尽くされていた。もちろん、グンドウとミュゼの暮らしは、客に宿を提供することなど想定していないのだから仕方ないのだが。
それにしても、この山街に移住してきて数年で、よくもここまで物を積み上げるものだ。アンバーは素直に感心してしまった。
グンドウはといえば、大喧嘩の末に飛び出していったミュゼを連れ戻すために出かけていた。
ああいう喧嘩(グンドウ曰く、小競り合い)はよく起きるらしく、いくつか行き先に心当たりがあるそうだ。
本当に、家族してるじゃないか。
「イカイ製のものばっかり……お抱えの『骨拾い』でもいるのか?」
調律中のジィナとじゃれ合うわけにもいかず、手持ち無沙汰になったアンバーは棚に詰め込まれたアレコレをひっくり返す。
イカイ製品のジャンクパーツ、何かの図面、ガラクタにしか見えない何か、わざと悪筆で書かれているとしか思えない書類、そして──。
「封筒……?」
棚の奥に隠すように押し込まれていたのは、くしゃくしゃと皺が寄って、染みだらけになっている封筒だった。魔女の手紙屋には、馴染みのあるモノだ。
薄汚れた封筒はぴっちりと蝋で封印をされていて、ただそこには判別できる宛名は書かれていなかった。
何も書かれていない、ということではない。
「イカイ文字、かぁ」
イカイの技術であるキカイ調律を生業としているグンドウである。
彼の住居にイカイ文字で書かれたものがあることは、なんら不思議ではない。
「これ、ミュゼ絡みの手紙かな」
アンバーは手にした封筒を、慎重に元の位置に戻しながら呟く。
なんとなく、そう思ったのだ。
魔法を使ったわけではない。何通も、何通も、人間の手紙を(あるいは、人ならざるものの手紙を)届けて生きる魔女の勘だった。
そして、アンバーは手紙運びの魔女だからこそ、絶対に他人の手紙を盗み見たりはしない。
元通りにしたジャンクの山に埋もれて、毛布にくるまった。
──そのとき。
「おい、いるか」
「ヤミ医者?」
ひどく焦った声で、グンドウがアンバーを呼んだ。
いつもこういうときに、アンバーよりも早く反応をするジィナが眠っているのが心許ない。
「……ミュゼがいない。町中をくまなく探したが、どこにもいないんだ」
「いないって、本格的な家出ってことかい?」
「違う。おそらく、あいつは……くそ!」
ミュゼを探して町中を走り回ったのだろう。グンドウは息を切らせている。
「……あいつに、なにかあったんだ」
かなり混乱をしている様子で、ぐしゃりと表情を歪めた。
これはいよいよ、不穏である。
「せ、先生。うちの子がミュゼちゃんを見たってぇ」
地下室に駆け込んできたのは、山のようなパンケーキを出す店で給仕をしていた女だった。
よそ者であるアンバーたちにも愛想がよく、その愛想のよさのぶん「ものごとをよく観察している」と感じた。
その女が手を握って連れてきたのは、まだ幼い男の子だった。昼間に町中を駆け回って日暮れまで遊んでいたのだろう、泥と土埃をうっすら纏っている。
「みゅ、ミュゼさん、川辺にいたんだ。でも、知らない人につれてかれちゃって」
「知らない人……?」
「こんな小さい集落だ。子どもといえども、ここの人間はみんな顔見知りだ」
グンドウがきっぱりと言い切る。
男の子を連れて来た母親は、「そのとおりだ」と深く頷いた。
アンバーはゆっくりと立ち上がる。
「つまりは、私たちみたいな『よそ者』がミュゼを連れていってしまった……ってことだね」
よそ者。
アンバーたちの他にも、何人もの旅人がこの町を出入りしている。
この山道は、いくつかの地方を繋ぐ中継点なのだ。そのうちの誰が、ミュゼを連れ去ったのかは、この寂れた山街に住む人間にはわからない。
しかし。
ミュゼを付け狙うよそ者に、アンバーは覚えがある。
「……ごめんね、ヤミ医者」
ぽそ、と謝罪を零す。
ミュゼに危険を及ぼしてしまったのは、アンバーだ。
「ここに来る前、連邦郵便省に出入りしていたんだ……大きな町の郵便局だったから、目を付けられたんだろうな」
「……そうか、右腕の破損」
アンバーが郵便省のお偉いさんと話をしている間、ジィナは広場で待っていた。
所持が禁止されているヒガン製の人型自律キカイを連れているとなれば、さすがのタシスも黙っていることはできないだろうから。
ジィナの破損した右腕は、モッズコートで隠されていた。
しかし、大きな町にいるイカイ製品に通じた者たちは、ジィナが人間ではないことを見抜いたのだろう──たとえば、大量の厄災遺物ギデオンが破壊されたことで集まった『骨拾い』たちの誰かとか。
彼らはイカイ製品に詳しいし、人型自律キカイを見分けることなど造作も無いはずだ。木を隠すなら森の中、人型自律キカイを隠すなら人混みのなか……なるべく悪目立ちをしないように、と広場でジィナを待たせていたことが徒になってしまった。
「やってしまったな。部品の欠損した人型自律キカイをつれて、行く先と言えば……調律師のところだ」
アンバーたちを追跡してきた何者かが、偶然に発見したキカイ調律師グンドウの『弱み』を握ろうと動いた結果が、これだ。
「なるほどな……お偉いさんがキカイ狩りに力をいれているという噂は聞いている。キカイを扱う俺たち調律師の中にも、パクられたヤツが何人かいる」
「たぶん、そういうことだと思う」
自分が油断したせいだ、とアンバーは頭を抱えた。
「せんせい、捕まっちゃうの?」
母親に連れられた男の子が、不安そうにグンドウを見上げる。
グンドウは少しだけ眉をさげて、男の子の頭をくしゃりと撫でた。
「大丈夫だ、心配するな。ミュゼのことを教えてくれて、ありがとうな」
「うん! せんせい、かあちゃんが大怪我したときに助けてくれただろ。こんどは、せんせいをおれが助けるんだ」
へえ、とアンバーは唸った。
このヤミ医者は、なかなか人望があるようだ。
「ありがたいが、今日は遅い。帰るんだ」
男の子は少し渋っていたが、母親に説得されて引き下がった。
「おっと、これ巻いとけ」
グンドウは帰ろうとする男の子の頭に、くるくると包帯を巻く。
「これなら、ここを見張っているヤツがいたとしても少しは怪しまれないだろ。ちょっとは痛そうにしろよ」
「わかった!」
男の子は大きく頷いて、地下室から出て行った。
アンバーは身支度を調えながら、グンドウを小突く。
「人間の医者もやってるとはね」
「たいしたことはしてないさ、医者の猿真似だ。キカイ人形は、人間を模してますからね」
「でも、感謝されてる」
「……こういう辺鄙な町は、猿真似の医者すらいないからな」
グンドウは照れ隠しに鼻の下を擦った。
コートを着込み、ショールを巻いて、手紙を格納するための文箱つきの長杖を手にして──アンバーは言った。
「……さて、行こうか。きみの娘を、取り戻しに」
グンドウが小さく息を呑んだ。
「いいのか? 俺はそんなこと、頼んでない」
「自分が招いた厄災だ。落とし前はつけるよ」
「……自分からこういうこと言い出すような性質じゃなかったろ。頼まれたら断らないヤツではあったが」
「まぁねー。魔女のきまぐれってやつだよ」
アンバーは肩をすくめる。
「それに、きみだって前とは変わったよ」
「そうか?」
「うん、お互い様だね」
そのとき。
アンバーの気配を察したのか、作業台に横たわっているジィナがゆっくりと目を開ける。
「アンバー、出かけるのですか」
出発の支度を調えていたグンドウが、「おい」と声をかける。
ジィナがゆっくりと起き上がる。
「あんたはまだ調律してないんだ、無理に動くな」
「いえ。そうはいきません。ミュゼを探すことには、きけんが伴うと予測、されます」
いつもよりも漫然とした動きと、ギクシャクとした発音。
身体の各部品をとりかえることができる人型自律キカイとはいえ、きわめて人間に近い形で創造されている。
調律が済んでいない身体は、思うように動かないはずだ。
それでも、ジィナは立ち上がる。
理由は明白だった。
「ジィナは、アンバーの、ボディガードですから」
──アンバーとジィナは、そういう在り方を約束した。
人型自律キカイとはそういうものだ。
求められる役割を、求められるままに──イカイ人によって、そう設計されている。
「……はは」
思わず、アンバーは笑った。
「うん。ジィナは私のお世話係じゃなく、ボディガードだからね」
心強い、相棒だ。
「……万全ではないとはいえ、戦闘に対応したキカイが同行してくれるのは心強い。だが、ミュゼの居場所がわからんことには、どうしようもないぜ」
焦りを浮かべたグンドウ。
大丈夫だ、とアンバーが親指を立てる。
「私は手紙の魔女だよ──送り先がどこであろうと、必ず手紙は届けるさ」
そう。
手紙さえあれば、縁の糸がミュゼの居場所を教えてくれる。